日本五大山城のひとつに数えられる春日山城は「義の武将」上杉謙信の居城として知られている。謙信の2人の養子、景勝と景虎が争った御館や、景虎終焉の地・鮫ヶ尾城を歩き、戦国時代に思いを馳せる。
関西を中心に日本各地のお城や山城跡を巡り、その魅力や歴史について書いています。1日で回ったお城を1ブログにまとめていますので、お城巡りが趣味のかた、これからお城巡りを始めようと思っているかたの参考になれば幸いです。
【越後:春日山城】“義の武将”上杉謙信の居城・春日山城と、上杉景虎の終焉の地・鮫ヶ尾城へ登る
日本五大山城のひとつに数えられる春日山城は「義の武将」上杉謙信の居城として知られている。謙信の2人の養子、景勝と景虎が争った御館や、景虎終焉の地・鮫ヶ尾城を歩き、戦国時代に思いを馳せる。
【丹波:周山城】京都と若狭を結ぶ周山街道に築かれた幻の城、明智光忠の居城・周山城へ登る
京都と若狭を結ぶ周山街道に築かれた周山城。中世から近世への過渡期に築かれた石垣造りの山城は、明智光秀が手掛けた名城のひとつとして語り継がれている。わずか数年でその役目を終えた幻の城、周山城へ登る。
【近江:観音寺城】室町幕府の管領代を務めた六角定頼の居城にして戦国最初の総石垣の城・観音寺城へ登る
巨岩信仰の観音正寺のある繖山に築かれた観音正寺は、日本最初の総石垣の城として知られている。管領代となり城下町に楽市楽座を開いた六角定頼、畿内近国では唯一分国法を制定した六角義賢が築き上げた日本有数の巨大山城・観音寺城へ登る。
【美濃:郡上八幡城】山内一豊の妻・見性院(千代)が幼少期を過ごした城、郡上八幡城と赤谷山城へ登る
遠藤盛数と東常慶の全面対決となった赤谷山城の戦い。その陣城として使った八幡山に、郡上八幡城が建てられた。山内一豊の妻・見性院が子供時代を過ごした郡上八幡城と赤谷山城へ登る。
「ペンは剣より強し」を体現した美濃郡上の戦国武将・東常縁は、斉藤妙椿の軍勢を和歌を詠んで追い返したという。古今伝授の継承者として知られる東常縁の居城・篠脇城へ登る。
【丹波:篠山城】三方に馬出を備えた迎撃の城、松平康重の築いた篠山城を歩く
山陰道の要衝である多紀盆地に築かれた篠山城は比高10m程度の低い丘陵に築かれ、3方向の大きな馬出が設けられているのが特徴的だ。西国諸大名の抑えの城・篠山城を歩く。
【大和:信貴山城】戦国乱世のワイルドカード・木沢長政が築城し、下剋上の寵児・松永久秀が改修した信貴山城へ登る
「信ずるべき貴ぶべき山」との意味で名付けられた信貴山。優れた外交能力で戦国乱世を渡り歩いた木沢長政が築城し、下級豪族から大和の国主に登り詰め、朝廷から源姓と従四位下を賜った松永久秀が改修した、大和を代表する山城・信貴山城へ登る。
【近江:長光寺城】瓶割り柴田のエピソードで知られる長光寺城と、南近江の星ヶ崎城 小堤城山城を巡る
柴田勝家が水瓶を割って出陣したエピソードで知られる長光寺城を始め、六角氏ゆかりの近江南部の城・星ヶ崎城と小堤城山城を巡る。
【伊豆:韮山城】伊勢宗瑞が伊豆統治のため築いた韮山城と、伊豆海運の要衝・長浜城を巡る
小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
【伊豆:韮山城】伊勢宗瑞が伊豆統治のため築いた韮山城と、伊豆海運の要衝・長浜城を巡る
小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
