今から約16年前の2002年、当時21歳だった僕は、たまたま仕事を求めて半年ほど暮らした、三重県桑名市の社宅の近所に同和地区があったことから、同和問題に関心を持ち、それから数年ほどの間、この問題についていろいろ調べていた。最近ではあまりこの問題が広く語られることもなく、同和行政、並びに部落解放運動において中心的な役割を担った部落解放同盟自体が、同和行政の終結とともに大幅に同盟員の数を減らし、併せて行政への影響力も失っていったことから、僕自身もこの問題から距離を置くようになってしまったが、当時、調査のために訪れた大阪府東大阪市の旧同和地区、荒本地区を訪問した際に撮影した写真が今でも手元に残っている。 荒本はそもそも北総とは何の関係もないうえ、大阪市からも近く限界ニュータウンとは到底言えない立地で、なぜこのブログでそんな町を取り上げるのかというと、東大阪市は、不正が横行した同和行政の歴史の中で