言葉の意味をすり替えて言論を破壊しごまかすのは、「いつものやり口」です。 まとめ ① 当時の日本政府当局も植民地として扱った ② 定義上も植民地である ③ 学問の世界において通説である 2015年、愛知県のさる大学で行われた司書講習において、講師が「日本による朝鮮の植民地支配」にふれたところ、休憩時間中に聴講者の誰かが横車なクレームを入れたらしく、次の時間でその講師が「正しくは併合でした、植民地だったと間違った事を言って申し訳ありません」と言わされる事故がありました。 間違ってなどいません。植民地期の朝鮮は、日本の植民地でした。 が、よりによって大学という場所で、このような馬鹿馬鹿しいほど誤ったクレームがまかり通る事態は深刻です。 「あれは植民地支配だった」と自信をもって貫き、お馬鹿なネトウヨクレームは軽く一蹴できるよう、ざっくり材料を揃えてみることにします。 1、当時の日本政府当局も植民
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
下のツィートを読んで、考えたこと。司書講習のなかで、日本が朝鮮を植民地支配したことに言及したところ、受講生から、「植民地支配」でなく(対等の)「韓国併合」だと抗議を受けて、教員が謝罪させられた顛末が書かれている。 教員としてはさらっと韓国の歴史に触れたかっただけでしょう。しかし、その次の回で教員が「昼休みに受講生から指摘があったのですが『植民地支配』という説明は誤りでした。正しくは韓国併合でした。まだ若い皆さんの多い中でこういった誤った知識を流布しすみません」との謝罪をしたのです。— 映画「ヘイトスピーチ」上映会in日福 (@nippuku_hatespe) 2015, 11月 15 まさか、大学や教員が、「植民地支配」は誤りで正しくは(対等の)「韓国併合」だと考えていないだろう。(そう思いたい) 多くの人が、他人の怒りに直面した時、その怒りが正当なものか考えるより、まず相手を怒らせたこと
大日本帝国を擁護する動きに 反発を強める日系米国人 「日系人たちが『慰安婦』碑撤去に立ち上がった」 「『慰安婦』碑のせいで日系人たちがいじめにあっている」―― 現地の日系米国人に取材した著者が、拡散するニュースの 真偽を問い、報道の背後にあるものを明らかにする。 小山エミ わたしは4月中旬にグレンデールの従軍「慰安婦」碑を訪れ、また地元ロサンゼルスの日系人団体の人たちの話を聞いた。なかでも、市民権と名誉回復を求める日系人の会(NCRR)及び日系米国人市民連合(JACL)サンフェルナンドバレー支部(グレンデールはサンフェルナンドバレー地域に含まれる)は、グレンデール市で開かれた公聴会において「慰安婦」碑の設置を積極的に支持する証言をしており、「慰安婦」碑の撤去を求める在米日本人たちと混同されることに困惑していた。 混同される在米日本人と日系人 「慰安婦」碑の撤去を求める裁判の原告にハーバード
自民党が、終戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策や東京裁判、現行憲法の成立過程などを検証する新組織の設置を検討していることが15日、分かった。戦後70年を機に、東京裁判で争われた内容や憲法制定の背景を振り返ることで「正しい歴史認識」を確認し、今後の改憲議論に反映させる考えだ。 新組織では、GHQが占領中、全国の新聞に「太平洋戦争史」を連載するなどして戦勝国側の歴史観を浸透させた「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」や、東京裁判が「侵略戦争」と認定した背景を検証。WGIPや東京裁判が戦後の歴史教育に及ぼした影響についても議論する。 また、安倍晋三首相が「原案をGHQの素人がたった8日間で作り上げた代物」と評する現行憲法の成立過程も振り返り、憲法改正に向けた国民的な議論も盛り上げる。 稲田朋美政調会長はかねて「東京裁判の判決は受諾したが、判決理由に書かれている
法華狼さんがすでに言及されている件です。 ヴェトナム戦争時の韓国軍「慰安所」についての記事を『週刊文春』に書いた TBS の元ワシントン支局長は取材のきっかけが「ある外交関係者」からの耳打ちであり、「韓国に加害者の側面があることが分かれば、慰安婦問題の突破口になるはずだとの考えに共感」して調査をしたことを認めているとのことです。つまり日本軍「慰安婦」被害者のことも韓国軍「慰安婦」被害者のことも第一義的な関心の対象ではなかったわけです。「韓国に加害者の側面があることが分かれば、慰安婦問題の突破口になる」と考えることができるのは、その「慰安婦問題の突破口」を韓国政府のトーンダウンに求めるつもりだからです。韓国政府が被害者の要求を超える強硬な姿勢を示しているというならともかく、実際にはこれは被害者の要求をはねつけることを意味するわけです。ダシにされたヴェトナム人被害者はどう思うでしょうね。
