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cultureに関するshinimaiのブックマーク (51)

  • ゲーセンノート全盛期、ナムコは「ゲーセンパソ通」を運営していた - 桀紂屋[ketchu]

    ゲーム, 雑記 | ゲーセンノート文化を振り返る - この先、しばらく道なりです  こちらのエントリで書かれていた「ゲーセンノート全盛期」の話が、同時期にゲーセンに入り浸っていた者として、またノートに書き込んでいた者として非常に興味深い内容だった。そこで思い出したのが当時地元にあった「ゲーセンパソ通」の「N//i」だ。検索したのだがネット上にはこちらぐらいにしか記録が残っていないので、記述してみようと思う。  「N//i」は、1996年2月7日に津田沼のプリッズサンペデック店(既に閉店)とナムコ(当時)部に開通したパソコン通信で、3月末にプレイシティキャロット巣鴨店(以下PC巣鴨)、年末にはワンダータワー京都店の3店に繋がった。ちなみに96〜7年の時代背景は以下のような状況。・ポケベル全盛期で、女子高生が休み時間に学校の公衆電話に行列することが話題となっていた(一方、筆者の通っていた都内

  • 若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化 - シロクマの屑籠

    誕生でも発見でもなく、越境が始まったんだと思う - 未来私考 「脱オタ」が無意味になる時代は来るか? - Something Orange 「ライトオタク」が、話題になっているらしい。 “筋金入りのオタク”ではない人達も『東方』や『アニソン』などを楽しむようになり、オタク文化がクラブミュージックやファッションのような他文化と交流するようになってきている、という現状認識は、じつにその通りと思う。秋葉原やコミケなどの敷居が低くなっているのに加え、ニコニコ動画のような、気軽につながりやすい場が整備されたことによって、こうした動きが加速された、というのもなるほどと思う。そして「ライトオタク」に該当する人達が、“筋金入りのオタク”とは違った振る舞いをみせるだろう、というのも予想できる。 では、これから「ライトオタク」がもっと流入してきたらどうなるのか? オタク文化圏の外側では、おそらく、クラブミュー

    若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化 - シロクマの屑籠
  • 余裕への憎悪  - 成馬零一が考えていること。

    アキハバラ発―〈00年代〉への問い 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/09/26メディア: 単行購入: 8人 クリック: 136回この商品を含むブログ (52件) を見る 今年のことを振り返る時にどうしてお避けて通れないのは秋葉原で起きた連続殺傷事件だろう。 あの事件が起きた時、ネットでは多くの人が事件と犯人の加藤智大の経歴に衝撃を受け、何とか自分達の問題として、言葉にしようとし、おそらくそれと同じくらい、関わりたくない、できれば避けたいと思い沈黙、あるいは語ること自体を牽制し合った。僕はどちらかというと後者の側で、事件が起きた時、ショックを受けてる人に対し、どこか冷めた目で見ていた。 その理由は簡単に言うと、それが秋葉原で起きたオタクが殺された通り魔殺人だからで、例えば、その数日前に僕が以前住んでたアパートの近くで起きた福岡の某所での老婆が殺された通り魔事

    余裕への憎悪  - 成馬零一が考えていること。
  • 再録:八〇年代・サブカルチャー・雑誌 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

    再録:八〇年代・サブカルチャー・雑誌 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
    shinimai
    shinimai 2008/11/21
    日本のサブカルチャーもイギリスと似たようなもんな気がするけど、メインステージがストリートじゃなくて活字とかなんよね。あとファッションと音楽の重要性が低いってことが大きい。
  • 美食の国へ - 内田樹の研究室

    「メディアと知」の最終回のゲストスピーカーに卒業生でエディターをしている「だからどうだっていうのよヒロコ」が来てくれて、彼女が作っているさまざまな「美味」について話してくれる。 話を聞いているうちに、「美味」というようなジャンルのがこれほど大量に供与されているのは世界で日だけではないかということにふと思い至った。 むろんヨーロッパにもアジアにも「好事家のための美文化」は豊かに存在する。 けれども、それはあくまで料理人がいたり、地下にワインセラーを持っていたりする選ばれた少数のためのものである。 邦の美のマーケットはそうではない。 これらの雑誌の読者たちはビジネス街のランチや「こなもん」の美情報を求めるヴォリューム・ゾーンな人々である。 そのような日常的物(カツサンドとかオムライスとかおでんとかについての)美情報が国民的規模で熱い関心をもって探求され、かつこれほどに情報

    shinimai
    shinimai 2008/11/03
    ブルデューの理解の仕方とかはさすがだと思うけど、全体としての主張の意味がわからんかった。また読んでみよう。
  • 宇野常寛(善良な市民)さんの歴史 - かむかむごっくん

