ICカードを首から下げて、パーカーに紐もついていると、邪魔で仕方ない。顔洗うときにもピロピロなったり、ラーメン食べるときにすすったりして邪魔。 頭が十分に小さければ、紐を絞って良いフィット感を得られるけど、幸いにも顔がでかいので絞ったことなく、パーカーの紐が役に立ったことがない。 と思ったのでパーカーの紐全部捨てた。人に会ったときにも、パーカーの紐要らないんじゃないの、役立ったことないでしょ、ってマウンティングしている。 #パーカーの紐を捨てる pic.twitter.com/xaIcYs1BMS— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2019年3月9日 #パーカーの紐を捨てる pic.twitter.com/PECsJK7Ui9— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2019年3月9日 #パーカーの紐を捨てる pic.twitter.com/4yflvJU
人事の超プロが明かす評価基準―――「できる人」と「認められる人」はどこが違うのか (三笠書房 電子書籍) amazon.co.jp 柴田さんの記事 を読んで、これだ!と思って衝動的に買った。 本の中では「評価される人」=「影響力のある人」が一番響いたかな。 反面、この本の核心である後半に進むに連れて、ピンと来ない箇所が増えていった。総合職向けだからかな。 特に「スペシャリストとしての道を歩むなら、そのスキルが陳腐化するものではないか、よく見極める必要がある」のくだり。スペシャリストとして重要なのはスキルそのものではなく、スキルを習得するためのスキルだと思うので、何かが違う気がした。 コンピテンシーをまあそうだよねと思えるのは、ここ数年で構築された今の会社の評価制度を作った方々のおかげだろうなあ。私はただのフリーライダー…(白目 それはさておき、この記事を書いていて、気がついたら妄想し自分の
スマートフォンを使った新しいサービスを思いついた。あるいは、これまでの営業経験で築いた人脈でビジネスを始めたい——。 こんな時、会社を立ち上げ、資金を集めて……という仕組みは確立されている。プロジェクトの中身は厳しく審査されるけれど、資金と経験を提供するベンチャーキャピタルもある。 では、マイナーなスポーツの選手として生計を立てたい、モデルや小説家になりたいという場合はどうだろう。あまり会社という仕組みとはなじまない。他の仕事でもしながら下積みを選ぶ人が多いだろう。 こうした個人の自己実現を支援するSNS「フィナンシェ」の試験運用が、2019年3月7日に始まった。 仕掛けるのは、東証一部に上場しスマホ向けのゲームを展開するgumiと新会社フィナンシェ。 多くの人に「いいね」と言ってもらう承認欲求を満たすSNSから、コミュニティで個人の自己実現を支援するSNSへの移行を促したいという。 自己
「先手と後手が交互に指す」原則を無視し、両者が同時に連続でコマを動かせる将棋ソフト「リアルタイムバトル将棋」が発表されました。Nintendo Switch向けダウンロード専用ソフトとして、800円(税込)で3月14日配信開始。質実剛健な「銀星将棋」シリーズで知られるシルバースタージャパンの作品とあって、優等生が急にハジけたような感覚が来ました。 互いが同時に指せるので、対局はスピードが重要 1人用モードでは、9人のキャラクターと対局。コマや盤のデザインはファンタジーやデジタル調に変更できます 2人プレイでは、隣り合って遊ぶか、Nintendo Switch本体をはさんで向かい合って遊ぶか選べる 互いの手番を考えず指したいときに指せるため、スピード勝負が求められる特殊な将棋。ただし、一度動かしたコマは、一定の時間がカウントされるまで動かせなくなる制約はあります。カウント数はコマごとに差があ
敷金・礼金・仲介手数料は無料、契約手続きはすべてスマホで完結。不動産屋に出向くことはおろか、紙での書類のやり取りも一切なし。賃貸住宅にもいよいよIT旋風が吹き始めた。 仕掛けたのはインド発のホテル運営会社OYO(オヨ)だ。OYOはインドのほか、インドネシアや中国、イギリスなど世界8カ国で事業を展開する。日本ではヤフーと共同で「OYO TECHNOLOGY&HOSPITALITY JAPAN(商標:OYO LIFE)」を設立した(OYO66.1%、ヤフー33.9%出資)。 日本ではホテルではなく、賃貸住宅事業に進出する。その理由についてOYO LIFEの勝瀬博則CEOは、「日本の賃貸住宅市場は約12兆円と、ホテル市場の10倍。ホテルは競争が激しいが、賃貸住宅ではホテルのように合理的な商品やシステムが成熟していない」と語る。「OYOはリビングスペースを提供する会社。賃貸住宅とホテルとの間に明確
「『時代』を語ることはできない」と作家の朝井リョウさん(29)は言う。元号が「平成」に変わった1989年に岐阜県で生まれ、20歳の時に『桐島、部活やめるってよ』でデビューした。この3月には「平成」に生きる若者たちを描いた『死にがいを求めて生きているの』が刊行された。元号の節目を迎え、さまざまなメディアから「平成とは?」という大きな質問を投げ掛けられ、そのたびに戸惑う。それでも「これまでに書いてきたことを振り返るかたちなら」と語ってくれた。(笹島康仁/Yahoo!ニュース 特集編集部)
はじめに もともとふつうのベンチャーでしたが、2014年に量子コンピュータにピボットしてからはすくすく会社が育ち、向いてることをするのは大事だなと感じてます。 Qiitaはポエムを書かないといけないらしい(多分)ので。おそらく日本初の量子コンピュータベンチャーとしてまず五年目までに気づいたことを書いてみます。 もともとはデザイン会社 もともとうちの会社はデザイン会社でした。出身が建築事務所だったので、そのまま2009年に独立してデザインをしてました。建築時代はphotoshop+autocadを使っていました。イラレはいまだに苦手です。 前の建築事務所は隈研吾建築事務所というところで、青山の美術館の設計や中国のアリババの社屋のコンペなどを主にしていました。 建築は当時CGパースも仕事がたくさんありましたので、CGのモデリングやレンダリングをやりながら当初は生計を立てていました。ただ、リーマ
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