今朝、トマス・アクィナスについてのラジオ講義を聞きながらピザトーストを齧っていて、岩井克人が「資本主義は資本主義的価値に対して枠外のものがなければ成り立たない」といった内容を書いていたはずだ、とパートナーに話しかけると、「完全な統一理論を成り立たせようとすると崩壊するという脱構築的なもの」という説明が返ってきたのだけど、その時わたしが考えていたのは哲学と宗教の話で(トマス・アクィナスなのだから)、仏教もイスラームも哲学としての面と宗教としての面(そして政治としての面)があるが、哲学としての面を突き詰めればエリート主義的になり、宗教としての面を突き詰めれば反知性主義的になる。仏教でもイスラームでも(哲学としての)始原に帰れ、という運動はあり、まあ自分にある程度馴染みのあるイスラームで言えばサラフィー的なものだが、(سلف slfとは「先行する」で、単に「先に行ってて」みたいな意味でも「始祖」