1967年、『手記』を原作とする映画『斜陽のおもかげ』が公開された。新珠三千代と吉永小百合。 父は太宰治、母は太宰の代表作「斜陽」の主人公「かず子」のモデルとなった太田静子[1][2]。当時妻子のいた太宰は文学を志す静子との関係が生じ、生まれてきた娘に、「治」の一字を与えて認知した[3]。翌年、太宰は玉川上水で自殺し、以後は炊事婦や寮母など働きづめで生計を立ててくれた静子や静子の兄弟らの愛情・支援のもと育つ[4]。私立青葉女子学園高等学校[5](東京都世田谷区世田谷。1988年頃に廃校)を経て明治学院大学文学部(英米文学)卒業[1]。 1967年、紀行文『津軽』で婦人公論読者賞を受賞[6]。その後刊行した『手記』は、吉永小百合主演でラジオ化、映画化された(『斜陽のおもかげ』)。1972年、110枚の小説「私のハムレット」を『新潮』に載せたが、一行の批評も出なかった(『心映えの記』)。 幼い