ことの発端は平成から令和にかけてのフランス遠征 平成最後の日となった今年の4月30日。日本から遠く離れたフランスに武豊の姿があった。令和最初の日となる翌5月1日、パリ近郊のサンクルー競馬場で行われるミュゲ賞で、ジェニアルに騎乗するための遠征だった。同馬は栗東・松永幹夫厩舎の管理馬として海を越えた昨年、メゾンラフィット競馬場で行われたメシドール賞(G3)を優勝。フランスに滞在したまま更に2戦を走った後、現地で開業する日本人調教師の小林智の厩舎へ転厩。その初戦としてこのミュゲ賞にエントリー。鞍上は引き続き武豊を予定していたため、天才ジョッキーはかの地に入った。しかし、残念ながら同馬は出走態勢が整わずに回避。レース前夜と当日の夜に、パリ市内のレストランで残念会が行われた。 武豊や小林智、そしてジェニアルのオーナーである松島正昭(名義はキーファーズ)らが集ったその宴に、ありがたい事に私も呼んでいた