ターバンを頭部に巻いてフェンシングのサーベルを振りかざす姿で一世を風靡したヒールレスラー。しかし、ここぞという場面では正統派レスリングを見せ、アントニオ猪木らトップクラスのレスラーにも勝利している。言動には独自の哲学を徹底して貫いており、多くの関係者から一目置かれる存在となっている。 日本国外や地元トロントではベビーフェイスとして活躍を続ける一方、プロレス以外の様々な事業を経営している。プロレス業界のみならず、財界、政界とも繋がりがあり、北米インド人社会では最も著名な人物の一人である。 軍隊を退役後、インド・レスリングの英雄グレート・ガマ流のレスリング・テクニックを身につけて1965年にシンガポールでレスラーとしてデビュー、その後カナダへ渡ったとされる[3]。 カナダではジャイアント馬場のアメリカ修行時代の師匠でもあるフレッド・アトキンスに正統派レスリングを叩き込まれ、オンタリオ州トロント