セミが鳴く中、昆虫採集を楽しむ子どもたち。 本格的な夏がやってきました。 ところでみなさん、虫さわれますか? 私は苦手です。 小学生の頃は、大好きだったのに。 「なんで苦手になったんやろか…」 理由を探ると、私たちの生活を脅かしかねない深い問題が明らかに。 「虫」だけに「無視」できない話です。 (大阪放送局 なんでなん取材班 宗像玄徳 野阪綾音) 昔はワクワクしたのに
誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、作家の太田明日香さんに寄稿いただきました。 以前は書籍編集者として働いていた太田さん。仕事を始めた当初はどんな本を作るのも楽しめていましたが、他の編集者の活躍との比較、「編集者は〜〜でなければいけない」という周囲の声やそこから来る思い込みによって、徐々に編集の仕事をつらいと感じるように。思い切って編集の仕事から離れてみたことで、それまで自分が囚われていた価値観に気づいたといいます。 「本を作るために自分を変えなくては」という考えから離れ、ふたたび「本作りが楽しい」と思えるようになるまでの過程を書いていただきました。 ***2020年まで私は、フリーランスで商業出版物の編集の仕事をしていました。 出版社から本作りの依頼を受け、著者やデザイナーさんとやりとりしながら一冊仕上げるもので、これまで担当してきたのは料理書、
吉澤準特|6/1出版『ロジカルシンキングと問題解決の実践講座』 @juntoku_y 根本的な帰属誤認: 彼が授業に遅刻したのはだらしないから、私が遅刻したのは朝の状況のせい 自己奉仕バイアス: 失敗は周りのせい、成功は自分の力 グループ内好意: 太郎は仲間だし、つきあいのない健司よりは親しみがもてる バンドワゴン効果: 友だちみんなサッカーやってるからサッカーやりたい A.S.|初瀬四季 @A_S_17697879 僕「企業の漫画が炎上したらしい」 友「えぇ」 僕「次話はどうするのが正解かな?」 友「自粛?」 僕「自粛するとアンチは自分の手柄って喜ぶし、投稿すると内容に変更がなくても、自分のおかげで内容が良くなったと喜ぶ」 友「自己奉仕バイアス」 僕「結局なにしても喜ぶから投稿するのが正解」 pic.twitter.com/Ohh3nnOmkL
人間が備えている認知バイアスのうちもっとも凶悪なものは、自分の経験した苦労はそれがどれほど無意味なものであろうと有益だったと考えたがる傾向だろう。生が本質的に不合理なものである以上、僕たちは不可避的に全く無意味な労苦や不幸に見舞われる―――しかもこれといった理由もなく。人は、そういった不合理が耐えがたいために、自分の経験した不幸や労苦には何らかの意味があったと正当化することで精神の平衡を保とうとするのだ。 たとえば、ある会社の新入社員は毎年全く根拠のない精神論的訓練で構成された研修で人格否定を受けるのが習わしになっているとしよう。罵倒されたり大声を出したり走り回ったりわけのわからない文言を復唱させられたりする。これらの経験はその時ばかりは耐えがたい屈辱、無意味な苦行に過ぎないが、時間を経るほどに記憶に対してはこの経験を正当化しなければならないという力がはたらく。すると、これらの苦痛の経験が
むいたん @yasmuimui ある車椅子の人が話していた事 ・「大丈夫?」と聞かれると反射的に「大丈夫!」と答えちゃうので、【手伝うことはありますか?】と聞いて欲しい この教えが今日役に立った 道で四つん這いになってる女性がいて、咄嗟に↑の教えを思い出し 「どうしました?手助けすることはありますか?」と(続) むいたん @yasmuimui そしたら「つわりが…」と。妊婦さんだったのね 通りすがりの男性と一緒に両脇から彼女を抱え、近くの店の椅子に座らせたのね 「他にして欲しい事はあります?」と聞いたら「水を…」と もし『大丈夫ですか?』って聞いてたら、具体的な要望を聞き出せなかったと思う(続)
具体的な数字やデータを示してもダメ。明晰な論理で説いてもムダ。そんなとき、あなたはきっとこう思ってしまうのではないか。「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」。 実際問題、日々の生活でそんな思いを抱いてしまう場面は少なくないだろう。失敗例がすでにいくつもあるのに、それでもまだ無理筋を通そうとする社内のプレゼンター。子育てのあり方をめぐって、何を言っても聞く耳を持ってくれないパートナーなど。また不思議なことに、たとえ高学歴の人であっても、「事実に説得されない」という点ではどうやらほかの人と変わらないようだ。 さて本書は、冒頭の問いを切り口としながら、人が他人に対して及ぼす「影響力」について考えようとするものである。心理学と神経科学の知見を織り交ぜつつ、著者は早々に厳しい診断を下す。 多くの人が「こうすれば他人の考えや行動を変えることができる」と信じている方法が、実は間違っていた…。 数字や統
