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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

野菜が主役を張る時代

2012年09月24日 | 旨い物

      

 子供の頃は野菜が美味しかった。農家のおばさんがリヤカーを引いて野菜を売りに来て、路地で祖母がよく買っていた。子供だったから値段のことは記憶にないが、安かったと思う。おばさんの野菜はトマトは勿論、茄子なんて元々大した味がしないものもちょっと炒めて醤油を垂らしただけで、とんでもなく旨かった。

 しかし、どんなに美味くても御馳走ではなかった。だから、レストランのメニューに野菜料理はなかった。そんなものは家で食べられるし、値段も安くて商売にならなかったろう。

 ところが、今は野菜だけの料理がレストランで出るようになった。今の野菜は色形だけで、味がなくなったから美味しい野菜は嬉しいのだが、昔の記憶があるから野菜だけの料理は妙な気がする。しかしまあ、久しぶりに旨い野菜を食べられたと満足したことだ。

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病名公表で不思議なこと

2012年09月23日 | 世の中

     

 患者さんの病名は本人以外には秘密である。昔は癌の場合、家族だけに伝えて本人には別の病名を告げることもあった。今は本人と同伴の家族に病名を告げることが殆どだ。そして今では、あとから家族が単独で病名を聞きに来た場合には本人の同意があるか確かめなければならない鬱陶しさが生まれている。

 そこまでして守られる病名が芸能人の場合、素通しで公表されることが多い。今朝のインターネットに、元めざましテレビのアナウンサー大塚範一さんが急性リンパ性白血病の治療中一時退院を許可され、蕎麦屋で一杯という記事が出ていた。芸能人というのはそれこそ私生活まで晒して仕事をするようなところがあるので、本人の口から出たのだろうが、私などには馴染みにくい感覚だ。

 そこへ行くと政治家というのは公的な責任があるから、現役の場合病名を公表するのはやむを得ないと思う。ところがこれが公表されるとは限らずうやむやも多い。

 いつも思うのだが総理大臣と閣僚に健康診断を義務づけ、有能な主治医と医師団を付ける必要がある。こうした場合、おそらく純粋医療とはならず政治がらみになりやすく、なかなか担当が決まらないんだろうなと推測する。

 「政治語が話せる医師求む」、内閣秘書室。

 

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グーグルアースから見えてくるもの

2012年09月22日 | 小考

      

 時々グーグルアースを眺める。地球のあらゆる場所を俯瞰することが出来る。どんどん拡大してゆくと我が家も駅前医院もちゃんと確認出来る。子供の頃、こんな事が出来たら良いなあと思ったことが出来るようになっているのだ。子供の時だったら感じられただろう新鮮な感激がないのは残念だが、科学技術の進歩の凄さを実感する。

 地球の上をスムースにあちこち移動できるのも楽しいのだが、不思議な感覚に囚われるのは、だんだん拡大してゆく時だ。まず国が判別でき次いで山や川といった地形が現れ、幹線道路と市街地が分かるようになる。更に拡大すると個々の住宅まで識別できるようになる。実際には出来ないのだが、もっと拡大をしてゆけば一人一人が識別でき、更に拡大すれば顕微鏡の世界にまでどんどん入ってゆけるわけだ。そしてあるところを境に、個性が剥ぎ取られ、量子論の世界に入り込んで行く。どうも微少な世界の絡繰りが人間のスケールの世界をそして宇宙スケールの世界を支えているらしいのだが、繋ぎ目が判然としない。

 こうしたスケールの違いが考え方の相違感覚の相違の根元に横たわっているのを感じる。極めておおざっぱに言えば保守寄りの人は鳥の目を持ちリベラルな人は猫の目を持っていると言えそうだ。国のレベルで考えれば国力が第一だし、個人のレベルで考えれば自分の生活が第一になる。話が噛み合わないわけだ。

 面白いことに病人になると自分の身の回りに目が行き、社長になると日本や世界に眼が行くようになる。グーグルアースを見ながら妙なことを考えた。

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暑さ寒さも彼岸まで?

2012年09月21日 | 世の中

      

 朝夕めっきり涼しくなったが、まだまだ日中は暑い。「暑さ寒さも彼岸まで、本当にそうだわ、昔の人は偉かったわねえ」と母に聞いて育ったので、それに沿って気候変化を感じ取ってきたが、どうもここに来てそうでもないなあと呟くことになりそうだ。そこで、我が家では21世紀になり、「暑さは9月一杯」。と変えることにしたい。

 昔ほどでは無いが医院にはいろいろ頂き物、殆どがお菓子、がある。昼飯のあと職員と頂き物のお菓子を頬張ることが多い。昨日もOさんがお礼にと持ってきてくれたどら焼きを頂いた(痩せられないわけだ)。お礼と言ってもたいしたことは何もしていない。怪しげな胸部写真の陰影を総合病院の呼吸器に紹介しただけだ。丁寧に診察してもらい画像診断で、心配なものではないと言われ、嬉しくなってどら焼きを買ってきてくれたようだ。

 患者さんはいろいろ、ということはいろいろな方が居られるということだ。わざわざ時間を作って時間外に往診しても一言のお礼もない人から、専門外の病気だからと懇意の医師を紹介した程度でお礼にお菓子を下さる方までさまざまだ。

 私のようにあらゆる職種のあらゆる年代の人達と接することがなくても、世の中にはいろいろな人が居るということは車を運転すれば類推できる。丁寧から乱暴、親切からいじわるまで運転には人間性が現れる。「運転だけは、ちょっと荒っぽいの」。と宣う女性も居られるようだが??。

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情報がなくても存在

2012年09月20日 | 政治経済

   

 物理学的にはずれがあるのだけれども、まあ地球規模では今の同時性は保たれているとして問題はあるまい。秋風を感じながら駅まで歩いて、医院に付いたのが7時45分頃、キーボードを叩き始めたのが58分頃だ。普段は意識しないが今この時間アメリカは夕方で夕食を食べている人も多いだろう。ヨーロッパは真夜中で寝ている人が多いだろう。

 こうして地球のあちこちで途切れることなく日常生活が営まれているのだが、それを意識することなく我々は暮らしている。何らかのニュースが飛び込んで来ないとその存在を忘れがちになるのが人間の感覚だ。

 新聞テレビラジオは新しい事件事態でないと情報を提供しない。そうするとつい、我々は目下の問題さえも忘れがちになる。次の首相になる可能性の高い自民総裁選の報道も中だるみになっている。経済外交政界再編など、これ以上ない重要問題があるのに、喰い込んだ報道が少ないのはどうしたことだろう。総裁選に絡めて、問題を掘り下げた間断のない報道を期待している。

 王妃へのパパラッチは卑劣だが、政界で蠢く権謀術数の輩へのパパラッチは許容されよう。投票権のない国民も注視しており、そこに民意はある。政界パパラッチに裏で動こうとする人物の活動を暴いてほしい。

 野田総理の方針には賛成しがたいところが多いのだけれども、この人を超える力のある候補者がいるだろうかと感じてしまう。

 

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