ラパッロ条約(ラパッロじょうやく、ドイツ語: Vertrag von Rapallo、露: Рапалльский договор)は、1922年4月16日、イタリアのラパッロにおいてブレスト=リトフスク条約と第一次世界大戦に基づく領土及び金銭に関する主張を互いに放棄した上でドイツ(ヴァイマル共和政)とソビエト・ロシア(ロシア社会主義連邦ソビエト共和国)との間で成立した条約である。 両国政府は、両国間の外交関係を正常化し、「相互親善の精神により両国の経済的必要を解決するため協力する」(第5条)ことにも同意した。 ラパロ条約とも表記される[1]。 1922年4月10日よりジェノヴァで開催されていたジェノア会議が成立の契機となった[1]。この会議ではソビエト・ロシアの代表も招かれたが、戦時中の債務と革命の最中に国有化された外国人資産の補償をめぐり意見が衝突した[1]。またドイツの賠償問題も討議