早いもので、もう師走ですよ。いやー早い。
今年はみんな忘年会するんですかね。できるんですかね。
そういえば、ハラスメントを未然に防ぐ「ハラミ会」なるものが以前話題になっていた。
女性がいつどう傷つくかわからない、うっかりセクハラしてしまう可能性がある。
だから飲み会には女性を呼ばずに男性だけで行こう、という考えのことらしい。
女性を排除することで、コミュニケーション齟齬によるトラブルのリスクを下げるこのやり方は、さまざまな議論を呼んだ。
「女性排除は差別」「解決ではなく逃避」とかね。
個人的なハラミ会への賛否はともかく、このご時勢、ハラミ会は「当然の選択肢」だと思う。
コミュニケーションリスクがめちゃくちゃ高い以上、相互理解なんて諦めてそもそも関わらないことことが、「最適解」になりうるのだから。
オンラインゲームなのにだれも発言しない理由
オンラインゲームをやる人であれば、「コミュニケーション拒絶が最適解」という気持ちをわかってくれると思う。
こっちが親切心で「装備が弱いので新調したほうがいいですよ」と言っても、それが「知らない人に責められた」ことになってしまう。
「アイテムを使っていないみたいですが、わからないなら教えますよ」と言っても、それが「プレイスタイルの強要」になってしまう。
実際、そういう「晒し」を何度も見た。
相手は丁寧な口調でまっとうなアドバイスをしているのに、ヘタを通り越して地雷行為をしている人が、「知らない人にこんなこと言われたんです! ひどいよね? わたしかわいそうだよね?」と、相手の名前がわかるように晒しツイートをするのだ。
もちろん、アドバイスに対して「知りませんでした、ありがとうございます!」と言ってくれる人も多い。
でも「なんてひどいことを言うんだ!」と怒ったり、ショックを受けたりする人も一定数いる。
運悪くそういう人に出会うと、相手が大騒ぎして通報、最悪「アドバイスをした親切な人」のアカウントが停止されるのだ。
たまったもんじゃない。
相手がどういうリアクションを取るかわからない以上、オンゲー(オンラインゲーム)でコミュニケーションをとるなんて、リスクが高すぎる。
どんなゲームにも、途中離脱機能やキック機能(特定プレイヤーを追い出すシステム)があるからね。
「ハズレ」を引いたら、自分が抜けるか相手を追放すりゃいい。
だから「わかりあう」なんて最初から諦めて、「やばい人とマッチングした」と割り切って無言で遊んだほうが無難、という結論になるのだ。
傷ついた弱者を守るための「コミュニケーションリスク」
コミュニケーションの拒絶が最適解になった理由は、世界が「傷ついた弱者」に優しくなったからだと思う。
昔のMMORPGは、良くも悪くもプレイヤー同士のやり取りがさかんだったと聞く。
それには当然トラブルがつきものだが、「火事と喧嘩は江戸の華」のように、「それもゲームの醍醐味」というような空気だったそうだ。
運営側も、良くも悪くもプレイヤー任せ、放置だったらしい。
まぁ、いまほどSNSが普及しておらず、オンラインゲームはあくまでクローズドな空間だったからなんだろうけどね。
でもいまは、「他人を傷つけること」の罪が、明らかに重くなった。
ヘタクソでまわりに迷惑をかけている人に、「もっとこうしてください」と言うことすら、「一生懸命やってる人に対してひどい!」と言われるご時勢だ。
まわりがガンガン指摘すれば、それを受けてその人はメキメキうまくなるかもしれない。
でもアドバイスを嫌がる人だった場合、アドバイスをした側が悪者になるかもしれない。
だから、最低限「よろしく」「ありがとう」とだけいって、あとは無言が無難。
こんな空気なものだから、運営側も「厳しい取締り」を要求されがちだ。
迷惑プレイヤーを放置する運営は、「害悪プレイヤーを容認した罪」でプレイヤーから糾弾されるからね。
「健全化」といえば聞こえはいいが、タブーが増え罰則が厳しくなると、結果的にプレイヤーに「重いコミュニケーションリスクを追わせる」ことになる。
そうなるとまぁ、だれもなにも発言しないよね。リスクが高いもの。
で、「やばいヤツに当たったら抜けよう」「さっさと終わらせて次はうまい人と当たるのを祈ろう」となるわけである。
迷子の幼女を見過ごす大人…だって通報されたくないから
コミュニケーションリスクの高まりは、リアルでも顕著だ。
授業をサボろうとする生徒の手を教師が引っ張ったら「体罰」。
子どもが泣き喚くからきつく叱ったら「虐待」。
ミスをした部下に意見を聞いたら「ハラスメント」。
これらは、体罰や虐待やハラスメントを減らし、より多くの人がしあわせに暮らすための枷だ。
これ自体が悪いことではない。決して、ない。
でも弱者を守るために「傷つけること」の罪が重くなればなるほど、「加害者になる可能性が高まる」という側面があるのも事実。
たとえば以前、「救命のために男性が女性の服を脱がしAEDを使うことをどう思うか」なんて議論が盛り上がっていた。
どうもこうも、命に関わる非常事態なのになにを言ってるんだか。
と、呆れる人も多いだろう。
しかし、たとえ「人の命を救うために尽力した」という正しさがあっても、女性が「見知らぬ男性に服を脱がされて嫌な思いをした」と言えば、その行為は「悪」になる可能性がある。
悪者になる可能性がゼロじゃない以上、リスクを考えて、倒れている女性を無視する男性がいてもふしぎじゃない。
そうそうちょうど先日、『びしょびしょの4歳児、通り過ぎる大人 中学生は見過ごさなかった』なんてニュースも見かけた。
そりゃそうだよ。大雨のなかとぼとぼと歩く幼女に声をかけたら、大人は通報されるかもしれないもの。
そんなリスクを冒せるか?
