完全な真空 (河出文庫) 作者:スタニスワフ・レム出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2020/01/07メディア: 文庫この『完全な真空』は『ソラリス』のスタニスワフ・レムの代表作のひとつにして、存在しない書物についての書評集である。もともと単行本として国書刊行会から1989年に出ていたのだが、今回それがはじめて(河出から)文庫化とあいなった。 僕は数あるレムの著作の中でも本書と、存在しない書物への序文だけで構成されている『虚数』を最も愛している。だから、今回『完全な真空』が文庫になったと知った時は大変に嬉しかったものだ。もちろんすでに単行本で読んでいるが、この広大な想像力を一冊の中に閉じ込めた、人生の中でも特別な位置を占めるこのような傑作が文庫の形で本棚に鎮座している事実は、ひっそりと僕に勇気を与えてくれる。 レムの作品をたとえひとつも読んだことがなかったとしても、この本を読めば
名文です。思わず朗読し、配布しまくりたくなる文章です! 作家・島田雅彦氏が、山本太郎氏の国会活動について書かれた本書を書評。 「待望されるのは政治の不毛を笑い飛ばしつつ、常識を覆すリベラルのトリックスターである」 理想主義者の代名詞に「ドン・キホーテ」というのがあるが、山本太郎ほどこの称号にふさわしい男はいない。通例、揶揄のニュアンスが付いて回るが、徒手空拳で巨悪に突撃してゆく蛮勇こそ現在の政治家に最も必要とされる素質である。その理想は憲法に忠実で、あるべき政治道徳に則り、国民に安全で健康な生活を確保しようとする高潔なものだ。国会には七百人以上の議員がいるが、山本太郎と何人かの例外を除けば、ほとんどの議員が多数派の頭数合わせと己が既得権益を守ることしか頭にない。山本太郎が理想主義者として浮いてしまうこと自体が政治の退廃、劣化の証左になっている。 山本太郎の六年間の議員活動はちょうど安倍政権
人喰い (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズIII-8) 作者: カール・ホフマン,奥野克巳,古屋美登里出版社/メーカー: 亜紀書房発売日: 2019/03/21メディア: 単行本この商品を含むブログを見るアメリカ合衆国代41代副大統領のネルソン・ロックフェラーの息子、マイケル・ロックフェラーはハーバード大学で民俗学を専攻した後、ニューギニアのほとんど現代人との接触のないまま生活をおくっていたアスマット族に興味を持ち、接触を繰り返すうちに行方不明になった人物である。行方不明は1961年のこと。そもそも名家の子であること、状況は細かい部分までわかっており、大量の金と人員を動員したにも関わらず死体すら見つからなかったことなど、その行方不明になった経緯があまりにも不可解であったこともあって、非常に話題を集めた事件であったようだ。 日本でもその調査の記録はミルト・マックリン『首狩りと精霊の島 ロ
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで 作者: フェルナンド・バエス,八重樫克彦,八重樫由貴子出版社/メーカー: 紀伊國屋書店発売日: 2019/02/28メディア: 単行本この商品を含むブログを見る 「書物」ではなく「書物の破壊」に注目し、その起源から現代までを700ページ超えの圧巻の物量で概観してみせる凄まじい一冊だ。書物の破壊といっても、災害での消失から、戦争での破壊、思想・心情に反する焚書、虫食いまで様々なわけだが、本書はその全てを対象とみせる。一度2004年に初版が刊行され、後に好評を受け新版が出ているのだが(邦訳の底本はこっち)、そこでは「フィクションの中の書物の破壊」について語る部分まで挿入されており、やりすぎなぐらいにやってくれている。 書物は記憶を神聖化・永続化させる手段である。それだけに今一度、社会の重要な文化遺産の一部として捉え直す必要がある。文
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和 出版社/メーカー: 日経BP社 発売日: 2019/01/11 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る まず、本書の冒頭で「クイズに答えてみよう」ということで以下のような3択問題が出される。 【質問1】 現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を終了するでしょう? A.20% B.40% C.60% 【質問2】 世界で最も多くの人が住んでいるのはどこでしょう? A.低所得国 B.中所得国 C.高所得国 【質問3】 世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう? A.約2倍になった B.余り変わっていない C.半分になった こんな感じの
ヨーロッパの中世を「暗黒時代」、すなわち「暴力と狂信と無知と停滞の時代」とする見方はすでに否定されている。確かに絶え間なく続く戦争と、キリスト教的世界観の浸透と、ローマ教会の支配が築かれ、ギリシア・ローマ時代の知識が少なからず一時的ながら失われた時代ではあったけれども、後に近代を切り開く土台となる様々な技術のささやかながら着実な革新が繰り返された、ゆっくりと着実な進歩の時代であった。その中世ヨーロッパのテクノロジーとイノベーションはどのようなものであったのか、緩やかな技術革命の千年を振り返る一冊である。 別に中世ヨーロッパが栄光の時代であったとか、産業革命に比肩する技術進歩の時代だったなどと言う訳ではなく、ただただ、後進地であったヨーロッパで中世の千年間で起きていた地道な技術的革新の歩みを描いているに過ぎないが、そこにドラマがあり、面白さがある。ジャレッド・ダイアモンドとかウィリアム・H・
