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ブックマーク / note.com/ryoryoryoooooya (1)

  • 目指してた場所はそうでもなかったー国連を辞めた話|田才諒哉 |Ryoya Tasai

    いつからだろう、国連職員になりたいと思ったのは。 たぶん、スーダンに駐在していたときだと思う。25歳だった。国連職員になった同期は子どもの頃からなりたかったという人も多く聞くので、比較的遅い方だと思う。 当時、NGO職員としてスーダンに駐在していたのだが、そこで一緒に仕事をしたのがとある国連機関だった。決して大きくはない日のNGOで働いていた自分からすると、国連は資金力もありダイナミックな活動ができ、こんな組織で自分も働いてみたいとそのときに思うようになった。今思うと、隣の芝生は青く見えたのだと思う・・・いや、スーダンに芝生なんてないので、隣の砂漠には水があるように見えたというのが正解か。 そこからは国連職員になるためのキャリアだった。国連で働くには大学院へ行く必要があったので、まずは大学院へ行こう。国連では英語を中心に仕事をすることになるから、大学院に行くなら海外の大学院にしよう。大学

    目指してた場所はそうでもなかったー国連を辞めた話|田才諒哉 |Ryoya Tasai
    yamadar
    yamadar 2024/12/23
    “辿り着くまでが果てしなく遠かったからこそ、その道のりで無意識に尊いものになっていったのかもしれない。でも、そんなステータス、マジでどうでもいいな”
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