ロシアの基本は農業国 ロシアを含むスラブ民族は現在のルーマニアのカルパチア山脈周辺を原住地とし、中央ヨーロッパや東ヨーロッパに居住する農業民族でした。「スラブ」という言葉はロシア語では「弱い」という意味ですし、「奴隷」を意味するスレイブの語源はここからだと考えられています。 もともとのロシア民族の中心地はキエフでした。ここにノルマン人が侵入してきて9世紀の終わりにキエフ大公国が成立し、ドニエプル川の水利を利用して経済を発展させ、南の東ローマ帝国との交易関係を打ち立てました。10世紀終わりのウラジーミル聖公の時代に最盛期を迎え、東ローマ帝国の皇帝の妹を妃に迎えるとともにキリスト教を国教として導入しました。 ロシアを変えたモンゴル帝国による征服 ウラジーミル聖公の死後、親族間の争いで公国は弱体化し、これに十字軍遠征とそれに伴う地中海貿易の活発化によるドニエプル川経由交易の衰退が追い打ちをかけ、
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