国吉康雄(くによし やすお, 1889-1953)と清水登之(しみず とし, 1887-1945)は、若くしてアメリカに渡り、働きながら美術を学びました。二人はともに1910年代から20年代初めのニューヨークで画家としての自己を確立し、国吉は日本画や古いアメリカ絵画の技法を取り入れた作品で、また清水は哀歓あふれる庶民の暮らしを描く作品で高く評価されました。1920年代のパリもそれぞれに体験し、彼らの画業はさらに充実しました。清水の日本帰国後も二人の友情は続き、清水は国吉の成功をたたえる文章を雑誌に寄稿しています。 ところが彼らは後半生において大きく異なる道を歩むことになりました。国吉は日米開戦後もニューヨークの画壇や母校アート・スチューデンツ・リーグでの立場からアメリカに残り、清水との共通の友人でもある石垣栄太郎・綾子夫妻とともに日本の軍国主義に対抗する活動を行いました。一方、1927(昭
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