島原市教委は4日、同市宮の町の民家に、江戸時代の島原藩主が暮らしていた島原城三ノ丸御殿の一部が移築され、現存していることが分かったと発表した。明治時代の廃城後に移築されたとみている。 市教委によると、現存する江戸時代の御殿は移築も含めて全国で6例しか確認されておらず、長崎県内では島原城三ノ丸御殿が初確認という。 市教委などによると、三ノ丸御殿の敷地は約5万平方メートル。現在は市立第一小と県立島原高がある。御殿は庭園のほか、藩主が政務を行う「表向(おもてむき)」、居住する「奥向(おくむき)」などがあった。民家に移築されていたのは藩主が勉学などに励む「仲之御居間(なかのごいま)」。 長崎総合科学大の山田由香里教授が2021年度から民家を調査。床の間や付書院、違い棚など座敷の構造と大きさが、幕末期とみられる三ノ丸の絵図に描かれている仲之御居間と一致しているという。 座敷の棚には、熊本藩に仕えた肥