他人を傷つけた人は批判され、罰せられる。
だから、「加害者にならない最も確実な方法は他人と関わらないこと」という結論になる。
それを、だれが責められるのだろう?
加害者にならない確実な手段は、他人と関わらないこと
問題は、「正しいかどうか」より「相手が傷ついたか・嫌な気持ちになったか」が焦点になると、一度「加害者」認定されてしまった人はどうしても分が悪いことにある。
「正しさ」の話であれば、証拠を集め論理的に釈明すればいい。
しかし「傷ついた」という人の言い分を否定して自己弁護すれば、相手をさらに追い詰めることになりかねない。
そして、「それこそが加害者の証明」といわれたらもうお手上げだ。
まぁ、正当性があるからって他人を傷つけていいわけではないしね。
とはいえ「傷つく」線引きは人によって大きくちがうから、「他人を傷つけないようにする」というのもなかなかむずかしい。
だからみんな、加害者にならないように、コミュニケーションの拒絶を選ぶ。
そもそも関わらなければ、トラブルなんて起こらないから。
で、こういう話のなかでよく言われるのが、「ふつうにしてたら大丈夫でしょ。こういう世の中になって肩身が狭くなるのは、いままで無意識に人を傷つけてきたから」というやつ。
「お笑い芸人が『外見いじりができないとなにも言えない』って言うけど、そもそもそれがまちがってるんだよ」と同じような意見だ。
それはたしかに一理あって、良心的な言動を心がけ、現在の価値観に敏感に適応すれば、コミュニケーションリスクはかなり低い。
しかし世の中には「しょっちゅう加害者になる危険人物」がいるのと同じように、「しょっちゅう被害者になる危険人物」もいるのだ。
たとえば、自由参加の職場飲み会に誘われただけで「セクハラ」としてツイッターにお気持ち表明する人。
上司からのアドバイスを「パワハラ」として人事部に報告する人。
ゲーム内でクリアのために解説されたら「プレイスタイルの強要」として通報する人。
たいていの人が「いやいや騒ぎすぎだろ……」と思うようなことであっても、本人が「傷ついた」と言えば、その人は被害者であり、あなたは加害者になるかもしれない。
相手がそういうタイプの可能性がある以上、こういったコミュニケーションリスクは、いかに自分が気をつけていてもゼロにはならないのだ。
コミュニケーションをとらないことが最適解の世界
傷ついた人に寄り添うことが「善」の世界では、コミュニケーションリスクがアホみたいに高い。
だから結局、「関わらない」が最善になってしまう。
ハラミ会が話題になったのも、オンラインゲームなのに全員無言で協力しようとしないのも、みーんな「他人と関わるリスクを取りたくないから」。
つい先日、YouTubeにおいて、低評価数が非表示になったのもそうだ。
荒れるかもしれないから非表示にするという処置は、「視聴者とのコミュニケーション拒絶」ともいえる。
小室圭さん、眞子さんが文章で言いたいことだけ言って高飛びしたのも、「国民とのコミュニケーション拒絶」の結果だろう。
で、結局のところ、それが認められるんだよね。
「飲み会に女性を呼ばないのは問題解決ではない」と抗議したところで、「セクハラのリスクをなくすためです」と言われたらどうしようもない。
「ふつうにプレイしていればアカウント停止にはなりません」と言われたところで、その可能性がちょっとでもあるのなら、わざわざ知らない人にアドバイスなんてしたくない。
「低評価は視聴者の意思表示手段」という声があったところで、荒らしに使われるくらいならこんな機能いらない。
「国民の理解を得るべき」という条件をつけたところで、「儀式はすべてやりません、国民の誹謗中傷に耐えられません」となればそれ以上強くは出られない。
結局認められるのなら、わざわざコミュニケーションリスクを負って相互理解を目指すなんて、バカらしくなっちゃうよね。
これらのコミュニケーションコストはそもそも、傷つく人を減らし、理不尽に泣くことがないようにするための、「弱者を守るための枷」だったはずなのに。
その枷の結果、「コミュニケーションリスクが爆上がりし、コミュニケーションをとらないことが最適解になっている」のだから、皮肉なことだ。
でもしかたない、相手がいつ傷つくかはわからないのだから。
ヘンに関わって自分が加害者になってしまったら困るから。他人に関わらないのが、いちばん平和。
多くの人のココロを守ろうとすればするほど、コミュニケーションは破綻していく。
それはもう、抗いようのない流れなのだろう。
「なにかちがう」という違和感を抱きつつも、だからといって他人に関わりたいとも思わないしね。
そんなことを思いながら、今日もわたしは「こいつ全然わかってねぇな……適当に終わらせて次がんばろう」と、無言でゲームをするのだ。
だってそれが、一番無難だから。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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