五輪サッカー、アジア枠は3・5 女子は2、IOC発表 国際オリンピック委員会(IOC)は17日、2024年パリ五輪のサッカーの大陸別出場枠を発表し、16チームで本大会を争う男子はアジアに3・5が割り振られた。アフリカとのプレーオフを制すと4チームが出場できる。12年ロンドン五輪はアジアから3・5だったが、16年リオデジャネイロ五輪は3、昨年の東京五輪も開催国枠を除いて3だった。 12チームで本大会が行われる女子のアジア枠は2。男子は01年1月1日以降生まれの選手に出場資格があり、本大会は3人まで24歳以上のオーバーエージ(OA)枠が認められる。女子に年齢制限はない。本大会の選手登録数は18人。(共同) 続きを見る
藤村 新一(ふじむら しんいち、1950年(昭和25年)5月4日 - )は、日本の元考古学研究者。特定非営利活動法人「東北旧石器文化研究所」元副理事長。 発掘に携わった遺跡から次々と「新発見」をしたことから「神の手(ゴッドハンド)[1]」と呼ばれ、脚光を浴びたが、後に自作自演によるものだったことが判明した旧石器捏造事件を引き起こした人物として知られる。捏造発覚後再婚し、妻の苗字を名乗っているため、藤村は旧姓である。宮城県出身。 1950年、加美郡中新田町(現・加美町)生まれ[2]。子供時代に土器を拾い、古代に憧れを持つ[2]。仙台育英高等学校卒業後、東北電力子会社の東北計器工業へ就職。工員時代に考古資料に興味を持つようになり、休日を利用して石器収集を始め、1973年には論文(『宮城県古川市馬場壇発見の文字瓦』)において線刻文字瓦を資料紹介した。翌1974年(昭和49年)以降は、江合川流域の
『トイ・ストーリー4』(原題:Toy Story 4)は、ピクサー・アニメーション・スタジオ製作によるアメリカ合衆国のコンピュータアニメーション・ロマンティック・コメディ・アドベンチャー映画。アメリカ合衆国で2019年6月21日[7]、日本で同年7月12日公開[8]。監督はジョシュ・クーリー[9]。キャッチコピーは「あなたはまだ─本当の「トイ・ストーリー」を知らない。」[10]。 1995年公開の『トイ・ストーリー』、1999年公開の『トイ・ストーリー2』、2010年公開の『トイ・ストーリー3』に続くトイ・ストーリーシリーズ第4作目であり[注 1][11]、ピクサーの長編映画としては2018年公開の『インクレディブル・ファミリー』に次ぎ『トイ・ストーリー』から数えて第21作目となる。また、シリーズ初となるドルビーアトモスに対応した作品である。 ウッディやバズ・ライトイヤーなどお馴染みのキャ
旧ソ連カザフスタンのトカエフ大統領は17日、ロシアが2月のウクライナ侵攻開始直前に独立を承認したウクライナ東部の親露派「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を国家として承認しない考えを示した。 ロシア北西部サンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで、プーチン大統領も参加したパネルディスカッションの中で表明した。 トカエフ氏は、国家の一体性と民族自決の権利は国際社会で互いに相反する価値観だと指摘。仮に独立を求める世界中の民族全ての独立を認めれば、国連加盟国の数は現在の193から600以上にもなり「大混乱を招く」と指摘した。 そのためカザフは台湾やコソボのほか、旧ソ連ジョージア(グルジア)からの独立を主張する南オセチアやアブハジア自治共和国の独立も認めていないと説明し「この原則はルガンスクとドネツクにも適用される」とした。(共同)
幕府の威光として利用された琉球 江戸時代になると、薩摩藩は琉球支配を強化するために、強硬な手段に出ます。慶長7年(1602)冬、島津氏は、幕府の命令で奥州の伊達政宗領に漂着した琉球人を琉球に帰しました。ところが琉球が、そのお礼の使者を出さないという理由で、慶長14年(1609)、幕府に琉球国への軍事行動の許可を願う事態になったのです。 理由は何でもよかったのでしょう。薩摩はどうしても琉球国を手に入れたかったようです。 というのも、関ヶ原の戦いに西軍として参戦して家康と対立した島津氏は、後年、許されて江戸幕府の下に入ることになったものの、敗戦による痛手は大きく、藩財政立て直しのために、琉球の貿易利権に目を付けていたからです。 薩摩に琉球出兵を嘆願された幕府としても、秀吉が行った対外戦争の負の遺産を何とかしたいという思惑がありました。このときはまだ、名目上、明との戦争が続いている状態でした。
高橋周平は東海大甲府で高校通算71本塁打をマークし、ドラフト1位で3球団が競合。高校ナンバーワンスラッガーは将来を嘱望されたが、試行錯誤を繰り返し、規定打席に初めて到達したのはプロ7年目の2018年だった。このシーズンは11本塁打をマークしたが、その後はミート重視のコンパクトな打法になり、2020年は打率.305、7本塁打を記録している。だが、昨年の打撃不振に続いて今季も打率.238、1本塁打、7打点と「特徴のない選手」になってしまっている。 また、根尾の大阪桐蔭の先輩・平田良介も1年秋から4番を打ち、高校通算70本塁打と豪快なスイングが持ち味だった。ドラフト1位で指名した当時の落合博満監督は「あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と絶賛していた。だが、プロ入り後は中距離打者としてレギュラーをつかむ。2018年に打率.329をマーク。一方で本塁打は2013年の15本
中日・根尾昂がリーグ戦再開の6月17日から投手登録に変更となったことが、大きな反響を呼んでいる。ドラフトで4球団が競合した甲子園の星がプロの壁に苦しんでいるが、中日にはほかにも高校時代に名を馳せたものの、ファンの期待に応えられていない選手が多い。 根尾が投手として大きな可能性を秘めているからこそ、立浪和義監督が野手からの転向を決断したことは間違いない。大阪桐蔭では遊撃と投手の「二刀流」で2年春、3年春、3年夏と3度の全国制覇に大きく貢献。春のセンバツ大会では史上初の2年連続優勝投手に輝いている。 最速150キロの直球、スライダーで相手打者を抑え、巧みなバットコントールに加えて高校通算32本塁打とパンチ力もある。プロでも「二刀流」で挑戦するか注目されたが、野手一本で勝負することを決断する。アマチュア野球担当のスポーツ紙記者は複雑な表情で振り返る。 「二刀流で注目されましたが、根尾は高校時代に
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