私の好きなジャニスジョップリン心の底から叫びのように歌い上げる心惹かれます。今日いち-2024年9月9日
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私の好きなジャニスジョップリン心の底から叫びのように歌い上げる心惹かれます。今日いち-2024年9月9日
2024年3月訪問パリに行くと必ず訪れるのがこのオルセー美術館です。 今回は印象派の特別展をやっていましたが、それは後日ゆっくり見るとして今日は常設展を見ることにした。PARIS1874まずは私の大好きな絵から見ていきます。今回は1枚です。 VincentVanGogh(1853-1890)フィンセント・ファン・ゴッホ(ウイキペディア表記) LeDocteurPaulGachet(1890) ゴッホは晩年、オーヴェル=シュル=オワーズの精神病院に通院のためにここに転地しました。この絵の邦題は「医師ガシェの肖像」で1890年6月に書かれたものです。ゴッホが自殺する2か月前のことです。ガシェ医師は白いハンチングをかぶりジットこちらを見ています、少し神経質そうな表情です。眼差しはまるで相手の心の中をのぞいている...ゴッホ自殺の2か月前オルセー美術館医師ガシェの肖像
2024年3月9日にストラスブールからコルマールに移動しました。ストラスブールからコルマールまではTER(列車)で約30分程度です。 コルマール駅はこんな感じです。グーグルマップでコルマールの街を見てみましょうか。 コルマールはストラスブールと比べても小さな町で、旧市街地を南から北まで歩いても20分もかからないぐらいです。今回私たちはノボテルスイートコルマールサントスというホテルに泊まりました。 位置はこんな感じで旧市街の一番南にあります。部屋は30平米ありかなり広いです。受付の対応もとてもよく好感が持てました。部屋の中はこんな感じです。 ツインルームですがヨーロッパではこんなスタイルのツインがスタンダードです。ツインルームがないホテルもあります。 テレビは大型で見やすかったですが、ベットボードに...コルマールをざっとアルザスコルマール
ノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂にはとても素晴らしい時計があります。それは天文時計で、とても秀逸なデザインや芸術的な絵や彫刻で身を飾っているばかりでなく。 その美しい装いに隠された内部の性能には驚かされるばかりです。この時計はからくり時計になっていて、12時にはたくさんの人形が踊り時を告げます。これを見るためには別にチケットを買い入場します。このために午後12時から一定時間教会が閉じられます。https://youtu.be/aIkLwe45_us動画に撮ってきたのでUチューブでご覧ください。この天文時計は大聖堂の翼廊にあり、高さは18メートルあります、通常のビルにしたら6階分ぐらいある高さです。1547年にChrisHerfinらによって製作が開始されました。しかしストラスブールがカソリックにな...超絶技巧の天文時計ストラスブール大聖堂
街の中心に聳えるノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂をもう少し見ていきましょう。現在の原型が建設されたのは、1177年頃で祭壇のサンクチュアリと身廊の東の端あたりが最初に作られました。この時はロマネスク様式で建設が始まったようです。1225年にシャルトルから来た人達がゴシック様式にするように勧めたとあります、実際シャルトルでは、すでにシャルトルの大聖堂の建築が始まっていて、この建築様式の方が構造的に堅固なので、窓を広く取り、ステンドグラスなどを入れることができる、といった助言だったのではないかと推測します。そしてそのとおりに窓をふんだんに取った大聖堂に成長していきました。 画像の正面はゴシック様式の傑作と言われ、上へ上へと伸びあがっていこうとする意思を表すようにファサード一面に施された彫刻や装飾の総体...アンジェラの帽子に守られてストラスブール大聖堂アルザス
街の中心に聳える教会 フランス ストラスブール ノートルダム=ド=ストラスブール
イル川が血管で、木組みの家が皮膚だとするとノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂は文字通り心臓です。人々に時を継げ、キリスト教という宗教的中心となり、災害や戦争の時には避難所としても使われました。 高さ142メートルピンク色の砂岩で作られた躯体は堂々と街の中心に聳えます。20世紀になってからの発掘で、4世紀末から5世紀の遺構が発見されています。 この教会の建設のもとになる建物は、12世紀から始まって、数百年かけて作られました。このため、外観は典型的なゴシック様式で作られていますが、建物の一部はロマネスク様式で作られています。 教会の表面は一面彫刻で装飾されています。現在の彫刻はレプリカで、ルーブル美術館に収蔵されているものもあります。非常に荘厳であり、華麗な建物です。2024年3月取材i-phone...街の中心に聳える教会フランスストラスブールノートルダム=ド=ストラスブール
