《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)鎌倉石の使い方浄妙寺浄妙寺の石畳
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)鎌倉石の使い方浄妙寺浄妙寺の石畳
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)台峰からの富岳澄んだ青空はいいんだけれど富士山に雲がかかってきた台峰を歩いている
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)鎌倉の水平線・・・富岳を添えて日の出の頃の稲村ケ崎にて稲村ケ崎の富岳遠望
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)浄妙寺の石段遠くに見えるのは衣張山早朝の浄妙寺を散策
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)浄妙寺のある浄明寺の辺りは南に明るくて冬も暖かい・・・ように感じられる。浄妙寺の鎌倉石
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)冬の浄明寺を歩いている見事な石垣浄妙寺の鎌倉石
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)鎌倉の富岳日の出前峯山からの富岳
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)鎌倉石拾遺はじめ弁財天六浦方面から鎌倉に入った人々が訪れたそうだがかなり急な斜面を登った尾根にある昔は街道沿いにあったのが移されたのだろうその石畳(尾根を掘削した痕跡)と古い祠はじめ弁天は尾根筋に
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)天園ハイキングコースから十二所の方へ。途中の山の上に大江広元の供養墓がある。尾根筋うろうろ
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)瑞泉寺裏の尾根辺り。ツバキの光沢ある葉がとても綺麗で・・・鎌倉の裏山の藪のなかで
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)富士山が見えるところを探して天園ハイキングコースを歩く。木々が茂っていて、どこも見通しが悪い。天園の見晴らし台は、手前に高圧電線があって気になる。探し歩いて・・・この季節だけ見える景色。鎌倉の富岳
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)大仏坂の切り通しに寄ってみた寒々とした中に陽が射しこんでくる大仏坂の切り通し
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)円久寺の裏穏やかなところだが峯山が蓄えている水が盛んに湧き出ている峯山の裾で
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)木々の茂ってる季節は富士山が見えにくい。この頃だから・・・日の出の頃の富岳。天園ハイキングコースから。鎌倉の富岳
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)静かなうちにと考えていたが・・・ここも訪れる人が多い佐助稲荷
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)久しぶりのタチンダイ入口が崩落して以降訪れる機会が減ったものの、尾根をめぐってたどり着いた。タチンダイ
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)住吉城跡この山全体が城であった現在は住吉神社が佇んでいる山のむこう側は宅地化されて・・・無残住吉城跡
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)飯島の夜明け住吉城跡で富岳遠望鎌倉の富岳
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)正覚寺裏から眺める鎌倉の海ロウバイがとても綺麗正覚寺のロウバイ
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)久木の石切り場跡久木の谷戸を歩いている
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)まだ竹ヶ谷にいる。この辺りの狭い谷戸も、かつては水田であったと思われる。竹ヶ谷の奥で
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)かつては水田であったろう谷戸を歩いている。歩道の枯木などは除去されるのだが、山際の枯木はそのまま。生い茂った木々も、枝を延ばすままの状態。かつて谷戸が生きていた頃は、陽が射し込み易いように伸びすぎた枝は落とされていたのだろう。木々が大きく茂ると、脆弱な地質の鎌倉の山は崩れやすくなる。台風の後の鎌倉では、各所で崩落が起こっている。コンクリートで覆う方法もあろうが、鎌倉の山の手入れは、実は容易ではない。谷戸に佇んで思うこと
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)広町緑地を歩いている朝陽の射し込んできた谷戸。この辺りも湿地で、比較的乾燥したこの時期でも足元はおぼつかない。早朝の竹ヶ谷
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)夏場、この辺りは藪になる。危険生物がいるので、彼らが休眠している頃に撮影する。でも真冬に、ダニらしきものに喰われた経験がある。御所ヶ谷を歩いている
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)谷戸の溜池溜池としては小さな水たまりのようだが・・・機能しているのだろう。竹ヶ谷の小さな溜池
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)御所ヶ谷(広町緑地)鎌倉の農村風景と言っても、今はない。江戸時代にはこのような場がいたるところにあった。例えば明治初期の写真を見ると、現在住宅が密集している大蔵(頼朝墓前)の辺りは水田であった。必ず水路が設けられ、湧水の利用と水はけが考えられていた。湧水の多い鎌倉
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)鎌倉の周縁を歩いている。御所ヶ谷(広町緑地)。旧い鎌倉の農村風景。鎌倉の農村風景
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)穏やかな光の中に水仙が咲いて。宅地開発が進んでいたら、このような景色を見ることができなかった。貉ヶ谷の水仙
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)貉ヶ谷この谷戸には寺院が連なっていたのであろう。武家屋敷もあったに違いない。そんな地形である。大切岸を大町の谷戸へ降ると
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)藪草の下に頭大の石が転げている五輪塔の痕跡だろうか畑も営まれなくなって・・・大切岸を大町奥の谷戸へ
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)お猿畠の大切岸が石切り場跡であるなら、なぜ尾根筋を遺したのだろう。尾根に沿って石を切り出すより、山の一部を切り崩した方が効率的だ。さらに石を切り出して山の一部をなくし、朝比奈の切り通しと同様に大町から逗子へ抜けるためのしっかりとした道を設ければ産業の要になる。それをしないで、壁のような尾根筋を遺している。なぜなんだ。大切岸は石切り場ではないだろう。お猿畠の大切岸で思う・・・
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)真横からの朝日を受けて・・・お猿畠の大切岸以外にも鎌倉の尾根筋は、多くがこのような切岸と呼ばれる構造とされている。この地形とされた本当の理由は何だろう。説明にある石切り場跡は近世のものだろう。切岸はもっと古い。早朝の大切岸
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)大切岸は早朝がいい枯草に朝陽大切岸を歩いている
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)川名清水谷戸にはこんな水場がいくつかある。木々が茂っているものの、土地としては余り有用ではない。湧水が多いため、水はけを良くする工夫だ。川名清水谷戸の湧水
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)この谷戸は湧水が多いことを述べた。かつては背後の山が水を蓄えているのであろうが、山の上が宅地化され、降った雨が山林にとどまることなくすぐに流れてくるようになったに違いない。谷戸奥の水溜り。雨後の川名清水谷戸
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)川名清水谷戸を歩いている。冬枯れの蓮田。山際の細い道以外は湿地。雨後だから、入り込んだら靴が泥だらけ。冬の蓮田
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)雨上がりの川名清水谷戸雨に濡れた芦原陽が西に傾いたころに雲の隙間から・・・川名清水谷戸を歩いている
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)雨あがりの川名清水谷戸。湧水が多い谷戸のひとつ。川名清水谷戸
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)石切り場跡はハイキングコースのすぐ近くにある。でもほとんど気付かれない。わかり易く、ヤグラと間違えられているのが、明月谷から建長寺裏を通るハイキングコースに入る辺りに点在する横穴だ。穴の表に木を置いて入れないように処置されているのが石切り場跡だ。すぐ近くの保養施設も石切り場跡に設けられたものであろう。写真は建長寺裏の石切り場跡。明月谷の石切り場跡は、ざんねんながら写真が撮れる雰囲気ではない。石切り場跡を歩いている
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)建長寺裏鎌倉石の石切り場跡30年前にここを訪れたとき、ここに生活痕があったのには驚いた。ホームレスが棲みかとしていたのだ。横穴だから・・・