1889年12月5日、兵庫県明石市で米穀商の三女(第4子)として出生した。 1910年4月の20歳の時に、大阪市東区(現・中央区)内本町橋詰町の「箸吉(はしよし)」の息子吉本吉兵衛(通称:吉本泰三)と結婚(実際には1907年12月の18歳のころから結婚生活であった)。「箸吉」は、高級料亭に箸を納める老舗荒物問屋であった。 1912年(明治45年)4月1日、夫婦で天満八軒[注釈 1]の一つ「第二文芸館」を買収し、寄席経営をはじめる。 1913年(大正2年)1月、大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に「吉本興行部」を設立。 1928年(昭和3年)、紺綬褒章を受章[1]。 1948年、晩年の吉本せい 1932年(昭和7年)3月1日に吉本興行部を改組する形で「吉本興業合名会社」を発足。 1948年1月7日、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組。会長に就任。 1950年3月14日、