ストラスブールを流れるイル川が目地の血管だとすると、街に立ち並ぶ木組みの家は皮膚のような感じです。 立ち並ぶ建物には色が塗られて物があります、その隣に白壁で木組みの建物があります。その色彩の対比がとても綺麗です。 木組みの家の中には、画像のようないろいろな物をぶら下げている家があります。これは、その家がどのような商売を営んでいるかを分かりやすく示すためだとガイドが教えてくれました、たぶん中世には字が読めない人がたくさんいたので、商品を下げることでこのお店がどんな商売を営んでいるかわかるようにしたのでしょう。 ストラスブールも度重なる戦争によって町の多くが破壊されたに違いありません、しかしそのたびに市民たちが大変な思いをして再建してきたのでしょう。その結果街並みが今のように保存されたのだと思います。 ...街を彩る美しい家フランスアルザスストラスブール
ストラスブールの街でたくさんの看板を見ました。おじさんがこちらを向いておいでおいでしてますね、思わず入りたくなります。かなり凝ったものもありますよ。いかがですか、上を向いて歩きすぎて首が痛くなりました。2024/03/19魅力的な看板たち
ストラスブールを彩る大きな要素がイル川です。水源はライン川ということで、やはりドイツの血を引いているんですね。この河畔とても美しいでしょ。それともう一つは街並み、中世の建物があちらこちらに見受けられます。特に木組の家は、メルヘンチックでとてもキュートです。そして、こんな感じの出窓がついている家があり、一層メルヘンの世界に誘ってくれます。小さな街なので足の向くまま歩いていても、心配ないのであなたも、疲れるまで歩いてみてください。きっとあなたの好きな場所が見つかるはずです。美しいイル川フランスストラスブール
今回は、ストラスブール中央駅について書きます。この駅は近代的なドーム型の駅です。と思いきや、中に入ると、なんと古い石造りの建物があるんですね。これには私もびっくりしました。夜になると中の灯りがつくので、建物が透けて見えるようになります。かなり、幻想的な雰囲気です。2024年3月iphone13proとても不思議なストラスブール駅フランス
2日目の夜はどこにでも書いてあるルテーグルに行きました。このレストランはクローネンブルグのファミリーが始めたことでも知られています。レストランには巨大な窯が二つ置かれています。これは、タルトフランベを焼く窯です。こちらはバー、ビールだけでも楽しめます。こちらは早くから空いています。みんなでワイワイとお酒を飲んでいます。では、私もイッパイ飲みましょう。冷たくてとても美味しいです。タルトフランベやフリツッも出来上がりましたよ。フランベのカリカリ感がたまらなくおいしいです。ルテーグルLeTigerでタルトフランベを食べる
私がステイしているホテルから少し歩いた川堤に咲いているモクレンが満開です。まだ、朝晩は寒いですが日中は10度を超えます。この皮の先には、屋内マルシェがあり新鮮な食材を買うことができます。中はこんな感じです。2024年3月取材iphone13コルマールはモクレンが満開です
2024年3月5日21過ぎ、ホテルに到着しました。このホテルは駅から2分と時間の場所にあり、夜遅くの到着の我々にはとても便利な立地でした。部屋はシングルベッド2つの部屋を予約したした。ちょっと狭かったですね。浴室の様子です。バスタブは付いているのですが、狭くてお風呂として使うには、無理がありシャワーだけの利用でした。部屋はとても清潔に保たれ、ホテルのスタッフの対応はとても良く気持ちよく滞在できました。ありがとうございました♪ストラスブールのホテルルグランホテル
ストラスブールはフランスの北西部に位置し、ドイツと国境を接します。また、ストラスブールはアルザス地方に属しています。ドイツと接しているために、ことあるごとにドイツ領になったりフランス領になったりしました。最終的には、第2次世界大戦終了時にフランス領となりました。宗教的にも、神聖ローマ帝国でありながら、宗教改革の影響を早くから受けプロテスタントを容認しました。また、ストラスブールと言えばドイツ的な木組みの家が象徴的です。 また、出窓もとてもかわいく小さく区切られた枠に曲面を伴うガラスがはめ込まれていて、夜は家の中から漏れ出す光が乱反射してとても綺麗です。 この様に、中世時代の面影が残され、または再建されて今では貴重な世界遺産となっています。勿論慣行を目当てに毎年たくさんの観光客が訪れるので重要な財政基盤...アルザスストラスブールフランスとドイツの狭間で
また旅を始めます。今回の旅は、アルザス地方のストラスブールとコルマールの2都市とパリとその他の都市です。アルザスは、妻の希望で行くことになったものです。フライトは日本航空のJL0045便8時25分出発と、少し早いので、天空橋のホテルに前泊しました。2024年3月5日羽田空港第3ターミナルから旅立ちました。到着はシャルルドゴール空港でフランス時間13時33分でしたが、40分ほどの遅れとなりました。今回はプレミアムエコノミーなので、桜ラウンジが使えました。ここのカレーは美味しいですね。ストラスブールにはAEROPORTROISSYCDG2TGV駅からの出発です。シャルルドゴールの到着は2Eターミナルなので、第2ターミナルのTGVの駅までは歩いて行きました。この駅まではかなり複雑なので、聞きながら行きました。1...旅は始まったアルザスストラスブールコルマール、パリ+
