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【第2目標達成のお礼と今後のご支援について】(2021年4月26日追記) 4月6日に設定した「ネクストゴール」は、私たちの予想をはるかに上回るスピードで達成されました。4月26日の時点で、支援者はすでに3400人を超え、支援額も3900万円に達しています。ミャンマー市民を応援するという声が日本中で上がっています。あたたかいご支援に発起人一同深く感謝しております。 支援を募っている最中ではございますが、期間中の前倒し送金に向けて準備しています。支援金が届き次第、報告します。追って、現地の支援活動状況も支援者の皆さまにお伝えします。 日本からの支援を一人でも多くのミャンマー市民へ届けたい。この願いを実現するために、本企画運営チームJUST Myanmar21はミャンマーとタイのパートナーと話し合い、支援活動地域を拡大しています。以下、ミャンマーの状況と今後の皆さまからのご支援金の運用についてお
前回書いた『土偶を読む』を読んだけど(1)が思いのほか読まれてしまい、著者の竹倉さんからもコメントをいただき、少し気が引けているのだけど、乗りかかってしまったので続きを書くことにする。これはつい最近晶文社というサイのマークの出版社からだされた『土偶を読む』という意欲的な本の読書感想文に似た書評でもある。 竹倉さんもあとがきでこう書いている「今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」として社会的に承認されることを私は望んでいる。」であれば、ここでの指摘に限らず様々な指摘や反論も本懐だろうと思う。 『土偶を読む』の「はじめに」ではこう述べている「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」 あ
江戸時代の寛政7(1795)年に不思議な風邪がはやったという記録がある。3月上旬、将軍家斉(いえなり)が小金原(現・千葉県)で狩りを行った何日後かに流行が始まり、月末には武家の家来に感染者が目立った▲奇怪なのは、患者の衣に必ず鹿かイノシシの毛がついていたといわれたことだ。ために流行は「御猪狩風(おいかりかぜ)」と呼ばれることになる(富士川游(ふじかわゆう)著「日本疾病(しっぺい)史」)。当時の記録のことゆえ真偽は怪しいが、動物由来の感染症だったのか▲ちなみに江戸時代の風邪の流行には「お七風」「お駒風」などその当時話題の女性の名前や、「琉球風」「アメリカ風」など風邪がやって来たとみられる土地の名前がつけられた。「御猪狩風」は横綱谷風(たにかぜ)が死んだのでも有名である▲こちらは今のところ「武漢風」というところか。中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎に神奈川県在住の30代男性が感
伊豆の国市宗光寺に白旗神社がある。そのご神体は石仏で、同地内にあった清生寺に伝わる「愛宕山縁起」にいわれる地蔵と思われる。清生寺の本尊は愛宕地蔵。天平五(七三三)年狩野川をいかだで下る三島明神造営のための木材の上に乗っていたものを勧請したと伝える「愛宕霊験記」(矢田家文書)が残る。
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