さて、「僕にとってはどうでもイースト氏」が発言した内容ですにゃ どうでもイースト氏の発言を復習してみる 東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば、南京虐殺があったという人となかったという人がいる。ぼくは両方とも友達でいます。このふたりを会わせて議論させても、話が噛み合わないで終わるのは目に見えている。なぜならばふたりとも伝聞情報で判断しているからです。歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない。(中略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。 大塚 南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたは、そのことに対するきち
次世代の党が、衆院選大敗により結党からわずか4カ月で存続の危機に直面している。衆院の勢力は選挙前の19から平沼赳夫党首と園田博之顧問の2にまで激減し、発信力に優れた石原慎太郎最高顧問は政界を引退、離党の動きも出ている。政権とは「是々非々」で臨んできた次世代の後退は、安倍晋三首相の政権運営や憲法改正にも影響しそうだ。(内藤慎二) 「全国で応援したが、力が足らず、皆さま方につらい思いをさせてしまった。心から反省している」 19日、国会内で開かれた党選対本部総括会議の冒頭、平沼氏は沈痛な面持ちで、こう語った。会議は重苦しい空気に包まれ、ある落選議員は終了後、石原氏の手を握りながら「選挙区まで応援に来ていただいたのに申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にした。 次世代は、比例代表で2.65%を獲得、「2%以上」という政党要件を満たしたこともあり、平沼氏は会議で党を存続させる考えを示した。 だが、投票
92年7月21日の『朝日新聞』朝刊「論壇」欄に、当時米バージニア州在住だったジャーナリスト、有馬佳子氏が寄稿していて、当時のアメリカメディアの「慰安婦」問題についての反応を伝えている。 アトランタ・コンスティチューション紙(一月一六日)は、本件が明るみに出た時点ですぐ、「日本が愛されない理由を知りたければ」と題する社説を掲げた。残虐行為に対する糾弾もさりながら、日本人にとって耳が痛いのは、日本が嫌われる真の理由は、「その事実をこれまで否定・隠蔽(いんぺい)してきたこと」としている点である。同社説は日本の政治指導者に対し、謝罪に加え、この「戦後の嘆かわしい無神経さを深く反省すべきだ」と要求、本音の議論を繰りひろげている。 この「嫌われる真の理由」はいまだ健在のようですね。原発事故に関する日本政府の対応を見る限り。 (……)ウォールストリート・ジャーナル紙は(……)七月八日紙面で「慰安婦問題は
日本で敗戦と言えば、太平洋戦争での敗戦を指すことが多いと言えます。一般人が映画などで触れる日本の戦争映画は、戦艦大和や本土空襲、原爆、せいぜい南方占領地などを主題にしたものが多いため、中国戦線に関する認識がかなり希薄だと言えるでしょう。このため、“日本はアメリカに負けたのであって中国には負けていない”と言った自慰的思考にはまる人は少なくありません。日本極右が排外感情を煽ろうとするとき、国内矛盾を転嫁するスケープゴートとして、中国を格好のターゲットとするのもそのためです。ですが、“日本はアメリカに負けたのであって中国には負けていない”という日本極右の主張は歴史的事実なのでしょうか。 日本軍侵攻に救われた共産党? 1937年からの日中戦争は日本では「支那事変」と呼ばれ、日本政府は「事変」であり「戦争」ではないと唱えていました。日本海軍にとっての主敵は米英、日本陸軍にとっての主敵はソ連であって中