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)それでは再び外に出てモネの庭園を歩きましょう。モネの家とっても綺麗です。 そして歩を進めていくうちに、うっそうとしたブッシュを思わせる小路があります。「このアーチにアレンジされている植物はいつどんな花を咲かせてくれるのだろうか」そんなことを考えながら歩くのも楽しみの一つです。 手前はナスタチゥムですね、この葉っぱはからしのような味がして美味しいですよ。 ここもうっそうとして一見無造作な感じがしますが、草花の高低差をよく考えて植物が配されているのが分かります。 その先に進むとつたの絡まる大きな建物があります、ここはモネが大きな作品を書くためのアトリエとして使われていたそうです。 今ではスーベニールショップとして使われていますが、壁には一連の大...散策モネの庭園
前にも書いたようにモネは美食家で知られています。絵が売れなかった頃は家族ともども食うや食わずの生活をしていたのでその反動が出たのかもしれませんね。 モネの家の食堂です。壁面や家具は黄色の色調で統一されていますが、床面は紅白のチェックで、床にテーブルクロスが一面に敷かれているようです。 窓にはレースのカーテンが配されていて、窓からは外の光が入り込むようになっています。モネはこの家で、亡くなったカミーユとの間の子ども2人と、モネの家に押しかけて居座ってしまったアリス・オシュデの子ども6人を含めた11人家族で生活していました。 この食堂にはクレマンソーを含むたくさんの芸術家や有名人が訪れています、毎日がやがやとここで、ワインを飲みながら楽しい時間を過ごしていたのでしょう。モネはその頃には作品も高額で売れるよ...モネはどんな料理を食べていたんだろう
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)1883年から死ぬまでジベルニーに住みました。下の画像は、紅葉の衣装をまとったモネの家です。紅葉する葉っぱと、緑の葉っぱが見事に調和しています。 モネの家外観 モネの家の内部ソファーの上の壁面には日本の浮世絵が飾られています。 セザンヌの『赤いベストを着た少年』が掛けられています。モネはセザンヌをはじめ同時代の画家たちの絵をたくさん所有していました。この『赤いベストを着た少年』現在はビュールレ・コレクションに収蔵されているので、レプリカだと思われます。 この部屋はベッドルームとして使われていたのでしょう。中央にはカイユボットの『雨の日のパリ舗道』が掛けられています。この絵も現在はシカゴ美術館に収蔵されています。 モネの家から庭を望むモネは家...モネの家で見つけた莫大なコレクションジベルニー
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)彼はジベルニーの地で、精力的に制作活動を行いました。それ以外の大半に時間を庭造りに注ぎ込んでいたといわれます。 睡蓮の花それが見事に実り、こうして今も『モネの庭園』として私たちの目を楽しませてくれています。 私が訪れた2022年10月はちょうど紅葉の時期でした、紅葉した木々と、まだ盛んに咲き誇っている様々な種類の花が、すばらしくきれいであり調和的であり私たちをやさしく包み込んでくれました。 池に映し出される周囲の植物はまさにモネが描こうとしていた作品そのものです。 オランジェリー美術館『水連』 この景色は、モネがカンバスの中に取り込もうとした時、そう、その時々に変わっていく様子に私たちも彼と一緒に引き込まれていきます。 至福の瞬間というのは...時の魔術モネの庭園睡蓮の池
それではジベルニーモネの庭に入っていきましょう。このシリーズはできるだけ画像をお届けしたいと思います。ジベルニーの10月、紅葉も、咲き誇る草花もとても綺麗ですよ。 モネの庭にはこうした小路がたくさんあります、かつてモネが歩いた小路をこうして私も踏みしめているんだな、そんな思いが胸を占めます。其の両サイドには時々の草花が咲き乱れています。そしてその草花たちを包み込むようにこんもりとした木々が優しい風景を作ります。 小路は小川とぶつかり、そのせせらぎが作り出す旋律とリズムが耳の中に入ってきます。目と、耳とそしてせせらぎが作り出す音が私の心に平安をもたらします。 そしてその小川は池に流れ込んでいきます。その池は、モネが何回も何回も描いたまさにその睡蓮の池なのです。周囲の背高の木達、そしてその下には様々な色を...時を捉える睡蓮の池
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私の好きなジャニスジョップリン心の底から叫びのように歌い上げる心惹かれます。今日いち-2024年9月9日
2024年3月訪問パリに行くと必ず訪れるのがこのオルセー美術館です。 今回は印象派の特別展をやっていましたが、それは後日ゆっくり見るとして今日は常設展を見ることにした。PARIS1874まずは私の大好きな絵から見ていきます。今回は1枚です。 VincentVanGogh(1853-1890)フィンセント・ファン・ゴッホ(ウイキペディア表記) LeDocteurPaulGachet(1890) ゴッホは晩年、オーヴェル=シュル=オワーズの精神病院に通院のためにここに転地しました。この絵の邦題は「医師ガシェの肖像」で1890年6月に書かれたものです。ゴッホが自殺する2か月前のことです。ガシェ医師は白いハンチングをかぶりジットこちらを見ています、少し神経質そうな表情です。眼差しはまるで相手の心の中をのぞいている...ゴッホ自殺の2か月前オルセー美術館医師ガシェの肖像