2022年09月30日22:00 死ぬ気で瞑想していたら別人になってしまったんだが 過去のおすすめ記事の再掲です1: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/04/20(水) 23:37:19.29 ID:/nUu3t/O0.net 10年位前、毎日死ぬほど瞑想してた。 ショッキングな出来事があって、以来 別人になったような感覚なんだが。 (記憶は連続してるけど、何かが根本的に違う) 2: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/04/20(水) 23:39:30.96 ID:/nUu3t/O0.net 勝手に語ってく。 10年程前、半年ほどの期間ではありましたが 極度に瞑想を追究した時期があります。 命を賭して知覚の扉を啓こうとしたのです。 その時、色々と体験したのですが、一つ忘れられない体験があります。 そのことについて書いていきたいと思います。 脳内麻薬 人間を支
むかしからなんでも斜にかまえるクセがある。 行列を見ては「よく並ぶねえ」と思い、流行りの曲を聞いては「これが流行ってんのね」と少しうがった目で見てしまうのだ。 そこでふと「斜にかまえる」「かまえない」を意識的に切り替えるとどういう感情になるのか気になった。実験してみます。 やり方 簡単にやり方を説明すると ①何かモノなどを目の前に置く ②それに対し、1分間は斜にかまえ、もう1分間は斜にかまえずに感想を言う。これだけだ。 ちなみに「斜にかまえる」を辞書で調べると、「物事に正対しないで、皮肉やからかいなどの目で見ること」とある。 わかりやすく言えば、1分間は皮肉めいた目で見て、1分間は素直に感想を言ったり肯定してみたりする実験である。 ひとりじゃ心もとないので、今回は後輩と一緒にやることにした。 後輩の郡司さん(左)と山宮さん(右)。二人とも斜にかまえがちな性格を自覚しているそうだ。 とりあえ
自責の念・羞恥心が欠如している ソシオパス(社会病質者)のほとんどは、悪行を犯しても自責の念をまったく感じない。平気で他人を肉体的に虐待したり、公衆の面前で恥をかかせたりする。本物のソシオパスは、他人を傷つける、操作する、嘘をつく、あるいは一般的に反社会的な行動を取るなどしても、何も感じない。 悪行を働いても、それに対する非難をまったく受け入れず、代わりに他人を非難する場合がほとんどである。 自分の目的を果たすためには、いつ何時でも、いかなる人をも傷つけることをいとわない。こうした性格が、彼らに成功者が多い理由でもある。しかしながら、ソシオパスは人を苦しめて楽しんでいると考える人が多いが、実際は違うことが多い。自らが満足するために行動しているだけで、その行動が他人に与える影響を考えないのである。 彼らは動物に対しても冷酷であり、やはり良心のとがめなどはまったく感じない。 絶えず嘘をつく ソ
考えてもしょうがないことを、何度も繰り返し考えてしまうこと ってありませんか? やるべきことがたくさんあるのに、それほどやりたいわけでもないゲームやネットをダラダラやってしまうこと ってありませんか? そういう無駄な思考と行動を減らせれば、 人生は、もっと、ずっと豊かになると思いませんか? 僕の場合、そういう無駄な思考と行動を減らすのに、 今までで、一番、コスパが良かったのが、 いわゆる、第三世代の行動療法のACTでした。 行動療法? 医療機関でやるの? めっちゃお金と時間がかかりそう。 いやいや、ぜんぜん、そんなことないよ。 専門の医療機関に行かなくても、手順書さえあれば、誰でも、簡単に、自分一人でできるんだ。 半日でできる。 そして、その効果が、何ヶ月も持続する。 場合によっては、何年も続くかもしれない。 瞑想に比べると、圧倒的に、お手軽だね。瞑想の場合、効果が出るまでに、何週間もかか
例えば会社の飲み会や結婚式の二次会などで、周りがガヤガヤとにぎやかでも、会話をしている相手の声が聞こえないなんてことはありませんし、遠くからでも自分の名前を呼ばれたらすぐに気づきますよね。これを心理学では、 カクテルパーティーのように、たくさんの人がそれぞれに雑談しているなかでも、自分が興味のある人の会話、自分の名前などは、自然と聞き取ることができる。このように、人間は音を処理して必要な情報だけを再構築していると考えられる
エンパスとは?エンパス(共感力)とは、他人のエネルギーに影響を受けやすく、他人の感情を直感的に感じて自分のものの受け入れることができる天賦の才能を意味します。エンパスの人は他人の望みや願望、思考やムードによって無意識に影響を受けています。 単に感受性が非常に高いというだけではなく、感情だけに限定された能力でもありません。肉体的な感受性やスピリチュアルな衝動、そして他人の動機や隠された意図まで知ることができるのです。 慢性的な疲労感や環境に対する過敏性があったり、日常的に説明のつかない痛みを感じることもあります。これは外部からの影響が原因であることが多いのですが、実は自分自身が原因である場合はそれほど多くはありません。 つまりあなたは他人のカルマや感情、エネルギーが蓄積された世界の中をそれぞれ引き受けて歩いて行っているようなものなのです。 またエンパスは女性に多く、日本には海外と比べてエンパ
