<body> </body>
物事は入り口と出口だけ見るとすっきりわかることがある。エジプト争乱について、統治形態(regime)という点から入り口を見ると、曲がりなりにも、統治には行政府が存在していた。では、出口は、というと行政府は消えて、軍の最高評議会が現れた。 エジプト争乱の過程では、行政府が消え、軍が国家を掌握した。この入り口と出口から事態を定義するなら、普通は、軍によるクーデターとなる。 革命なら、入り口に独裁政権があり、出口に議会(人民会議)がある。この事態は、してみると、革命とは言い難い。 あるいは、軍政はごく一時的なものであり、市民から選出された代議員による議会が主導し、国民の意思で大統領選出させて行政府が立ち上がるなら、それは民主化革命と呼ぶにふさわしい。どうなるのか。 12日5時のNHKニュース「大統領権限 軍の最高評議会に」(参照)はこう伝えている。 エジプトでは11日夜(日本時間の12日未明)、
エジプト情勢(今後の内政) 2011年02月12日 11:30 エジプト中東関連 ムバラクが辞任しましたが、今後のエジプトがどこへ行くのか、余り新しい情報が入ってこない段階で取りあえずの考えをまとめておこうと思います。 後から読み返してみれば、おそらくとんでもない見当違いの意見であることは間違いないと思いますが、時々はそのような作業も後から反省するための材料として必要でしょう。 先ず内政の方ですが、タハリールの連中もオバマも真の民主主義を、と叫んでいますが、それがそう簡単でないことだけはまず確実でしょう。先にジャスミン革命とやらを成し遂げたチュニジアでさえ、未だその行き先は不確定で真の民主主義が実現するかは不透明です。 チュニジアに比べれば、エジプトは大国で、社会や国のあり方もずっと複雑で、この「大国」は巨大タンカーと同じで、そう簡単に舵の切り替えができるとは思えません。何しろ基本的にはナ
大規模なデモ 退陣に追い込む 2月12日 2時3分 エジプトのスレイマン副大統領は、日本時間の午前1時すぎ、国営テレビを通じて声明を発表し、ムバラク大統領が辞任したことを明らかにしました。30年近くに及んだムバラク政権は、市民が連日行った大規模な反政府デモによって退陣に追い込まれました。 現地時間の午後6時すぎ(日本時間の午前1時すぎ)、スレイマン副大統領が国営テレビで声明を発表し、「国内の厳しい状況を受け、ムバラク大統領は大統領職から退くことを決断した」と述べ、ムバラク大統領が辞任したことを明らかにしました。そのうえで「大統領の権限は、軍の最高評議会に委譲された」と述べ、大統領権限が国防相と軍のトップからなる軍の最高機関に委譲されたことを明らかにしました。関係者によりますと、辞任したムバラク大統領は、11日、家族とともに、首都カイロを離れ、シナイ半島南部の紅海に面した保養地、シャルムエル
エジプトのムバラク大統領が辞任。スレイマン副大統領が発表。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く