    今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。 高校生時代北海

  • メキシコで「反エモ」:音楽集団への暴力が拡大、機動隊も出動 | WIRED VISION

    メキシコで「反エモ」:音楽集団への暴力が拡大、機動隊も出動 2008年4月 2日 カルチャー コメント: トラックバック (0) Alexis Madrigal Photo Credit: promrguez メキシコのいくつかの都市で、街角に機動隊が動員されている。その目的は……エモ[エモーショナル・ハードコア、ロック系音楽スタイルの1つ]のファンを守るためなのだろうか? メキシコで、髪を染めアイメイクをしたエモキッズに対する襲撃が続いている。3月初め、メキシコシティーの北約260キロにある人口150万の都市ケレタロに数百人が集まって起きた、エモ叩きの騒動が始まりだった。 次の週には首都メキシコシティーで、ボサボサ頭をしたエモファンのティーンエイジャーが、パンクやロカビリーのファンから襲撃され、警察が保護に出動し、テレビのニュースで取り上げられるという事態になった。 メキシコの新聞報道に

    shinimai
    shinimai 2008/04/03
    おおこんなことに。英米圏以外のエモ・トライブは特にウィンプっぽく見られるかもしれないからな。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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  • 雑誌に力があったということなのかな - All Summer Blog

    ちょっと前にTONEという雑誌を買いました。 この雑誌、'90年代半ば英国のブリットポップ全盛期にロッキングオンを読んでいた 人たちには一際思い出深い人物の1人である増井修が係わっている雑誌です。 彼がロッキングオン社の渋谷陽一先生と揉めて解雇されたときの騒動は、今思い出して みるとばかばかしくも懐かしい思い出になっています。 この増井さんは当時、洋楽専門誌『ロッキングオン』の編集長を務めていて、 ブラーやオアシスの登場で盛り上がりを見せていた英国ブリットポップムーヴメントを、 日においてリードする第一人者でもあり、読者に最も信頼されている人物でした。 その彼が突然編集長を辞任、しばらくの休暇を経て突然解雇という事態を受けて、 増井修を支持する読者の有志たちが、増井修復帰運動を展開していくことになるのです。 運動の中心人物は学生の女の子で、ビラ配りや署名活動など精力的に活動していました。

    雑誌に力があったということなのかな - All Summer Blog
  • ●「ぼくら語り」の夜明け・後編: たけくまメモ

    ←「まんがコミュニケーション」1971年6月創刊2号 「まんコミ」71年6月号に掲載された、斉藤次郎編集長の手によると思われる「コミュニケーション405」には、こういう文章もあります。 《まんがをまんがで語る “まんがブームの終り”の寸劇が街で評判をとっている。一時の頂点、「少年マガジン」誌百五十万部突破は、すでによきムカシバナシとして出版界の酒宴の酒の肴になりきろうとしている。(中略) おびただしい数の読者がまんが雑誌から、無言に別離した。その別離の距離が狂おしいまんが雑誌のたそがれに向かって告知している。その距離のなかに、表現欲求の延長上にまんがを表現メディアとする層が定着した、まんがを表現の武器として、しかも、まんがの内側から、まんがでまんがを語り、絵ときするものと「まんコミ」は、グルになり、その鼓動を伝え合う。そのとき“まんがブームの終り”がある》 これも晦渋な文章ですね。少し説明

    shinimai
    shinimai 2008/03/16
    すげー興味深い。
  • ●「ぼくら語り」の夜明け・前編: たけくまメモ

    ←まんがコミュニケーション1971年6月創刊第二号 来なら今回は『「まんがエリート」と「おたく」の間に』の続きで、1975年の第一回コミックマーケットの開催と同じ年に、パロディサブカル誌「ビックリハウス」が創刊されて、70年代サブカル状況が整備されてきた話を書こうと思っていました。ところが昨日棚を整理していたら、大昔に入手していた「まんがコミュニケーション」(略称「まんコミ」)71年6月号というミニコミがひょっこり出てきました。今となってはかなり珍しいシロモノです。71年に実質休刊した「COM」と、75年に始まったコミケとをつなぐミッシング・リンクのような雑誌なんですよ。読み返したら、団塊直下=プレおたく世代の気分がそのまま真空パックされたような内容でしたので、予定を変更して紹介したいと思います。 「まんコミ」については、2005年に発行された『コミックマーケット30'sファイル』(有

    shinimai
    shinimai 2008/03/16
    そうか橘川幸夫氏がかかわっているのか!
  • 70年代は変な時代だった - たけくまメモ

