ただ、これ、読み終えたからいえるのですが、なろう小説はあまり関係ないんじゃないかなあ。 最初から最後まで舞台は現代社会だし、「転生」という概念をキーに物語が進むことはたしかであるものの、逆にいうとそれだけのことでしかなく、「なろう小説らしさ」はほとんどない。 なろう的なものからインスパイアされていることはたしかだとしても、とくになろうに対するパロディ性とか批評性も感じない。いちおうネタバレを避けたうえでいうなら、SFとしてもそこまですごい作品ではないと思う。 ただ、それなら箸にも棒にも掛からぬ駄作なのかといえばそこまででもない感じではあるので、ぼくの感想は「うーん、普通?」というどうにも煮え切らないものになってしまう。 しょうじき、「読む前は見下していたけれど、思わぬ傑作でした!」とか「あまりのつまらなさに大草原不可避wwwwwwwwww」みたいなことを書けたら良いと思うのだが、どうもそう
大型トラックに轢かれて異世界に転生し、電車にはねられて異世界に転生し、通り魔に刺殺されて異世界に転生し、頭を打ったり、病気になったり、過労死したり、はたまた特に何もなくても転生してしまう。水洗トイレに流されたのは転生じゃなくて転移ものだったっけ。異世界転生と呼ばれる物語群は、今日も今日とて右から左へこちらからあちらへ転生者を送り出して大繁盛しているようだ。今さら説明の必要も薄いかと思われるが、異世界転生の中でも「なろう系」と称される種類の群れは、すなわち小説投稿サイトの先発「小説家になろう」において発祥し、あまたのアマチュア作家たちによって書かれ、WEB小説読者たちに読まれ、出版前からあらかじめ高い人気を得ている作品を書籍化して売るという、きわめて民主的かつ商業主義なやりかたで市場を拡大していったものだ。これは、「書籍化」や「作家」という言葉の意味さえ変容させてしまうほどの現象だったと言う
https://anond.hatelabo.jp/20240506061423 短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。 多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。 なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。 短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうと
「左川ちか」というテキストをめぐる雑感 はじめに テキストを編むとはどういうことだろう。最近そんなことを思う。 左川ちかの詩集は主に以下のものがある。それぞれに編者の見識のもと編まれたものだ。 ・伊藤整編『左川ちか詩集』(昭森社、1936) ・小野夕馥・曾根博義・川崎浩典編『左川ちか全詩集』(森開社、1983)※2010年に新版、2011年に飜訳詩集 ・紫門あさを編『左川ちか資料集成』[The Black Air:Collected Poems and Other Works of Chika Sagawa](えでぃしおん うみのほし、東都我刊我書房.2017)※2017年に同編『左川ちか詩集 前奏曲』など ・島田龍編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022) ・川崎賢子編『左川ちか詩集』(岩波文庫、2023) さて、岩波文庫版『左川ちか詩集』(2023年9月)刊行から9カ月ほど経った。同書
2023.12.30 18:00 「ガウェインの結婚」を歴史の授業で使わないで!~中世の英文学と女性がもっとも望むこと 2年ほど前に「世界史講義録」というウェブサイトの「最初の授業」という記事がバズったことがありました。これは高校世界史の授業初回で、アーサー王伝説の「ガウェインの結婚」をとりあげ、歴史は面白い……というような話の枕にするというものです。 詳しくはリンク先の元記事を読んでいただきたいのですが、非常にざっくり説明すると、アーサー王が敵の騎士から「すべての女性がもっとも望むことは何か」という問いを出され、それの答えが「自分の意志を持つこと」だったという話をネタに、「700年から500年くらい前の時代につくられた物語」なのに既に女性の人権に関係するようなトピックを取り扱っていて現代的だ……という内容です。 このウェブサイトの講義は、2009年発行の竹田青嗣『中学生からの哲学「超」入
大江健三郎の「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」は、1961年『文學界』2月号に掲載されたが、右翼の抗議にあい、出版社側が謝罪したため、2018年7月に『大江健三郎全小説3』に収録されるまで、長らく単行本未収録の封印作品となっていた。 実は、鹿砦社から出た『スキャンダル大戦争2』という本に、深沢七郎の「風流夢譚」と一緒に無断で収録されていて、俺もそれを持っていたのだが、雑誌からのコピーをそのまま掲載しているので文字がかすれていて読みにくいうえ、いつでも読めるからという安心感から、長らく放置していたのだが、フォロワーがリツイートした下の大塚英志のツイートがきっかけで、再度興味を持つことになった。 大江健三郎が「政治少年死す」で引用している藤森安和の詩集「15才の異常者」。持ってたはずが発掘できす古本屋から取り寄せた。坂本龍一がラジオで突然朗読したりしたんじゃなかったか? pic.tw
著名人が自ら、ヤクザの子であると明かすことは珍しい。まして、それが文学者となればなおさらだ。その証言をもとに父親の足跡を追った、暴力団取材の第一人者による渾身のレポートである。フリーライターの鈴木智彦氏がレポートする。(文中敬称略)【前後編の前編】 * * * SNSを通じ、詩人の伊藤比呂美から連絡があったのは令和3年8月だった。 「父のことを調べて『サカナとヤクザ』にたどりつきました。高橋寅松は伯父にあたります。父はその代貸であった伊藤一彦というものです」(DMより抜粋) 「高橋寅松」と「伊藤一彦」は、拙著『サカナとヤクザ』(小学館刊)の第四章『暴力の港・銚子の支配者、高寅』に登場する博徒の貸元と幹部である。代貸という役職は「貸元の代理」という意味で、博奕を開帳する貸元から全権委任される現場責任者だ。組織ではナンバー2で、現代暴力団でいう若頭や理事長に当たる。 日本有数の漁港である千葉県
Kenzaburo Oe, a Nobel laureate whose intense novels and defiant politics challenged a modern Japanese culture that he found morally vacant and dangerously tilted toward the same mind-set that led to catastrophe in World War II, died on March 3. He was 88. His publisher, Kodansha, announced the death on Monday. It did not specify a cause or say where he had died. Mr. Oe (pronounced OH-ay) was award
ジュディ・ブリッジウォーター(Judy Bridgewater)という歌手をご 存知だろうか。 ジュディは、英国のブッカー賞作家、カズオ・イシグロの小説 『Never Let Me Go』(邦題『わたしを離さないで』)の中で語ら れる女性ジャズヴォーカリスト。 彼女の歌う『Never Let Me Go』は最高です。 ようやく生まれた子供に対する切実な愛を、切実なゆえにかすか に抱く不安とともに「オ-、ベイビ-、ベイビ- わたしを離さない で」と歌うところが、何とも言えません。 歌は1956年録音のLPアルバム『Songs After Dark』(『夜に聞く歌』) に入っています。 では、ジュディ・ブリッジウォーターとはどんな感じのジャズ歌手 なのでしょうか。 LPジャケットのジュディは、 「紫色のサテンのドレスを着ています。 こういうふうに肩を剥き出しにするのが当時の流行だったのでし ょ
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