【紀伊:龍松山城&平須賀城】幕府奉公衆の城、山本康忠の龍松山城と湯川直春の平須賀城へ登る
室町幕府の奉公衆は、足利将軍の直属部隊として畿内近国で活躍した。幕府消滅後には独立勢力として羽柴秀吉と争った奉公衆三氏のうち、山本康忠の本城・龍松山城と、湯河直春(湯川直春)の支城・平須賀城へ登る。
【出雲:勝山城】毛利元就が改修した月山富田城の付城、50本の畝状竪堀を持つ出雲勝山城へ登る
京羅木山城砦群は月山富田城の向かいの山にあり、尼子攻めの拠点として2度使用されている。特に毛利元就による第二次月山富田城の戦いでは、城砦群の南方にある勝山城に50本もの畝状竪堀を築き、富田城を落とすまでは帰らない本気の姿勢を見せ、難攻不落の富田城をついに攻め落とした。今も畝状竪堀の残る歴史の舞台、出雲勝山城へ登る。
【丹後:吉原山城】細川興元の最初の居城・吉原山城を始め、丹後の城々を巡る
足利将軍家の直臣でありながら、織田信長・羽柴秀吉・徳川家康と、常に勝つ方に付いて家名を保った細川藤孝。その次男・細川興元は、丹後北部の吉原山城を居城とした。戦国の縄張りが今もそのまま遺る丹後の城々(吉原山城・奥吉原城・五箇城)を巡る。
【備後:相方城】戦国期の城門が現存する、吉川元春が改修した切岸の名城・相方城へ登る
織田に対する備後の防衛拠点として吉川元春により改修された相方城は、急峻な切岸と石垣が融合する近世城郭へと変貌を遂げた。その当時に築造された城門2基は、近くの素戔嗚神社へ移築され現在もその姿を見ることが出来る。本能寺の変がなければ歴史に残る戦場となっていた備後の名城・相方城へ登る。
【駿河:丸子城】戦国今川氏の祖・今川氏親が若き日を過ごした、静岡屈指の名城・丸子城へ登る
今川氏親は、母・北川殿と伯父・伊勢盛時に支えられて家督争いに勝利し、東海一の戦国大名・今川氏の基盤を築いた。氏親がその幼少期から青年期を過ごし、家督継承後の数年は政庁としても機能していた静岡屈指の名城・丸子城へ登る。
【豊後:栂牟礼城】1万の島津軍を撃退した佐伯惟定の山城・栂牟礼(とがむれ)城へ登る
2万の臼杵軍や1万の島津軍を寄せ付けなかった栂牟礼城は、豊後有数の堅城の1つに数えられている。鎌倉時代から400年間佐伯荘を治めた佐伯氏の居城・栂牟礼城へ登る
【安芸:佐東銀山城】「安芸の項羽」とうたわれた武田元繁の居城、広島の三角州をのぞむ佐東銀山城へ登る
“西の桶狭間”と呼ばれる有田中井手の戦いで、毛利元就に敗れた武田元繁。戦国初期に主家や守護大名に頼らず己の才覚のみで覇を競った勇将は、「安芸の項羽」の異名も持つ。武田元繁の居城、佐東銀山城へ登る。
【美作:岩屋城】西国の両雄、赤松政則と山名政清が覇権を争った岡山屈指の山城・岩屋城へ登る
美作 岩屋城 形 態山城址難易度★★★--比 高310m整備度☆☆☆☆☆蟲獣類-見応度☆☆☆☆-駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ - / 230m所要時間- / 40分 指 定岡山県指定史跡遺 構曲輪、土塁、堀切、虎口、切岸、馬
【西播磨:龍野城】名門赤松家の最後の嫡流・赤松広秀が居城とした龍野城と鶏籠山城へ登る
下剋上により生き馬の目を抜くように日々情勢が変わりゆく戦国時代。落日の龍野赤松氏当主となった赤松広秀は、羽柴秀吉配下の一武将として身を立て、大名に返り咲いた。広秀が最後まで旧領復帰を夢見た龍野城と鶏籠山城(龍野古城)へ登る。