一般に、本は読めば読むほど物知りになれると思われがちだが、実際は逆だ。読めば読むほど、世の中はこんなにも知らないことであふれているのかと思い知らされる。その繰り返しが読書だ。 「ディアトロフ峠事件」をぼくはまったく知らなかった。これは冷戦下のソヴィエトで起きた未解決事件である。 1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルク(ソ連時代はスヴェルドロフスク)を出発した。 男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。彼らは当時のソ連でトレッカーの最高資格となる第三級を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格認定の条件は過酷なものだったが、第三級を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。 事
知ってるつもり 無知の科学 (早川書房) 作者:スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック早川書房Amazon「何かを知っている」と言い切るのは、言葉の定義にもよるだろうが、なかなか難しい話だ。たとえば僕は電子レンジがマイクロ波を照射して水分子を振動させることで温度を上げる機械であることを知っているが、そのより詳しいメカニズムはよく知らないし、ましてや自分で部品から電子レンジをつくりあげることなんかできない。 自分を基準にしてしまって申し訳ないが大抵の人が電子レンジについて知っているのはこの程度のものだろう。人間はけっこう賢いし物知りだが、かといって一人で電子レンジを作り上げられるほど、たった1つのモノのすべての側面に精通するほど知ってはいない。本書はそうした”人間の無知”についての本である。われわれはいったいどれほど無知なのか。われわれ無知で愚かな人間はどのように物を考え、どう
「1万時間の法則」というものがある。ネット上でもしばしば話題に挙がるこの法則、どこかで耳にしたことがあるという人も結構多いのではないでしょうか。 これは一口に言えば、「ある分野で習熟して一流になるためには、1万時間の練習が必要である」という主張*1。是非はさておき、1日4時間ずつで計算してみると、1万時間に達するまでに必要な年月は──おおよそ7年。「毎日欠かさず7年間」を実践するのは、なかなかに困難であるように思う。 そもそも、ただでさえ仕事だ何だと忙しくしている日々の生活に、新たに4時間もの時間を割ける人はそうそういない。また、その習慣が定着する前に飽きてしまったり、別のことに興味を惹かれたりする可能性だってある。よほど好きなことでもないかぎり、年単位で活動を継続するのは難しい。 僕自身、こうして好きで書いているブログだって、今年でようやく5年目になります。しかも毎日更新しているわけでも
専門が「価値論、道徳心理学、進化論」*1の哲学教授による進化と倫理学が交錯する分野の入門書。 同じ領域を扱っている本が最近日本でもいくつか出ており、道徳の生得論争や生物の互恵性については『モラルサイコロジー』や『自然主義入門』が、10~12章の道徳的実在論争については『メタ倫理学入門』がそれぞれ本書の理解の助けとなった。さらに知りたい方はそれらの本にすすんでみることをすすめる。 さて進化と倫理の組み合わせといえば非自然科学方面の一部ではあまり評判がよくない。その理由としてよくあるのは ・一度やって失敗してる。 ・価値(規範)と事実には隔たりがある。 ・道徳は文化によって多様だ(例:ある地域では通過儀礼で少年たちは近隣の村の無実の村人の首を切ることが要求される)。 などなど。また、これらの合わせ技で主張されることもある。 上で紹介した本でも記述的な探求の規範倫理学への短絡的な適用については警
人間の生活のすぐ側には、悪魔たちは潜んでいる。 ふとした気まぐれや思いつきによって、人間を残酷な運命へ突きおとす“悪魔”たち。 その存在を、卓抜なアイデアと透明な文体を駆使して描き出した、星新一によるショートショート集がこの『悪魔のいる天国』である。 悪魔の潜む壺を見つけてしまったとある博士のお話『合理主義者』、人間界へと降り立った悪魔が魂を引き換えに社会への復讐の手助けをする『契約者』、仕事として人間を脅していくサラリーマンのような幽霊の日常を書いた『殉職』、人間に代って言葉を交わすロボットインコの話『肩の上の秘書』など、悪魔のでてくる話やそうでない話など全36編が収録されている。 星新一らしいブラックなユーモアの効いた物語が数多く収録される。 「悪魔のいる天国」のここが面白い 仕事をしない悪魔が人間界に降り立ったのだが...「契約者」 この本に収録される物語の中で面白かったものをいくつ
