今回も各紙、記事中で「亡くなる」や「死亡」、また通常の訃報記事で使われる「死去」は避け、「死んだ」を使っていました。ただ、記事の中ではそれでよくても、見出しが「たま、死ぬ」ではさすがに冷たいと感じる向きもあるでしょう。地方路線の活性化に貢献したたまの死に際しては和歌山電鉄が社葬を執り行うなど、もはや人間に匹敵する扱いです(そもそも駅長でした)。さて、このような場合、各紙の編集者はどんな見出しをつけるのか? そしてそれは、本当に校閲の目で見てもOKなのか? 大阪本社発行版の各紙を並べて目につくのは「天国へ」と「大往生」で、いずれも複数の新聞で使われていました。毎日新聞は「天国へ」でした。いや、動物が天国へ行くのか? 往生する(極楽浄土に生まれ変わる)のか?という疑問が浮かびますが、それを言うのはやぼというもの。どちらも元の宗教的な意味合いは薄れ、単に死の比喩として定着しているといってよいでし