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雲仙・普賢岳に関するmk16のブックマーク (2)

  • 普賢岳大火砕流から25年 災害報道に教訓 佐賀 (佐賀新聞) - Yahoo!ニュース

    43人が犠牲になった雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から3日で25年になる。記者やカメラマン16人が死亡し、災害報道の在り方に教訓を残した現場には、佐賀県三養基郡みやき町の元カメラマン眞子生次さん(69)もいた。脳裏に焼き付いている光景は、報道の使命と安全のはざまで葛藤した体験の記憶でもある。 「しとしと雨で5、6合目まで霧の向こうに隠れていてね。その中から、わっと噴き出てきた」。1991年6月3日午後4時8分。眞子さんは大火砕流の瞬間を鮮明に覚えている。 当時は全国紙の佐賀支局の嘱託カメラマン。最初の火砕流が発生した5月下旬、現地に入った。火口から直線で4キロほど離れた場所などに報道陣はいた。「何度も火砕流は起きていたけれど、遠くで煙がぽーんと上がるだけで、大したことないと思うようになっていた」。油断が生じた時、地響きとともに突如、大火砕流が眼前に現れた。

    普賢岳大火砕流から25年 災害報道に教訓 佐賀 (佐賀新聞) - Yahoo!ニュース
    mk16
    mk16 2016/06/04
    危険地帯の取材契約の法律が必要。特に救助救命の義務の放棄を契約させる必要がある。
  • 雲仙・普賢岳の大火砕流から25年 慰霊碑に献花 | NHKニュース

    43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から3日で25年となりました。大きな被害が出た島原市では、朝から多くの市民が慰霊碑に花を手向けて犠牲者を追悼しています。 大火砕流から25年を迎えた3日、噴火災害で自宅を失った110世帯余りが移り住んだ島原市の仁田団地にある公園では、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑の前に献花台が設けられ、朝早くから市民や市の関係者などが献花に訪れています。 このうち、島原市の古川隆三郎市長は白い菊の花を手向けたあと深く一礼して犠牲者を追悼していました。また、災害当時、島原市の市長だった鐘ヶ江管一さんは目をつぶって静かに手を合わせ、亡くなった人たちを悼んでいました。 古川市長は「25年前を思い起こすと改めて自然の脅威を思い出します。尊い犠牲のもとに島原市は復興を成し遂げました。有明海を挟んだ対岸で起きた熊地震にも思いをはせ、改めて災害の教訓を風化させることなく伝

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