[ベガルタの“昇”因](上)生え抜き成長待った丹治プラン 試合前、梁(左)にキャプテンマークを巻く丹治強化部長 昨年末に勃発(ぼっぱつした手倉森監督の解任騒動。ベガルタの丹治強化部長は当時、語気を強めて言った。「オレさ、このクラブが本当に好きなんだよ。でもな。テグさんがクビになったら、オレも辞めるからな」。04年の強化部長就任後から5年をかけて進めてきたチーム強化の流れが、手倉森監督がチームを去ることで途絶えてしまうのが許せなかった。結局、指揮官は続投。“丹治プラン”は継続した。 32歳で強化部長になった時、チームは2001年末の初のJ1昇格からわずか2年でJ2落ちが決定。どん底のチーム状態の中、温め始めた強化プランは、その際の反省から生まれたものだった。「最初の昇格は実績のある選手が集まって達成した。でも、J1に定着するには若い選手を育てていく必要性を痛感した」。01年の昇格は、元日本代