斗南藩の歴史たどる 「先人の偉大さ痛感」 みやぎ会津会 広沢安任ゆかりの品々を見学するみやぎ会津会の会員ら 戊辰戦争後に移封された会津藩士らによって現在の青森県三沢市などに築かれた「斗南藩」の苦難の歴史をたどろうと、宮城県在住の福島県会津地方出身者でつくる「みやぎ会津会」が2日、「ふるさと訪問ツアー」として三沢市などを訪れた。 会員15人が参加し、「斗南藩記念観光村・先人記念館」を見学。戊辰戦争後に会津から移り住み、1872(明治5)年に日本初の民間洋式牧場「広沢牧場」を開設した斗南藩士、広沢安任(1830〜91年)の写真や刀、文献など、ゆかりの品々を見て回った。 会長の須佐尚康東洋ワーク社長(福島県金山町出身)は「会津から見知らぬ土地に移り住んだ苦労は並々ならぬものだっただろう。先人の思いと偉大さを痛感した」と感慨深げだった。 一行は青森県十和田市も訪れ、「十和田会津会」のメンバー
中国残留邦人が帰国後に呼び寄せた子や孫世代らの生活状況について、神戸大の浅野慎一教授(社会学)が調査したところ、月収10万円未満が半数近くに上り、生活保護受給者は3割超という困窮した実態が明らかになった。 中国残留邦人支援法の対象外となっている残留邦人2、3世への調査は初めて。半数以上が言葉の壁を抱えたままであることも判明。浅野教授は「年をとってからの来日で無年金の人も多い。このままでは保護受給者が増え、自治体の負担が大きくなる。国が自立支援策を整備すべきだ」と指摘している。 第2次大戦の終戦前後の混乱で、中国に残された中国残留邦人。1972年の日中国交正常化後、同法に基づき、国費で永住帰国した残留邦人とその家族は今年5月末までに2万786人いるが、帰国後に中国から呼び寄せた親族は、入管難民法で永住帰国が保障されているにもかかわらず、支援法の対象外で、厚生労働省も正確な人数など実態は把握し
超党派の国会議員が「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(シベリア特措法)を、議員立法の形で今月中に国会へ提出することを目指している。国がシベリア抑留者に特別給付金を支給し、抑留問題の全容解明などを目指すものだ。成立すれば、元抑留者たちの長年の悲願がかなう。【栗原俊雄】 昨年9月の政権交代で、全国抑留者補償協議会(全抑協)の期待は高まった。民主党や鳩山由紀夫首相はシベリア抑留者に関する法律制定に意欲を示していたからだ。しかし、半年余りたっても、事は進まなかった。 全抑協は今年4月23日、鳩山首相あてに「要望書」を提出した。「昨年夏までは『政権交代後に』と言われ、すでに東京の桜も散って、残りの会期も1カ月半程度です。本当に速やかな法案成立を鳩山総理以下も願い、指導性を十分に発揮していただいているのでしょうか? 最終的に形にして、結果を出していただくことができなければ、失望を超えて、怒
徳川家康が鷹(たか)狩りなどで休憩所として使った「府中御殿」の跡とみられる遺構が、東京都府中市本町の遺跡から見つかった。古代武蔵国の国司の館(やかた)跡とみられている建物跡の発掘調査地で発見されたもので、もともと府中御殿はこのあたりに建てられたとされてきたが、正確な場所は特定できていなかった。 (八王子通信部・布施谷航) 府中市文化振興課の担当者は「古代から近世にかけ、府中が地域の要衝として重視され続けた貴重な証拠」と意義付けている。 遺構が見つかったのは七〜八世紀に建てられた国司の館跡とみられる遺跡の北側。国司は奈良、平安時代に国ごとに置かれた。 一方、府中御殿は安土桃山時代の一五九〇年に家康が建てたと伝えられている。今回の調査で、数十メートルにわたって小さめの穴が連続して見つかっており、同市は府中御殿の柵や塀の跡とみている。当時のものとみられる陶磁器や鉄くぎも見つかった。建物の広さなど
【モスクワ=貞広貴志】第2次世界大戦中の1940年にソ連の秘密警察が捕虜のポーランド軍将校ら約2万2000人を虐殺した「カチンの森事件」から70年を迎え、追悼集会が7日、ロシア西部スモレンスク郊外で行われた。集会には、プーチン露首相とポーランドのトゥスク首相が初めてそろって出席、慰霊碑の前でひざまずき、緊張が続いた両国関係の歴史的和解に一歩をしるした。 式典でプーチン首相は、「全体主義による残虐行為は明白で、決して正当化出来ない」と述べ、事件に対するソ連の責任を認めた。 ソ連は戦後、事件をナチスの犯行と主張してきたが1990年にゴルバチョフ大統領がソ連の関与を認め謝罪した。ただ、ポーランド議会が2005年、事件をジェノサイド(集団殺害)と認めるよう要求したことなどで、ロシア側に再び反発が生じていた。 プーチン首相は、昨年のポーランド訪問で事件を「犯罪」と呼び、許しを求めた。北大西洋条約機構
