厚さわずか1cmに積層された紙をアコーディオンのように広げ、蜂の巣状の造形に人が座ることで完成する椅子『Honey-pop』。特殊なガラスによる透明なベンチとして風景に溶け込み、その場の光をかたちにする『Water Block』。吉岡徳仁は、一見するとシンプルな造形の中に、ラディカルな創造力と自然への深い洞察を宿らせる。世界有数企業の店舗プロジェクトから国際家具見本市『ミラノサローネ』、美術館まで多様な空間で彼が追い求める「みえないかたち」とは? 佐賀県立美術館のリニューアル記念として開催中の最新個展『吉岡徳仁展―トルネード』を機に、本人に話を聞いた。 いわゆる目に見える「かたち」には興味がなかった。存在感やオーラのようなものがある「人間の感覚についてのもの作り」が重要だと考えています。 ―今回は九州で初となる個展『吉岡徳仁展―トルネード』(佐賀県立美術館)の実現を機に、お話を伺います。ま
ドリュー・ヒューストン/Dropbox CEO 【何をした人?】マサチューセッツ工科大学在学中、Dropboxを共同設立した 【何ですごいの?】信頼性の高いインフラを提供し、Dropbox のユーザー数は3億人を突破 【今は何をしているの?】DropboxのCEOとして、24時間365日、コンピューター・プログラミングに没頭している 設立からたった7年、現在では100億ドルの価値を持つといわれるDropbox。そのCEOであるドリュー・ヒューストンは、2014年7月、英BBCの取材に「私は"いつでも"コンピューター・プログラミングに興味を持っています」と答えた。24時間365日、彼をかき立てるその情熱の源は何だろうか? *** ■人生には3つのコツがある 2013年6月。ヒューストンが母校MIT(マサチューセッツ工科大学)の卒業式で学生たちに向かって語ったことがある。 「今日はみなさんに、
【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編 編集部:TAITAI カメラマン:増田雄介 123→ 4Gamerが任天堂取締役社長(当時)岩田 聡氏と,カドカワ(当時はKADOKAWA・DWANGO)川上量生氏の対談を掲載したのは,ちょうど一年前の12月末のことだった。 任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」 連載の最後を飾るにふさわしいラスボス的なゲーマーは,岩田氏以外ないというお願いを快諾していただき実現した対談では,岩田氏自身の経営哲学からプログラマー時代の豪腕ぶりがうかがえるエピソードまでが本人の言葉で語られ,大きな反響を呼んだ。 岩田 聡(いわた・さとる):1959年北海道生まれ。1982年に
2015/12/12 過去にこれほど話題になった文部科学省の大臣はいなかっただろう。 下村博文氏が文科省の大臣に在任した2年10カ月の間に、教育面では2020年度にセンター試験がなくなることが決まり、スポーツ面では東京五輪の招致に成功し、スポーツ庁も設置された。いいことばかりではなく、新国立競技場のデザイン見直し問題では対応が遅れ、渦中の人となった。 「文科省の大臣になるために議員になった」という下村氏は、何を成し遂げ、何を成し遂げられなかったのか。教育行政とスポーツ行政について話を聞いた。 *目次 前編:なぜセンター試験を廃止できたのか。下村前大臣が挑んだ教育改革 後編:スポーツは国を支える成長産業になる。税金の無駄遣いでない価値 マークシート方式の限界 ──世間が一番驚いた教育改革が、センター試験の廃止だったように思います。2020年度にセンター試験がなくなる予定です。どんなビジョンを
アップルに12年間勤めて独立した起業家が、新しいデバイスをつくり出した。高齢者でも日常的に使う「テレビ」の可能性に注目。孫の写真・映像を、実家のテレビに届けられる「まごチャンネル」を開発した。 「まごチャンネル」は、高齢者でも簡単に使える、“人にやさしい”サービスを目指してつくられた それは、個人的な思いから始まった。 「最近はFacebookなどのSNSがあるので、海外にいる友人でも、遠くにいるようには感じない。でも、自分にとって一番大切な存在である親や家族は、依然として遠いまま。なぜ、それを解決できないんだろう?」 チカクの代表、梶原健司氏の実家は淡路島にある。農家を営み、3世代が同居する家だった。幼い頃から祖父母が大好きで、自分の子どもに祖父の名前を付けるほどのおじいちゃん子だった梶原氏は、自分が親になって、子どもを年に1、2度しか実家に連れていけないことを申し訳なく思っていた。 今
サイバーエージェントに入社以来、4社もの新規事業に携わってきた坊垣 佳奈(ぼうがき かな)さん。現在は、グループ会社のサイバーエージェント・クラウドファンディングにて取締役を務めている。今回は、華やかなイメージのあるサイバーエージェントグループにおいて管理職に就く坊垣さんに、会社組織における女性活躍の秘訣を伺った。 食欲の秋到来で、美味しい食べ物が恋しくなるこの季節。グルメと投資が一体となったオイシイ話がある。それがクラウドファンディングだ。 サイバーエージェント・クラウドファンディングが運営するクラウドファンディングサイト「Makuake」では「日本一の馬肉専門店で、石釜で焼いた最高のローストホースを食べさせたい!」というプロジェクトが生まれた。これは、石窯で焼いた馬肉が食べられるお店「Roast hosse」を開店させるためにプロジェクト支援者を募り、支援者は8,000円分支援すれば、
