切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。 旧ユーゴスラビア構成国のマケドニアで、きょう(30日)、国名問題で長年対立していた隣国ギリシャと合意した“北マケドニア共和国”への改称について、国民投票が実施されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます) これは、1944年、ドイツ占領下で発行された“マケドニア”加刷切手です。国名表示が“マケドニア”となっている切手としては、これが最初の1枚となります。 現在のマケドニア共和国は、旧ユーゴスラヴィア連邦を構成していたマケドニア(社会主義)共和国が連邦から分離・独立するかたちで誕生しましたが、本来の地域概念でいう“マケドニア”の範囲は、古代のアレクサンダー大王の故地として、同国のみならず、ギリシャ、
中国最西端の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)でウイグル人たちが多数、再教育センターと称される強制収容所に拉致監禁されている。各国の報道によると、その数は優に100万人は超えるという。総人口約900万人のウイグル人にとって、実にその1割程度が完全に自由を失ったことになる。強制収容所内では習近平語録を暗記させられたり、中国の国歌を歌わされたり、場合によっては拷問をかけられて死亡する事態に発展している。 人口の逆転で抑圧を強める強制収容所の存在は、ウイグル人の「民族の受難」を物語っている。1944年、パミール高原以東のオアシスと草原地帯でウイグル人とモンゴル人、それにカザフ人の3民族を主体とする民族革命が勃発。中国とは全く別の独立国家が建立され、ソ連邦への加入を理想とする東トルキスタン共和国が成立した。そこへ49年に人民解放軍が進撃。東トルキスタン共和国の指導者たちも毛沢東の招請を受けて北京
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