この数年でしばしば目にするようになった「弱者男性」という言葉。どこか見る者を居心地悪くさせるこの言葉を、いかに有意義に論じるかについて、昨年『モヤモヤする正義 感情と理性の公共哲学』を上梓した批評家・哲学者のベンジャミン・クリッツァーさんが考えます。 「弱者男性」という曖昧な言葉 インターネットから発祥した「弱者男性」という言葉は、この数年間で世間にも定着した。 批評家の杉田俊介による『男がつらい! 資本主義社会の「弱者男性」論』(2022年、ワニブックス)やライターのトイアンナによる『弱者男性1500万人時代』 (2024年、扶桑社新書)など、弱者男性はいまや書籍でも取り上げられるテーマになっている。そして、昨年に刊行された拙著『モヤモヤする正義』でも、2章にわたって弱者男性の問題を扱っている。 一方で「弱者男性」という言葉に対する反発も強い。とくにフェミニズムを支持する人々からは「女性
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