「文字は体を表す」とか、「言葉の乱れは世の中の乱れ」などといわれ、それを用いる人が内在する意識や感情を無意識的・間接的に表に出して表現する、所謂延長自我の発露だとされ、またコミュニケーション、すなわち意思の疎通を図るには、双方に通じ合える共通の符号(言葉や態度などの通信交流媒体)が必要で、相手が英語で発信しても受け手が日本語しか理解できなければ意思は円滑に通じず、それを手振りや動作で示せば通じ、この両手法を同時に用いれば、更に理解され易すく印象も強く残るという体験をされたこともあろう。 しかし近年の日本では、その定義や字義を深く理解することなく、何を目的や主要本業としている会社なのかが万民に正しく理解され難いカタカナ和製略英語の社名の企業や製品が横行し、また同類の仲間内だけでしか通用しないような、たとえば「ゆるキャラ、婚かつ、イタメシ」などといった言葉、あるいは特定の有識者にしかわからない