2024年3月9日にストラスブールからコルマールに移動しました。ストラスブールからコルマールまではTER(列車)で約30分程度です。 コルマール駅はこんな感じです。グーグルマップでコルマールの街を見てみましょうか。 コルマールはストラスブールと比べても小さな町で、旧市街地を南から北まで歩いても20分もかからないぐらいです。今回私たちはノボテルスイートコルマールサントスというホテルに泊まりました。 位置はこんな感じで旧市街の一番南にあります。部屋は30平米ありかなり広いです。受付の対応もとてもよく好感が持てました。部屋の中はこんな感じです。 ツインルームですがヨーロッパではこんなスタイルのツインがスタンダードです。ツインルームがないホテルもあります。 テレビは大型で見やすかったですが、ベットボードに...コルマールをざっとアルザスコルマール
ノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂にはとても素晴らしい時計があります。それは天文時計で、とても秀逸なデザインや芸術的な絵や彫刻で身を飾っているばかりでなく。 その美しい装いに隠された内部の性能には驚かされるばかりです。この時計はからくり時計になっていて、12時にはたくさんの人形が踊り時を告げます。これを見るためには別にチケットを買い入場します。このために午後12時から一定時間教会が閉じられます。https://youtu.be/aIkLwe45_us動画に撮ってきたのでUチューブでご覧ください。この天文時計は大聖堂の翼廊にあり、高さは18メートルあります、通常のビルにしたら6階分ぐらいある高さです。1547年にChrisHerfinらによって製作が開始されました。しかしストラスブールがカソリックにな...超絶技巧の天文時計ストラスブール大聖堂
街の中心に聳えるノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂をもう少し見ていきましょう。現在の原型が建設されたのは、1177年頃で祭壇のサンクチュアリと身廊の東の端あたりが最初に作られました。この時はロマネスク様式で建設が始まったようです。1225年にシャルトルから来た人達がゴシック様式にするように勧めたとあります、実際シャルトルでは、すでにシャルトルの大聖堂の建築が始まっていて、この建築様式の方が構造的に堅固なので、窓を広く取り、ステンドグラスなどを入れることができる、といった助言だったのではないかと推測します。そしてそのとおりに窓をふんだんに取った大聖堂に成長していきました。 画像の正面はゴシック様式の傑作と言われ、上へ上へと伸びあがっていこうとする意思を表すようにファサード一面に施された彫刻や装飾の総体...アンジェラの帽子に守られてストラスブール大聖堂アルザス
イル川が血管で、木組みの家が皮膚だとするとノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂は文字通り心臓です。人々に時を継げ、キリスト教という宗教的中心となり、災害や戦争の時には避難所としても使われました。 高さ142メートルピンク色の砂岩で作られた躯体は堂々と街の中心に聳えます。20世紀になってからの発掘で、4世紀末から5世紀の遺構が発見されています。 この教会の建設のもとになる建物は、12世紀から始まって、数百年かけて作られました。このため、外観は典型的なゴシック様式で作られていますが、建物の一部はロマネスク様式で作られています。 教会の表面は一面彫刻で装飾されています。現在の彫刻はレプリカで、ルーブル美術館に収蔵されているものもあります。非常に荘厳であり、華麗な建物です。2024年3月取材i-phone...街の中心に聳える教会フランスストラスブールノートルダム=ド=ストラスブール
ストラスブールを流れるイル川が目地の血管だとすると、街に立ち並ぶ木組みの家は皮膚のような感じです。 立ち並ぶ建物には色が塗られて物があります、その隣に白壁で木組みの建物があります。その色彩の対比がとても綺麗です。 木組みの家の中には、画像のようないろいろな物をぶら下げている家があります。これは、その家がどのような商売を営んでいるかを分かりやすく示すためだとガイドが教えてくれました、たぶん中世には字が読めない人がたくさんいたので、商品を下げることでこのお店がどんな商売を営んでいるかわかるようにしたのでしょう。 ストラスブールも度重なる戦争によって町の多くが破壊されたに違いありません、しかしそのたびに市民たちが大変な思いをして再建してきたのでしょう。その結果街並みが今のように保存されたのだと思います。 ...街を彩る美しい家フランスアルザスストラスブール
ストラスブールの街でたくさんの看板を見ました。おじさんがこちらを向いておいでおいでしてますね、思わず入りたくなります。かなり凝ったものもありますよ。いかがですか、上を向いて歩きすぎて首が痛くなりました。2024/03/19魅力的な看板たち
ストラスブールを彩る大きな要素がイル川です。水源はライン川ということで、やはりドイツの血を引いているんですね。この河畔とても美しいでしょ。それともう一つは街並み、中世の建物があちらこちらに見受けられます。特に木組の家は、メルヘンチックでとてもキュートです。そして、こんな感じの出窓がついている家があり、一層メルヘンの世界に誘ってくれます。小さな街なので足の向くまま歩いていても、心配ないのであなたも、疲れるまで歩いてみてください。きっとあなたの好きな場所が見つかるはずです。美しいイル川フランスストラスブール