という声を聴くようになりました。 そんなはずは無い!と思って調べてみると、ただただAMP対応したページがGoogleアナリティクスでカウントされていないだけでした。 という事で今回はAMP対応をしても、しっかりとGoogleアナリティクス上でPV数をカウントしてもらう方法を解説します。 なぜここ最近、特にAMP対応した人のPVが下がったように見えているのか?(2016年12月) AMPが始まったのは今年2016年に入ってすぐくらいです。なのに、どうして2016年も終わろうとしている今頃(2016年12月)にAMP対応したサイトがPVが下がったように見えるのでしょうか? おそらくですが、2016年11月~12月にかけてAMP対応をしたサイトは、優先的にAMP対応のページが検索結果に上がってくるようになったからだと僕は考えています。 最近はこんな感じで、スマホで検索するとAMP対応をしたページ
この画像を大きなサイズで見る wiredの伝えたところによると、われわれは世界を「物語」として認識するが、それは「事実」を歪めてしまうことも多いという。 同時テロのような社会的大事件についての記憶も含め、個人の記憶は、社会に同調する形で容易に変化しうることが実験で示されている。 人は筋の通った物語を作って記憶する習慣がある 人は物語を作る。われわれは世界を受動的に認識するのではない。われわれは世界についての物語を語り、ランダムに起こるイベントを整理して、ひとつの筋の通った物語にする。 この習慣は役に立つことも多い。しかし、深刻な副作用もある。筋が通っていない事実については、それを歪めたり無視したりする傾向があるからだ。 エピソードのほうを重視するあまり、真実が遠ざけられ、何度も語っているうちに純粋な創作になることもある。 われわれは自分の物語を調整して、よりよい物語に変える。われわれは事実
会話をしていて、時々相手が何を言っているのかわからなくなることがあります。 逆に、自分が話したときに相手にキョトンとした表情をされることもあります。 また、誰かに頼んでおいたことがあるとして、持ってきてもらったものをみると、自分が意図していたものとは少し違ったものが出てきたりすることがあります。 部活動で先生に教えてもらっている時、どう体を動かせばいいのか? 先生の言葉だけではわからないことがあります。 どうしてこのような状況が起こるのか? ずっと考えていたのですが、その原因は言葉の解釈の違いにあるのではないかと、 最近思うようになりました。 今回は、どうして会話にすれ違いが起こるのか、 意図したものと違うものができたりするのか、考えてみます。 言葉の意味が自分と相手とでは違うことがある 説明を尽くす 意図や言葉の意味がわからなければ聞く 最後に 言葉の意味が自分と相手とでは違うことがある
Inc.:人間の認知バイアスを列挙したリストを見ると、その長さに驚きます。「利用可能性ヒューリスティック」から、「ツァイガルニク効果」まで、このリストに並んだものをざっと見ただけで、「私たち人間には論理的な決断は下せない」とか「合理的な計画など立てられるはずがない」と絶望してしまうでしょう。 でも、案ずることはありません。私たちの脳は得体の知れないマシンかもしれませんが、その特性を知ることで、こうしたバイアスの多くを、良いほうにも悪いほうにも利用できるのです。もしかしたら、公共政策の領域でバイアスを活用した有名な事例を読んだことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。たとえば、臓器提供に関してオプトイン型ではなくオプトアウト型を採用した例があります(臓器提供をはっきり拒否した場合のみ摘出を断念するのが「オプトアウト型」、提供をはっきりと認めた場合のみ摘出するのが「オプトイン型」。日本は
もう十数年前のことだ。高校生の時、最初の彼女ができた。そのとき、俺はとんでもないDV野郎だった。顔も、腹も、痣だらけになるよう、俺は彼女を殴り続け、逃げ場がなくなるような言葉を吐いて、彼女を傷つけた。そして、その子と別れた後、数人と付き合い、それから約十年後の今、妻と結婚した。どんなに苛立っても、最初の彼女以外に手を出すことはなかった。 なぜ殴るんだ?最低だな? わかってるよ。殴っている側もわかってるんだ。わかっていて、止めたいんだけど、腕が止まらなくなるんだ。何度か同じことで殴っていて、前と同じことに対しての、何度目かのごめんなさいを繰り返される度に「これで何度目なんだ。本当は殴りたくないけどまた殴りたくないから、それをわからせるために徹底的に殴らなきゃいけない。つらい。苦しい。」そう思いながら殴り続けていた。「ごめんな。でも、お前みたいなダメなやつのことを好きでいられるのは、俺だけなん
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