「ドーン」。昨年3月12日午後、東京電力福島第1原発。免震重要棟2階の 緊急時対策本部にいた広報班長、原子昭洋さん(49)の体が、突き上げるような衝撃で椅子から浮いた。 対策本部に窓はない。「余震か」。何が起きたのか分からない。重要棟から南東300メートルの1号機で水素爆発が起きていた。敷地内の放射線量が跳ね上がった。 「2、3号機でもあり得る。爆発を防ぐ手だてを考えろ」。円卓のすぐ隣に座る吉田昌郎所長(当時)がマイクをつかみ、怒鳴った。2、3号機でも原子炉格納容器内の圧力が上昇していた。「生きて帰れないかもしれない」。現場の誰もが死を覚悟した。 × × × 次々と爆発する原子炉建屋、退避する作業員。原発事故は発生からの5日間、悪化の一途をたどった。事態のさらなる深刻化を食い止めようと、原発にとどまった東電社員2人が1年前を振り返って証言した。 × × × 14日には3