今回は、ストラスブール中央駅について書きます。この駅は近代的なドーム型の駅です。と思いきや、中に入ると、なんと古い石造りの建物があるんですね。これには私もびっくりしました。夜になると中の灯りがつくので、建物が透けて見えるようになります。かなり、幻想的な雰囲気です。2024年3月iphone13proとても不思議なストラスブール駅フランス
2日目の夜はどこにでも書いてあるルテーグルに行きました。このレストランはクローネンブルグのファミリーが始めたことでも知られています。レストランには巨大な窯が二つ置かれています。これは、タルトフランベを焼く窯です。こちらはバー、ビールだけでも楽しめます。こちらは早くから空いています。みんなでワイワイとお酒を飲んでいます。では、私もイッパイ飲みましょう。冷たくてとても美味しいです。タルトフランベやフリツッも出来上がりましたよ。フランベのカリカリ感がたまらなくおいしいです。ルテーグルLeTigerでタルトフランベを食べる
私がステイしているホテルから少し歩いた川堤に咲いているモクレンが満開です。まだ、朝晩は寒いですが日中は10度を超えます。この皮の先には、屋内マルシェがあり新鮮な食材を買うことができます。中はこんな感じです。2024年3月取材iphone13コルマールはモクレンが満開です
2024年3月5日21過ぎ、ホテルに到着しました。このホテルは駅から2分と時間の場所にあり、夜遅くの到着の我々にはとても便利な立地でした。部屋はシングルベッド2つの部屋を予約したした。ちょっと狭かったですね。浴室の様子です。バスタブは付いているのですが、狭くてお風呂として使うには、無理がありシャワーだけの利用でした。部屋はとても清潔に保たれ、ホテルのスタッフの対応はとても良く気持ちよく滞在できました。ありがとうございました♪ストラスブールのホテルルグランホテル
ストラスブールはフランスの北西部に位置し、ドイツと国境を接します。また、ストラスブールはアルザス地方に属しています。ドイツと接しているために、ことあるごとにドイツ領になったりフランス領になったりしました。最終的には、第2次世界大戦終了時にフランス領となりました。宗教的にも、神聖ローマ帝国でありながら、宗教改革の影響を早くから受けプロテスタントを容認しました。また、ストラスブールと言えばドイツ的な木組みの家が象徴的です。 また、出窓もとてもかわいく小さく区切られた枠に曲面を伴うガラスがはめ込まれていて、夜は家の中から漏れ出す光が乱反射してとても綺麗です。 この様に、中世時代の面影が残され、または再建されて今では貴重な世界遺産となっています。勿論慣行を目当てに毎年たくさんの観光客が訪れるので重要な財政基盤...アルザスストラスブールフランスとドイツの狭間で
また旅を始めます。今回の旅は、アルザス地方のストラスブールとコルマールの2都市とパリとその他の都市です。アルザスは、妻の希望で行くことになったものです。フライトは日本航空のJL0045便8時25分出発と、少し早いので、天空橋のホテルに前泊しました。2024年3月5日羽田空港第3ターミナルから旅立ちました。到着はシャルルドゴール空港でフランス時間13時33分でしたが、40分ほどの遅れとなりました。今回はプレミアムエコノミーなので、桜ラウンジが使えました。ここのカレーは美味しいですね。ストラスブールにはAEROPORTROISSYCDG2TGV駅からの出発です。シャルルドゴールの到着は2Eターミナルなので、第2ターミナルのTGVの駅までは歩いて行きました。この駅まではかなり複雑なので、聞きながら行きました。1...旅は始まったアルザスストラスブールコルマール、パリ+
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)それでは再び外に出てモネの庭園を歩きましょう。モネの家とっても綺麗です。 そして歩を進めていくうちに、うっそうとしたブッシュを思わせる小路があります。「このアーチにアレンジされている植物はいつどんな花を咲かせてくれるのだろうか」そんなことを考えながら歩くのも楽しみの一つです。 手前はナスタチゥムですね、この葉っぱはからしのような味がして美味しいですよ。 ここもうっそうとして一見無造作な感じがしますが、草花の高低差をよく考えて植物が配されているのが分かります。 その先に進むとつたの絡まる大きな建物があります、ここはモネが大きな作品を書くためのアトリエとして使われていたそうです。 今ではスーベニールショップとして使われていますが、壁には一連の大...散策モネの庭園
前にも書いたようにモネは美食家で知られています。絵が売れなかった頃は家族ともども食うや食わずの生活をしていたのでその反動が出たのかもしれませんね。 モネの家の食堂です。壁面や家具は黄色の色調で統一されていますが、床面は紅白のチェックで、床にテーブルクロスが一面に敷かれているようです。 窓にはレースのカーテンが配されていて、窓からは外の光が入り込むようになっています。モネはこの家で、亡くなったカミーユとの間の子ども2人と、モネの家に押しかけて居座ってしまったアリス・オシュデの子ども6人を含めた11人家族で生活していました。 この食堂にはクレマンソーを含むたくさんの芸術家や有名人が訪れています、毎日がやがやとここで、ワインを飲みながら楽しい時間を過ごしていたのでしょう。モネはその頃には作品も高額で売れるよ...モネはどんな料理を食べていたんだろう