    えと、以下書いた文章はおとといアップした「まんがエリートとおたくの間に(2)」のために書いた文章から、筋から逸脱して長くなるのでカットした部分です。でも読み返したら、これはこれで発表する価値はあるかも、と思い直しました。筋の「おたく」話からは離れているんですが、俺が中学から高校時代を過ごした70年代って、こういう時代だったよなあというあくまで俺の印象であります。補遺エントリとしてお読みください。 ◆ 昔ライターの山崎浩一さんと話したとき、山崎さん(俺より6歳上。世代的にはサブカル=プレおたく世代に入る)が「73年くらいまでは60年代なんだよ」という話を俺にしたことがあるんですね。これはつまり、70年代に入ってからもけっこう長い間60年代的な意識をみんなで引きずっていて、それがだいたい73年で終わったということです。俺は子供だったけど、山崎さんはもう高校から大学くらいだから「政治からサブ

    shinimai
    shinimai 2008/03/16
    分水嶺は72年だという説もある(坪内祐三)。
  • 「まんがエリート」と「おたく」の間に(2): たけくまメモ

    ←「COM」 1968年2月号表紙。 前回は、1967年1月(発売は66年12月)に「COM」が創刊され、「ガロ」とともに「いくつになってもマンガを卒業しない」当時のハイティーン(現在の50~60代)を主要読者として開拓したと書きました。なかんずく「COM」は、新人発掘に力を注いただけではなく、マニアへの連帯をよびかけて読者組織を作り、これが75年からのコミックマーケットへと発展していったことはほぼ間違いないところです。今あるマンガ状況、マニア状況は、「COM」を抜きにしては語ることができないといえます。 前回も書きましたが、「COM」は創刊号から68年いっぱいくらいまで「まんがエリートのためのまんが専門誌」というキャッチフレーズを表紙に掲げていました。60年代は日中が「政治の季節」であって「若者の反抗の季節」であり、左翼大学生がキャンパスの中心にいて、バリケードを作ったりデモ行進をやっ

    shinimai
    shinimai 2008/03/16
    すげえ面白い。はやく続きが読みたい。
  • 「まんがエリート」と「おたく」の間に(1): たけくまメモ

    もう少し「オタクの起源」の話題を続けます。 実は俺の棚には虫プロ商事発行の「COM」がほぼ全冊揃っているんです。時々取り出してパラパラと眺めているんですが、創刊号(1967年1月号)の表紙を改めて眺めて、そこに大きく載っているキャッチフレーズを見て感慨深いものを感じました。 ←「COM」1967年1月創刊号・虫プロ商事発行 左がその実物ですが、タイトル下に大きく水色の文字で「まんがエリートのためのまんが専門誌」と印刷されているわけです。 歴史的に見ると、まず1964年に青林堂から「ガロ」が創刊され、看板連載の『カムイ伝』が左翼大学生を中心に人気を博します。この頃、手塚治虫の虫プロはすでにテレビアニメ『鉄腕アトム』を制作放映しておりましたが、同時に視聴者向け会員誌「鉄腕アトムクラブ」を発行していました。 ←「鉄腕アトムクラブ」1966年7月号・虫プロ商事発行 これはディズニープロが戦前から

    shinimai
    shinimai 2008/03/16
    かなり納得した。自分はロッキング・オン創刊のことを研究していてオタクとサブカルに通低音をずっと感じていた。
  • オタク第一世代の証言から: たけくまメモ

    昨日のエントリは反響がありました。ありがとうございました。コメント掲示板にもさまざまなご意見や証言が多数寄せられていますが、俺のmixi日記にもオタク第一世代の同業者から貴重な意見が寄せられました。そのうちアニメ評論家のロト(氷川竜介)さんと某大手出版編集者のボタQさんの証言を、人の了承が出ましたので転載したいと思います。 ●氷川竜介(ロト)さんの証言(アニメ評論家) 《 70年代中盤~末、80年代初頭の話を聞かれていると思うので、自分なりの体験を。 基的にオタクの源流になったのは1974年の「宇宙戦艦ヤマト」TV放送、1977年の劇場公開です。74年時にはヤマトの視聴率が悪いと知った年明け以後、高校で友だちとつるんで「みんなでヤマトを見よう!」的な紙を貼ったりしました。まあ、奇異な目で見られていたと思いますが、校風が幸いしてそれでいじめられるということはなかったと思います。 つまりそ