出典:上海派遣軍司令部編纂『日支事変 上海派遣軍司令部記念写真帖』1938年2月刊 1938年1月、正月早々、南京に開設された慰安所に巻脚絆(ゲートル)を外し並ぶ兵士たち 従軍慰安婦にされていた女性たちの実態が「“sex slave”性的奴隷」「“Sexual slavery”性的奴隷状態」であることは国際刑事裁判所ローマ規程や、国連の人権委員会で採択された文書の定義をみても否定できない事実なんだけど、日本国内では自分勝手に強制連行と結びつけたMy定義で否定するトンデモ論がはびこっています。 こんな感じです。 「強制連行を認めると、世界からは日本だけが特殊な性奴隷を活用したと評価されるのだ。」(2013年5月17日 橋下徹 Twitter*1) 「なぜ日本だけが性奴隷を活用していたと攻撃されるのか。それは日本だけが女性を強制連行していたとされているからだ。アメリカは、慰安婦を強制的な性奴隷
以前、「日本社会は1990年代まで慰安婦問題をどのように捉えてきたか」という記事を書き、敗戦直後から慰安婦に関連する議論がどのように展開されたかを簡単に述べましたが、「「従軍慰安婦問題」の歴史は意外と新しい」とかのたまう人がやはり多いようですので、改めて述べておきます。 まず、最初に言えるのは、吉見義明氏の「従軍慰安婦」(1995)、朝日新聞の報道(1992)、吉田清治氏の「私の戦争犯罪」(1983)よりも先に千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973)があり、それ以前にも慰安婦らの悲惨な境遇に関して1960年代後半〜1970年代初頭には既に多くの書籍・記事が出ていました。それを知らない、調べない人は「「最初」の慰安婦問題は、1980年代に、吉田清治という山口県の男性が、戦時中に済州島で朝鮮人を奴隷狩りしたという衝撃的な告白をしたことからはじまります。」*1とか言ってしまうわけです。 さて、それ
村山談話「全て踏襲」=菅官房長官、安倍首相答弁を修正 村山談話「全て踏襲」=菅官房長官、安倍首相答弁を修正 菅義偉官房長官は10日午後の記者会見で、過去の侵略と植民地支配を謝罪した1995年の村山富市首相談話について「(談話)全体を歴代内閣と同じように引き継ぐと申し上げる」と明言した。 安倍晋三首相の歴史認識をめぐり、中韓両国の反発に加え、米国にも懸念の声があることを踏まえ、村山談話を「そのまま継承しているわけではない」とした安倍首相の4月22日の国会答弁を事実上軌道修正したとみられる。 菅長官は、「侵略の定義は定まっていない」との首相答弁に韓国から反発が起きたことに関しても、「安倍内閣として侵略の事実を否定したことは一度もない。こうした点も歴代内閣を引き継いでいる」と強調した。(2013/05/10-18:47)
日本維新の会の石原慎太郎共同代表は17日、先の大戦の旧日本軍の行為について「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」と語り、侵略とした橋下徹共同代表の見解を否定した。朝日新聞の取材に答えた。 従軍慰安婦などをめぐる橋下氏の発言への批判が収まらないところに加えて、歴史認識をめぐる両共同代表の認識でも違いがはっきりしたことで、党内の混乱が一層深まりそうだ。 石原氏は、橋下氏が「敗戦の結果として侵略だと受け止めないといけない。反省とおわびはしなければいけない」と述べたことについて「全然違う。正確な歴史観、世界観を持っていないとだめだ」と批判した。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方) 無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサービスご紹介はこちら関連記事石原氏「侵略ではない」 橋下氏発言
Apeman氏が捏造された「朝日新聞の捏造」?で取り上げているように、日本において一般に慰安婦問題が問題として知られるようになったのは、1991年の金学順氏による日本政府提訴からと言えるでしょう。 (Apeman氏のエントリから作成) 年代 「慰安婦」に言及した記事数 出来事 〜1983年 - 1983年 吉田清治「私の戦争犯罪」刊行 1984年〜1989年 35件 1990年 23件 1991年 150件 12月 金学順氏による日本政府提訴 1992年 724件 7月 加藤談話 1993年 424件 8月 河野談話 1994年 373件 8月 村山談話 1995年 494件 1996年 577件 8月 橋本首相によるお詫び 1997年 757件 1998年 393件 1999年 194件 2000年 235件 2001年 233件 2002年 149件 2003年 92件 2004年 1
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