神社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を主に手がけている。旧来からの伝統的な建築を得意分野としてきたが、神社仏閣にもコンクリート建築が増加したことにより大手ゼネコンとの価格競争に巻き込まれた結果、売上の減少や資金繰りの悪化により経営危機に見舞われたため髙松建設が支援を行った。 2005年11月に、同社が設立した受け皿会社(以下「新・金剛組」)に主力の寺社建築事業を譲渡するとともに、従業員の大半も新・金剛組へ転籍した(新旧分離)。現在は本業の宮大工に立ち戻り、100人以上の宮大工を抱えている[4][5][6]。 20世紀初頭の金剛組 578年、四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水〈はやみ〉、永路〈ながみち[7]〉)のうちの1人である金剛重光(こんごうしげみつ[7])により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。 593年