なぜ、この本を買ってしまったのか。当時の購買モチベーションは不明のひとことだ。 筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか? posted with ヨメレバ 千田 琢哉 総合法令出版 2015-01-22 Amazon Kindle 楽天ブックス 7net 《目次》 説得力は胸板の厚さに比例? 筋肉は主張する 自信と集中力がつく 説得力は胸板の厚さに比例? コンサル時代の私は様々な会社の会議に同席させてもらったが、説得力についてこんな事実に気づかされた。 説得力は胸板の厚さに比例するということだ。 もし冗談と思うなら、一度黙って観察してみればいい。 まったく同じことを言っているのに、ヘナチョコ君の意見はあっさり却下されて、バン!と胸が張っている人間の意見は通りやすいはずだ。 マジか。。 胸板が「バン!」と張っていない人間である僕にとっては衝撃の事実(あくまで著者の主張)だ。 米国では
時間がかかりましたが、「聖の青春」を読了しました。 将棋ファンでない方はあまりご存じではないかもしれませんが、「村山聖」という天才棋士がいました。 「いました」と過去形になっているのが残念なのですが、彼はもうこの世にはいません。 5歳の時に腎臓の難病であるネフローゼを患い、そこから何度も入退院を繰り返します。 その病室で「将棋」と出会い没頭していきます。 後に、史上最年少で名人位を獲得した谷川浩司1983年、当時21歳であった谷川浩司が名人のタイトルを獲得しました。 をの姿を見て村山聖も「名人位獲得」を夢見、将棋棋士を目指します。 森信雄七段に弟子入りし紆余曲折を経てプロ入りします。 プロ入りした後も何度も体調不良に陥り、幾度となく不戦敗を喫しながらも「東の羽生、西の村山」と称されるほどに勝ち進み無事、名人への挑戦者の資格を得ることができる「A級」に昇格します。 しかし残念ながら1度の「A
何度か書いていることだけど、このブログの記事の多くは、この書物の自家製増補改訂として書いたものだ。 増補改訂なので、この本に書いてあることは一応前提だけれど、容易に手に入る本ではなかったから、実のところ、この本で学んだことをほとんどそのまま記事にしたことも多い。 というのも、自分の読み方・書き方、いくらかでも身についた学び考えるための手わざは、この本を通して(少なくともきっかけとして)身につけたものだからだ。 このブログで紹介するいろんな〈方法〉がどれも、効果はあるかもしれないが実際のところ面倒くさい「自分の手を動かせ」方式なのも、この本にルーツがある。 他にも、いくつかの幸福な出会いは、この本のコーディネートによるものである。 たとえば幸田露伴を、擬古典主義の大家としてではなく、私淑に値する知のクラフトマンとして知ることができたのもこの本を通じてだった。 徹底して具体的な(つまり読み手が
本書『ナチスの財宝』の冒頭は、1枚の絵画取引の場面から始まります。 その絵は、「琥珀(こはく)の間」に飾られていたモザイク画。「琥珀の間」はその名の通り琥珀で覆われた部屋のことで、18世紀にドイツで原型が作られ、ロシアに寄贈され、第二次世界大戦の折、ドイツがソ連に進軍し、細かく分けて持ち帰ったものです。 「琥珀の間」は、終戦間際に英国軍の爆撃によって燃えてしまった、というのが公式見解とされていますが、実は空襲を察知したドイツ軍が、「琥珀の間」の装飾品などと一緒に運び出して、どこかに隠したのではないか、とも言われています。 ナチスが略奪した「琥珀の間」が、実はいまもどこかに存在している──。 本書の著者で、毎日新聞社のベルリン特派員だった篠田航一さんによると、ドイツにおける「琥珀の間」の財宝伝説は、日本の「徳川埋蔵金」に匹敵するほどの知名度があるそうです。しかし知名度のスケールは同じでも、「
古代天皇家の婚姻の特徴はその強い閉鎖性である、ということを様々な史料を元に当時の東アジア諸国の婚姻関係との比較も交えつつ大局的に描いた一冊。一言で言うと「お兄ちゃんだけど政治目的さえあれば関係ないよねっ」って話(たぶん)。 倭・日本の古代王権は濃密な近親婚によって強い結束力を保とうとした。皇族男性は外部からキサキを迎えることはあっても、皇族女性が非皇族と結婚することはほぼ無く、皇族女性は皇族男性と婚姻関係を結ぶという婚姻規制が存在していた。その特徴は、一つに異母兄弟姉妹婚による同世代婚、もう一つがオジ―メイ婚・オバ―オイ婚による異世代婚である。 六~八世紀を通じて、歴代天皇のキサキを整理するとその多くが異母姉妹か、畿内の諸豪族、一部のほぼ限定された畿内の外(「外国(ゲコク)」)の諸勢力から女性がキサキとなっていることが本書で明らかにされている。 例えば天智天皇の子女四人の皇子と十人の皇女の
ずっと読みたいと思っていた。1932年に描かれた本作はディストピア小説の傑作として、オーウェルの「一九八四年」と並び称されることも多い。その理由は読めばわかる。 西暦2540年、世界は自動車王フォードを神格化し、高度な効率化に基づく高福祉の実現によって安定社会を築き上げていた。人間は工場で生産され、条件付け教育に基づいて欲望は抑えられ、フリーセックスの奨励とソーマと呼ばれる快楽薬はストレスを解消し、遺伝子操作に基づき生まれながらにして定められた階級の中であるべき人生を歩む。共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)をモットーとする「すばらしい新世界」だ。 この作品世界は著者ハクスリーの未来予測に基づいて構築されている。1932年、彼は未来をどのように予測したか、本書に収められた1946年の「著者による新版への前書き」で詳しく語られているが、この前書きは実に鋭
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