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)1883年から死ぬまでジベルニーに住みました。下の画像は、紅葉の衣装をまとったモネの家です。紅葉する葉っぱと、緑の葉っぱが見事に調和しています。 モネの家外観 モネの家の内部ソファーの上の壁面には日本の浮世絵が飾られています。 セザンヌの『赤いベストを着た少年』が掛けられています。モネはセザンヌをはじめ同時代の画家たちの絵をたくさん所有していました。この『赤いベストを着た少年』現在はビュールレ・コレクションに収蔵されているので、レプリカだと思われます。 この部屋はベッドルームとして使われていたのでしょう。中央にはカイユボットの『雨の日のパリ舗道』が掛けられています。この絵も現在はシカゴ美術館に収蔵されています。 モネの家から庭を望むモネは家...モネの家で見つけた莫大なコレクションジベルニー
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)彼はジベルニーの地で、精力的に制作活動を行いました。それ以外の大半に時間を庭造りに注ぎ込んでいたといわれます。 睡蓮の花それが見事に実り、こうして今も『モネの庭園』として私たちの目を楽しませてくれています。 私が訪れた2022年10月はちょうど紅葉の時期でした、紅葉した木々と、まだ盛んに咲き誇っている様々な種類の花が、すばらしくきれいであり調和的であり私たちをやさしく包み込んでくれました。 池に映し出される周囲の植物はまさにモネが描こうとしていた作品そのものです。 オランジェリー美術館『水連』 この景色は、モネがカンバスの中に取り込もうとした時、そう、その時々に変わっていく様子に私たちも彼と一緒に引き込まれていきます。 至福の瞬間というのは...時の魔術モネの庭園睡蓮の池
それではジベルニーモネの庭に入っていきましょう。このシリーズはできるだけ画像をお届けしたいと思います。ジベルニーの10月、紅葉も、咲き誇る草花もとても綺麗ですよ。 モネの庭にはこうした小路がたくさんあります、かつてモネが歩いた小路をこうして私も踏みしめているんだな、そんな思いが胸を占めます。其の両サイドには時々の草花が咲き乱れています。そしてその草花たちを包み込むようにこんもりとした木々が優しい風景を作ります。 小路は小川とぶつかり、そのせせらぎが作り出す旋律とリズムが耳の中に入ってきます。目と、耳とそしてせせらぎが作り出す音が私の心に平安をもたらします。 そしてその小川は池に流れ込んでいきます。その池は、モネが何回も何回も描いたまさにその睡蓮の池なのです。周囲の背高の木達、そしてその下には様々な色を...時を捉える睡蓮の池
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)それでは再び外に出てモネの庭園を歩きましょう。モネの家とっても綺麗です。 そして歩を進めていくうちに、うっそうとしたブッシュを思わせる小路があります。「このアーチにアレンジされている植物はいつどんな花を咲かせてくれるのだろうか」そんなことを考えながら歩くのも楽しみの一つです。 手前はナスタチゥムですね、この葉っぱはからしのような味がして美味しいですよ。 ここもうっそうとして一見無造作な感じがしますが、草花の高低差をよく考えて植物が配されているのが分かります。 その先に進むとつたの絡まる大きな建物があります、ここはモネが大きな作品を書くためのアトリエとして使われていたそうです。 今ではスーベニールショップとして使われていますが、壁には一連の大...散策モネの庭園
前にも書いたようにモネは美食家で知られています。絵が売れなかった頃は家族ともども食うや食わずの生活をしていたのでその反動が出たのかもしれませんね。 モネの家の食堂です。壁面や家具は黄色の色調で統一されていますが、床面は紅白のチェックで、床にテーブルクロスが一面に敷かれているようです。 窓にはレースのカーテンが配されていて、窓からは外の光が入り込むようになっています。モネはこの家で、亡くなったカミーユとの間の子ども2人と、モネの家に押しかけて居座ってしまったアリス・オシュデの子ども6人を含めた11人家族で生活していました。 この食堂にはクレマンソーを含むたくさんの芸術家や有名人が訪れています、毎日がやがやとここで、ワインを飲みながら楽しい時間を過ごしていたのでしょう。モネはその頃には作品も高額で売れるよ...モネはどんな料理を食べていたんだろう
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)1883年から死ぬまでジベルニーに住みました。下の画像は、紅葉の衣装をまとったモネの家です。紅葉する葉っぱと、緑の葉っぱが見事に調和しています。 モネの家外観 モネの家の内部ソファーの上の壁面には日本の浮世絵が飾られています。 セザンヌの『赤いベストを着た少年』が掛けられています。モネはセザンヌをはじめ同時代の画家たちの絵をたくさん所有していました。この『赤いベストを着た少年』現在はビュールレ・コレクションに収蔵されているので、レプリカだと思われます。 この部屋はベッドルームとして使われていたのでしょう。中央にはカイユボットの『雨の日のパリ舗道』が掛けられています。この絵も現在はシカゴ美術館に収蔵されています。 モネの家から庭を望むモネは家...モネの家で見つけた莫大なコレクションジベルニー
クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)彼はジベルニーの地で、精力的に制作活動を行いました。それ以外の大半に時間を庭造りに注ぎ込んでいたといわれます。 睡蓮の花それが見事に実り、こうして今も『モネの庭園』として私たちの目を楽しませてくれています。 私が訪れた2022年10月はちょうど紅葉の時期でした、紅葉した木々と、まだ盛んに咲き誇っている様々な種類の花が、すばらしくきれいであり調和的であり私たちをやさしく包み込んでくれました。 池に映し出される周囲の植物はまさにモネが描こうとしていた作品そのものです。 オランジェリー美術館『水連』 この景色は、モネがカンバスの中に取り込もうとした時、そう、その時々に変わっていく様子に私たちも彼と一緒に引き込まれていきます。 至福の瞬間というのは...時の魔術モネの庭園睡蓮の池
それではジベルニーモネの庭に入っていきましょう。このシリーズはできるだけ画像をお届けしたいと思います。ジベルニーの10月、紅葉も、咲き誇る草花もとても綺麗ですよ。 モネの庭にはこうした小路がたくさんあります、かつてモネが歩いた小路をこうして私も踏みしめているんだな、そんな思いが胸を占めます。其の両サイドには時々の草花が咲き乱れています。そしてその草花たちを包み込むようにこんもりとした木々が優しい風景を作ります。 小路は小川とぶつかり、そのせせらぎが作り出す旋律とリズムが耳の中に入ってきます。目と、耳とそしてせせらぎが作り出す音が私の心に平安をもたらします。 そしてその小川は池に流れ込んでいきます。その池は、モネが何回も何回も描いたまさにその睡蓮の池なのです。周囲の背高の木達、そしてその下には様々な色を...時を捉える睡蓮の池
モネ(ClaudeMonet,1840年- 1926年)の作品にたびたび登場する「睡蓮」そして彼がこよなく愛する「庭」その「モネの庭」をご紹介しましょう。モネの家はジベルニーにあります。パリからジベルニーに行き方法はサン・ラザール駅からべルノン駅までは小一時間の列車の旅、べルノンでバスに乗ります。2022年10月取材当日は車で行ったので、駐車場からモネの家の入り口まで歩きます。 駐車場からは綺麗な植栽を見ながらチケット売り場まで歩きます。春から夏にかけては観光客が多くこの辺りもかなり混雑するようですよ。 者の家の周りにはこうしたおしゃれな店があります。散策に疲れたら、カフェに入ってカプチーノでも飲んで疲れを癒すことができます。私はフランスのカフェで飲むエスプレッソが大好きなんですね。 チケット売り場周...モネの家の周辺ジベルニーフランス
それでは公園の中に入ってみましょう。このセーヌ川沿いの細長い公園の一番シュリー橋に近い所にあるのはエスプラナードデュケサンベルナールの遊び場という公園の部分です。画像を見ていただけばお分かりのようにモニュメントの後ろの公園の児童遊具が見えますここは児童公園なんですね。バーナードペイジス「無題」(1988)この辺りから野外彫刻美術館に入っていきます。様々な彫刻類が目に入ってきます。ここはティノ・ロシ公園の一部になっています。 LIUBA⦅ブルガリア⦆「無題」セーヌ川を背景にすくっと立つ黒い物体、人が立っているようにも見えますが何をイメージしたものでしょう。この作品が何を訴えているのかは見る人によって違います、いろいろ考えながら眺めるのは楽しいものです。 公園の噴水広場この時は噴水が出ておらず、この空間を利用...藝術は踊る野外彫刻美術館
皆さんはパリの街角に立って四方を見まわしたことはありませんか?今回はセーヌ川に面するアラブ世界研究所の裏手に立ってあたりを見渡してみました。アラブ世界研究所裏側壁面フォセ・サン=ベルナー通りからシュリー橋に行く交差点にはアラブ世界研究所があります。この建物デザインがとても奇抜なんです。今回はパリ植物園側から建物の壁面デザインを撮ってみました。 シュリー橋パリ植物園側から撮影この橋は均整の取れた大変美しい橋だと私は思っています。設計はギュスターブ・ブロスランとポール・ヴォドレーとなっています。橋の名前はアンリ4世(在位1589~1610)の宰相のシュリーの名を取って命名されたものです。サンルイ島を通過させるためか、橋は川面から45度程度傾けてあります。 シュリー橋のアラブ世界研究所側のたもとにある道標 私...パリで四方を眺めてみるシュリー橋
今回は、リュテス円形劇場を後にしてティノ・ロシ(ロッシ)庭園に向かいます。その前にこのティノ・ロシ庭園のティノ・ロシ(1907-1983)についてです彼はコルシカ生まれの歌手、俳優です。彼の甘いマスクと、ヴェルベットのような歌声は、フランス人の魂を激しく揺さぶりました。ロシは2000曲余りを録音しなんと2億枚のレコードセールスを記録したといいます。私の父親が時々ティノ・ロシをレコードで聴いていたのを覚えています。今ではそのレコードは失われてしまいましたがのちに彼の歌声を聞いて思い出しました。TinoRossi-J'attendrai,1939(youtube.com)その中で、私の好きなJ'attendrai,1939をユーチューブで発見したので張っておきます。 さて、そのティノ・ロシ公園へ向かいましょう...パリの公園は面白いティノ・ロシ公園
