ただ、コンピュータの初期段階においても現在においても、SEに求められているもの、それに対してどう応えるかということは、そう大きく変わっていません。私が1953年(昭和28年)に野村証券に入ったときは、野村証券が通信の機械化に力を入れたいという経営の方針から、通信工学科に求人を出した。それで通信工学科の出身者が4人、野村証券に入った。 そのころ日本には、コンピュータはまだなかった。だから野村証券のトップは、コンピュータをすぐにでも入れるという意識ではなかったと思います。だけど、戦後の日本の証券界を立て直すために何が必要かということで、何回か米国に視察に行っているんです。そのときにいくつか感心したなかの一つが、事務や通信の機械化の問題です。 当時、米国ではコンピュータが一部で動き始めていた。だから、野村証券のトップの頭にはコンピュータというものがあったかもしれません。ただ、まずは通信の機械化で