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モトログ ~ある診断士の終わりなき挑戦~

ちょっとした後悔 ~ お別れの席に立ち会えなかったこと


冠婚葬祭は優先的に。
どんなに忙しくても「葬」だけは最優先しなさい。なぜならもう二度とその時はやってこないのだから。昔の上司に言われた言葉です。

それでもインフルエンザにかかってしまったことで、心残りの出来事がありました。



どうもkurogenkokuです。



実は先週、伯父(正確には義理の伯父)が亡くなりました。25日がお通夜だったのですが、インフルエンザを発症したため、ついにお別れの席には立ち会えませんでした。

伯父は医療法人を経営していました。
kurogenkokuは大学卒業後、某流通会社に勤務していたのですが、そこをやめるきっかけになったのが、伯父が開設したばかりの老人保健施設の運営の手伝いをするためでした。「身内でだれかこの事業を手伝ってほしい」、もしかして伯父に声をかけられなかったら、いまでも某流通会社に勤務していたかもしれません。見方を変えれば、いまのkurogenkokuの人生の道筋を作ってくれた方ともいえるでしょう。


そんな伯父とは決してうまくいっていたわけではありませんでした。何しろ伯父は医者です。医療業界において医者の指示は絶対。組織の構成員は医者の指示により、行動するのが当たり前。創造性やオリジナリティは求められません。kurogenkokuにとって、そこは当初期待していた世界とは異なり、最も居心地の悪い職場になりました。
伯父は開業医です。次第に組織が大きくなるにつれ、目がいき届かなくなります。その地域でもかなり大きな病院です。個人の力ですべてをマネジメントしようとしてもそれは不可能だ、と若いながらも見ていました。
でも伯父はとにかく真面目な人間です。すべて自分の目で確認しないと気が済みません。「石橋を叩いてもまだ渡らない。完全に自分の納得がいくまでは」、だから意思決定にも時間がかかり、調整役のkurogenkokuは、いよいよ業を煮やし、毎日のように伯父と対立していました。




しばらくしてkurogenkokuは伯父に言いました。

「老人保健施設が満床になるまでは残りますが、満床になったら私は辞めます」


それからこの職場を辞めるためだけに営業活動をし、入所して1年半経った時、いよいよそこを去る日がやってきました。



退職一週間前のこと。
普段は専属ドライバーを抱えて学会に出席する伯父が、私に運転手を頼んできました。伯父とはいっても経営者。業務命令です。私は運転手を務めました。
学会中、伯父はkurogenkokuに2万円渡し、「2時間くらいかかるから、好きなものを食べてきなさい」と言いました。御礼を言って、ファミリーレストランで時間をつぶしました。

帰り道、伯父がkurogenkokuにいいました。

「本当に辞めるのか・・・」

「はい、辞めます」

答えは変わりませんでした。



2人だけの会話はこれが最後でした。




そして20年経った今、伯父は亡くなりました。

当時といまではkurogenkokuも随分変わりました。
そもそも中小企業ってオーナー経営者のもの、経営はオーナーのやりたいようにやればいい。実際、ここまで医療法人は成長しているわけだし、経営者として失敗しているとは思いません。若かりし頃のkurogenkokuは、まだ大局的に企業を見る目が育っていなかったため、そのあたりの認識は甘かったと思います。ただオーナー経営者の考えと、働く側の目指す方向が一致しないのであれば、働く側が離れていく、これはいまも不変だと思っています。



もしいま伯父に戻らないかと誘われたらどうするか。
答えは20年前と変わらないと思います。


一生に一度しかない人生です。
伯父は人生を全うしたと思います。働きづめの人生だったわけですから、これからはゆっくりと休んでほしいと思います(合掌

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