フイリップ・オーギュストの城壁からカルディナル・ルモワーヌ通りを左折します、メトロカルディナル・ルモワーヌ駅まで行き、左折します。ここの角はかなり鋭角になっています。モンジュ通りを直進しますがこの辺りは下町的雰囲気で小さなお店やレストランが並んでいます。次回時間があれば取材してきます。しばらく歩いてモンジュホテルが切れたところでナヴァール通りに入ります、ちょっとわかりにくいかな。道なりに歩いて行くと横断歩道がありそこがリュテス円形劇場の入り口になってます。 ナヴァール通りからリュテス円形劇場に付帯されている公園に入ったところ。 リュテス円形劇場は古代ローマ時代、ガリア地方に進出していったローマ軍が作った円形の闘技場の遺跡です。この建築物が作られたのは、2世紀頃でローマ以外に建てられた闘技場としては大きなも...はるばる遠くに来たもんだ。でも忘れなかったリュテス円形劇場
サンチチエンヌ・デュ・モン教会の前に広場はサント・ジュヌビエーブの名を取ってジュヌビエーブ広場と名付けられています、その広場の前がクロヴィス通りです。日本ではクローヴィス1世と表記されることが多いメロヴィング朝フランク王国の初代の王の名を取った道です。この道を暫く行くとデカルト通りと交差します、そしてこの交差するところにあるのがサロン・ド・テカワカミです。デカルト通りが交差点で右に曲がっているのでお店の入り口は三角形をしています。とてもかわいいお店なんですよ。このデカルト通りを南に歩くとムフタール通りです、この通り沿いには手ごろな価格で楽しめるレストランやバーがたくさんあるんですね。ちょうど喉が渇いたのでこのお店に入ってみましょう。この時食べたのはリンゴのケーキそしてカフェカプチーノでした。店内にはたくさ...街は歴史に満ちているフイリップ・オーギュストの城壁
サンテティエンヌ・デュ・モン教会この教会は、彫刻や、絵画など貴重な美術品がギュッと詰め込まれています。さらに素晴らしいのはステンドグラスです。ブリエッツの奇跡ステンドグラスは建築様式が、ゴシック様式になった時に現在のように大きくなりました。それは、ゴシック様式には飛梁が考案されたからです、飛梁によって建物の重量を壁で支えることは無くなりました。壁は重量から自由になったことにより、薄くなりさらには窓を広くとることができるようになったんですね。もしこの飛梁の発明はなかったら私たちはこの美しいステンドグラスを見ることができなかったのですね。ノアの箱舟 今ここに皆さんにお見せしているのはこの教会のステンドグラスで、題材は聖書から取られています。ステンドグラスの発展の大きなカギがここにあります。つまり、この時代は市...ステンドグラスは教育的装置だったサンテティエンヌ・デュ・モン教会
さて、それではサンテティエンヌ・デュ・モン教会の中に入ってみましょう。主祭壇に向かった瞬間に目に飛び込んできたのは黄金に輝くジュベでした。ジュベというのは主祭壇の上にかかっている橋のようなものです。この様式にパリで出会ったのは初めてでした。もちろんパリには大小たくさんの教会がありそのすべてを見ているわけではありません。後で調べてみると、やはりパリでジュベのある教会はここサンテティエンヌ・デュ・モン教会だけでした。それにしても燦然と輝く存在には目を奪われますよ。このジュベは中央に欄干の部分があり両脇はらせん状に支柱に巻くつくように階段が巡っています。これには一面様々なデザインの彫り物が施されています、丸くアーチ状になった部分の左右には天使の浮彫があり、これがまた美しいんです。よーく見てみてくださいね。202...教会で美術作品探しをしてみませんか?
パンテオンの正面から出て、右側がサント・ジュヌヴィエーヴ図書館です。この建物も、5世紀にパリを外敵から救ったとしてパリの守護聖人になっているジュヌビエーブからその名がとられました。日本ではあまり知られてはいませんが、フランス特にパリでの知名度は高いんですね。この図書館に沿って、パンテオン広場を右に歩いて行くとサンテティエンヌ・デュ・モン教会があります、画像で見るとこんな感じですね。 EgliseSant-Etienne-du-Mont前身はサント・ジュヌビエーヴ大修道院の付属教会で、彼女もここに埋葬されていたそうです。しかし、1739年にフランス革命のどさくさで、グレー部広場で彼女の亡骸は燃やされてしまったそうです。ところが、1802年サント・ジュヌビエーヴ大修道院の解体の時に石棺が発見されて、その聖遺物...三層の異なったサーフィスが素晴らしいサンチチエンヌ教会訂正
パリ散歩2022年10月―11月パンテオンのある地は少し小高い丘になっています。この丘の名前はサントジュヌヴィエーブの丘といいます。フランスを救った二人の女性といえば、5世紀に異民族の侵略に果敢に戦い勝利を導いたジュヌヴィエーブとジャンヌ・ダルクですね。この丘はそのジュヌヴィエーブの名が付けられた丘なんです。 パンテオンとても壮大な教会です。この教会の様式はギリシャ十字型の平面に大ドームとコリント式の円柱を持つ新古典主義の建物です。この建物を正面から見るととても印象的なのがペディメントです。ペディメントというのはこの画像で見ると、円柱の上に広がる三角形の部分です。拡大してみると、正面に女神が立ち彼女に群がりくる将校や、兵士、司祭に月桂樹の冠のようなものを授けているところです。 パンテオンのペディメントに施...ジュヌヴィエーブの丘の神殿