23日に公表された日韓歴史共同研究報告書。韓国側は「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆の中心となった扶桑社、自由社版の中学校教科書を執拗(しつよう)に批判する一方で、東京書籍など他社の教科書については、「日本の行為に批判的に書かれている」として、日本国内の自虐史観を“評価”する記述も随所にみられた。 教科書小グループの報告書では、近代の戦争記述などを取り上げた鄭在貞ソウル市立大教授が「新しい歴史教科書」について「まるで日本が西洋勢力の支配からアジア諸国を解放しようと引き起こしたかのよう」と強く批判した。 同教科書が太平洋戦争の日本側の呼称である「大東亜戦争」を使っていることについても、「侵略戦争を主導した『大日本帝国』の当局者が羊頭(ようとう)狗肉(くにく)として掲げた『大東亜戦争』をわざわざ踏襲」と批判がエスカレート。「日本の一部の教科書が公然と『大東亜戦争史観』を標榜(ひようぼう)する
いまこそ中国論(8) 中華民族 2010年01月30日歴史海外 青木岳陽 http://www.janjannews.jp/archives/2457032.html 中国は人口13億人、56の民族から成る多民族国家で、90%以上を漢族が占めます。ところで、中国人という概念は非常に曖昧であり、「中国に住み、漢語を話す者が中国人である」又は「自分が中国人だと認識している者が中国人である」くらいしか定義づけできません。中国政府が好んで用いる中華民族にも実体はなく、人為的なものです。 最大民族である漢族にしても、秦の始皇帝以後の歴史において、中原地方の民族が漢字や商業活動を通じて共通性を持ち、周辺諸民族を融合しながら広大な中国に満ちていったもので、そもそも南北で主食や住居などの生活様式や方言が完全に異なっています。 農耕民族を主体とした漢族王朝であった宋朝や明朝の領域は、現在の中国に比べ
韓国人より韓国史に関心高い日本の「歴女」たち 韓流 | 『イ・サン』 日本の「歴女」たちの間で今、韓国王朝ツアーが人気を集めている。歴女とは「歴史に関心がある女性」という意味の新語で、日本では最近、書籍、ドラマ、映画、旅行などの有力な消費層として浮上している。日本経済新聞は第一生命経済研究所の報告書を引用し、歴女の消費市場規模が700億円に達すると報じた。 韓国の王朝ツアーも最初は単純なものだった。日本に進出した韓国のKIツアーが日本人観光客を対象として、2007年4月にソウル、公州松山里古墳、扶余博物館、定林寺跡五層石塔(扶余市)など百済期の文化遺産をめぐる日帰りコースを組んだのが始まりだ。同社のユン・ソンチョル代表は「日本の中学、高校生の修学旅行などで仏国寺などが日程に入れられることはあるが、王朝の遺跡や歴史遺物の見学だけで日程を組んだのは初めてだった」と振り返る。このツアーは「百済浪
韓国・釜山市が、江戸時代に朝鮮から日本を訪れた朝鮮通信使を紹介する市立歴史館を、市内の子城台(チャソンデ)公園内に新設することがわかった。 近く着工し、2010年末に開館予定。在大阪韓国総領事館などによると、日本との親善の歴史を紹介する韓国内の公的施設は異例という。 総事業費は35億3000万ウォン(約2億7400万円)。市は、通信使の関連資料を展示するほか、日韓文化交流に関するセミナーなども開催し、日本との交流の拠点として活用する方針。同総領事館の金鍾浩(キムジョンホ)・韓国文化院長は「21世紀における韓日友好の象徴になることを期待したい」と話している。 ◇朝鮮通信使=豊臣秀吉の朝鮮出兵後、断絶していた国交を回復するため、徳川幕府が朝鮮側に派遣を打診して実現。1607年から1811年まで12回、政治家ら数百人が来日した。
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