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大きなトラブルとなった五輪のロゴ類似問題。素人目にはそっくりになロゴに対し、審査員をはじめ多くのデザイナー達が「まったく違う」と反論していたのが印象的でした。しかし、不透明かつ説明不足の審査委員会もあいまって、残念ながらこれらの発言は身内を守るものと解釈されてしまいました。また画像の盗用問題により、本来なら行われるべきだった、冷静な議論などは完全に失われてしまいました。 なぜデザイナーと世間において、これほど大きな認識の違いが生まれたのでしょうか?本稿では、デザイナーと世間の間にある「類似性のギャップ」に関しできる限りわかりやすく説明します。最大公約数的な意見としては、このような感じではないかと思います。 全体の構成としては、まず類似性は鑑賞者の文化背景に依存することを説明します。その上で、前提知識として、デザインの本質や、文字を用いたデザインの類似性についての基礎知識を解説します。その後
日時:2012年2月17日(金) 出演:千房けん輔(エキソニモ) 赤岩やえ(エキソニモ) 渡邉朋也 谷口暁彦 萩原俊矢 栗田洋介 水野勝仁 渡邉:お茶の間のみなさんこんばんは.このUstream中継は,1月27日からICCで開催中の「[インターネット アート これから]——ポスト・インターネットのリアリティ」展の関連イヴェントとして行なわれているものです.今我々がいるのは,閉館後,無人となった会場の一角に設置された,Ustream中継用のステージなのですが,今回はここでエキソニモのお二人にアーティスト・トークをしていただき,それを起点に座談会を行ないます. 本来であれば,本展覧会キュレーターの畠中実さんも同席されるはずなのですが,都合により出席できないということで,出展作家と展覧会の企画運営に携わる「インターネット・リアリティ研究会」のメンバーでお送りします. まず最初に,今日の出演者の簡
欧州の近代美術館『ポンピドゥー・センター』で展示を行なうなど、アートワークでも注目されるSemitransparent Design(セミトラ)。なぜ彼らは広告だけではなく、アートワークも手掛けているのか。そこには「0」から「1」を生み出す実験的要素が隠されていた。 ▼田中良治氏と菅井俊之氏へのインタビュー第1弾スヌーピー展に見るデザインの捉え方 | Semitransparent Design[1] ▼田中良治氏と菅井俊之氏へのインタビュー第2弾デザインの可能性を殺すのは誰か。 | Semitransparent Design[2] 新しいデザインはどこから生まれるのか。 WEB、グラフィック、メディアアート、インスタレーションと、枠を越えた表現で知られるSemitransparent Design(セミトラ)。 クライアントワークのみならず、山口情報芸術センター(YCAM)や、クリエイ
通勤電車に揺られ、時間に追われる毎日は、自分を見失いがち。子育て環境としても、都会ではいろんな制約ばかりで、子どもも窮屈そう。たまの休みに、田舎に行って、山や川の自然に触れてみると、忘れていたヒトとしての感覚が呼び覚まされる。暮らしのなかに、都会と田舎と両方を取り込むことができないだろうか。その答えは、都会と田舎の2カ所に家を持つことにあり。二地域居住を実践する馬場未織さんにお話しを聞いた。 「早朝にこの夏はじめてのヒグラシが鳴くのを聴きました。もう9回目の夏を迎えますが、ここでの暮らしに飽きることはありません」。そう微笑んで語るのは、東京に住まいと仕事を持ちながら、週末は千葉の民家で家族と過ごす馬場未織さんだ。 取材を申し込んだわれわれが、南房総市の里山の一角にある馬場さん一家の「週末の家」を訪れたのは、梅雨明け前の暑くて湿度も高い曇り空の午後。高台に位置する民家の広間には、涼しい風が吹
任天堂の代表取締役、岩田聡さんが亡くなられたというニュースを見て、非常にショックを受けています。あまりにも偉い方になられていたので、もう長年お会いしたことはありませんでしたが、引退されたら久しぶりに昔話でもしに遊びに行こうと思っていたからです。 岩田さんに初めてお会いしたのは、1982年の8月だから33年も前のこと。岩田さんが23歳の新入社員だった時代です。 高校2年生とプログラムを共同開発 高校2年生だった私は、夏休みを使って当時のパソコン、NECのPC-8001用にサウンドボードを開発し、それを駆動するためのプログラムを作ったのです。自画自賛ですが、とてもよくできたので、雑誌で見かけた会社に連絡をし、買い取ってもらえないか交渉をしていました。 5社ほど面談に行った会社の中で、第一希望だった会社がHAL研究所。5~6人の小さな会社で、そこで対応してくれたのが岩田さんでした。 結果的に、H
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