  • 【雑記】・「オタク差別の話」その2 - ふぬけ共和国blog

    ここの話の続き。 オタク第一世代の証言から(たけくまメモ) (引用開始) 中森明夫氏が「おたくの研究」を書いた83年の春は、まさに絶好のタイミングだったですね。マイナーで先鋭的だった年長アニメファンたちが、自分たちのシマを荒らす薄くて大量の若いミーハー・ファンをどう呼ぼうかと思っていたところに「おたく」という言葉が出現した。それで、マニアがミーハーを馬鹿にして「おたく」がはやったのだというのが実情に近いですね。 (引用終わり) 私がここで書いた、「87年当時、先輩たちが『マニア』という言葉を使って嫌っていた」というのと、正反対ですね。 「ミーハーなのがバカにされていた」というんですから。 で、いくらなんでも話が真逆になってしまうと私がウソついてるみたいなので私なりに整理しますと、 まず87年当時、すでに「大学の文化系サークル」自体が「濃さ」という点では崩壊しかかっていたということがある。

    【雑記】・「オタク差別の話」その2 - ふぬけ共和国blog
  • 【雑記】・「オタク差別のはなし」 - ふぬけ共和国blog

    オタクはいつから差別されていたのか?(たけくまメモ) 興味深い話題。 私は自分のミクシィ日記で、「オタクは多くの場合、その歴史を当事者性というか、ぶっちゃけると自分語りのみでつい語ってしまうことが多い」と書いて、その舌の根もかわかぬうちになんですが、自分の頃の経験を書きます(笑)。 あ、たけくまさんが当に意見を求めている「45歳~50歳くらいのオタク第一世代」では、私はありませんけどね。第二世代にあたります。 ・第1部 私は思春期と80年代前半が合致している人間なので、いささか偏った感覚だと念頭に置いて読んでいただきたいんですが、まず「ガンダム放送時は小学生。小学生がアニメを観ているのは当然だから、「周囲から差別された」ということはありませんでしたね。 とにかく、70年代半ばから80年代初頭は「マジンガーZ」あたりから始まり、スター・ウォーズ、宇宙戦艦ヤマト、ガンダム、イデオン、赤毛

    【雑記】・「オタク差別のはなし」 - ふぬけ共和国blog
  • オタクとは何か? 第16回 ジェンダーの越境

    以前、外見オタク内面少女、という話を書いたことがある。 ある投稿から、いわゆる萌えヲタ(萌え系オタク)と呼ばれる人たちの中には「自分の中には少女が住んでいる」という人がいると紹介した。たしかに、店の萌え系諸氏とつきあっていると、非常に神経が細やかで優しく、何くれとなく気を配ってくれることが多い。ある意味で、いまどき珍しい気配りのできる青年たちなのである。どんな男性にも女性的な側面というのはあるものだが、それが非常に発達している、という言い方もできる。したがって昨今のオタク文化は、彼らの発達した女性性と深くかかわっているに違いない云々、というようなことを書いた。で、このことに関連して最近聞いた話がちょっと衝撃的だったので、まずはそれについて。 話してくれたのは店の後輩のT君である。22歳。彼は萌え系については造詣が深く、アニメ、ゲーム、マンガ、なんでもござれである。180を超える長身であ

  • Riot Grrrl(Riot Girl ライオットガール)

    Riot Grrrlというムーブメント ー「自分らしさ」のポリティックス | SHE SAYS distro powered by BASE 大垣有香 著 遊動社パンフレット3/ contents / はじめに第1章 "Riot Grrrl"ムーブメントの生まれた背景 第1節 男性中心のパンクロック 第2節 フラストレーションの爆弾を抱えた女の子達第2章 "Riot Grrrl"ムーブメントのはじまり 第1節 怒りがエネルギーに変わる時 第2節 "Grrrl... ライオット・ガールは、90年代前半にシアトル近郊のオリンピアから始まった、フェミニズム思想(男女同権を実現し、性差別のない社会をめざして、女性の社会的・政治的・経済的地位の向上と性差別の払拭を主張する論。大辞林より)を持ったパンク・バンドが起こしたムーブメントだ。 フェミニズム運動の中では第三波フェミニズムの初期にカテゴライズさ

    Riot Grrrl(Riot Girl ライオットガール)
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