★其ノ七 ブレークは必然だったのかもしれない。1976年8月に「ペッパー警部」でデビューしたピンク・レディーは同年11月に発売した第2弾シングル「S・O・S」でオリコン1位を果たした。 作詞は阿久悠さん、作曲は都倉俊一氏の黄金コンビだ。阿久さんが50近く用意したタイトルの中から選ばれた。ディレクターだった飯田久彦氏(76)が、そのヒットの真相を明かす。 「話題作りのために、イントロにシンセサイザーで“SOS”のモールス信号のようなものを効果音で入れましょうということになったんです」 デビュー前、社内会議でピンク・レディーを披露した。もちろん大股を広げるダンスも披露した。「なんだ、このゲテモノはって雰囲気で、後でしかられましたよ。でも、お前の好きなようにやってみろと。だから、何とかヒットさせたかったんです。で、遊び心に火が付いたんです」 「S・O・S」でのもくろみは当たった。ラジオでテスト盤
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