【西播磨:城山城】「嘉吉の乱」の赤松満祐が居城とした比高400mの古代山城・城山城へ登る
「万人恐怖す」と恐れられた将軍・足利義教を殺害した赤松満祐は、反逆者としてすぐに討たれ、赤松氏は没落した。赤松満祐の目指したものは一体なんだったのか? 播磨城山城に登り「嘉吉の乱」に思いを馳せる。
【淡路:洲本城】安宅冬康の居城にして、近世遺構「登り石垣」が良好に残る淡路の城・洲本城へ登る
淡路島の洲本を拠点に、安宅水軍を率いて三好長慶を支えた三弟・安宅冬康の洲本城へ登る。
【西播磨:龍野の城】赤松満祐が居城とした比高400mの古代山城・城山城を始め、播磨龍野の城々を巡る
1.城山城 形 態山城址難易度★★★★★比 高400m整備度☆☆☆☆☆蟲獣類スズメ蜂見応度☆☆☆☆☆駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ - / 400m所要時間10~15分 / 65分+25分 指 定-遺 構曲輪、石垣、堀切、土塁
【近江:湖東】足利幕府の創成期を支えた佐々木道誉の勝楽寺城を始め、滋賀東部の城々を巡る。
1.多賀大社 社 格式内社、別表神社境 内国の名勝:奥書院庭園歴 史1300年以上前の「古事記」に載っている歴史ある神社。長寿祈願の神として知られ、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が、母・大政所の延命を祈願し、成就したと言われる。その際大
【摂津*大坂城】太閤秀吉の遺志を継ぐ者・豊臣秀頼の居城、大坂城を歩く。
1.大坂城 指 定特別史跡、国の重要文化財、国の登録有形文化財、日本100名城遺 構[遺構]櫓、門、石垣、堀 [再建]天守歴 史 明応5年(1496年)蓮如により建立された大坂本願寺を前身とする。その後、石山合戦を経て織田信長の支配下となり
【南和の城-大和路part2-】独特な縄張を持つ近世城郭・高取城を始め、奈良南部の史蹟を巡る。
戦国初期の大和の国で「北の筒井、南の越智」と並び称された越智氏の居城・高取城は、その後豊臣大名たちにより近世城郭へと変貌を遂げ、奈良県で随一のお城となった。橿原神宮や大和南部の城々と併せて巡る。
【豊後:佐伯&臼杵の城】九州6ヶ国の太守・大友宗麟の臼杵城を始め、大分南部の城々を巡る。
若くしてキリスト教布教の許可や南蛮貿易などを行い、九州6ヶ国の守護となった大友宗麟。大友氏滅亡の危機だった豊薩合戦では、貿易で得た大砲・フランキー砲を使い、滅亡を免れた。宗麟が本拠地とした臼杵城(丹生島城)を始め、豊後南部の城々を巡る。
【阿蘇+豊後岡城】“日本一の山城”の呼び声高い、天空の要塞・岡城を歩く。
阿蘇山の北麓に鎮座し2,300年の歴史を持つ阿蘇神社と、阿蘇山の火砕流で出来た岩山を巧みに利用した南豊後の要塞・岡城を巡る。
【阿蘇+豊後岡城】“日本一の山城”の呼び声高い、天空の要塞・岡城を歩く。
1.阿蘇神社 社 格肥後国一宮、式内社(平安期の神名帳に掲載されている神社)境 内国の重要文化財:楼門、還御門かんぎょもん、御幸門みゆきもん他:願掛け石、縁結びの松、せのび石歴 史阿蘇山の北に鎮座する神社。阿蘇神社、北宮・国造神社とも約2,
【駿河:静岡の城】“東海一の弓取り”今川義元の館跡に建てられた駿府城を始め、駿河の城々を巡る。
2023年9月17日(日)晴れ[1/2]1.久能山東照宮形 態山城址難易度★★---比 高150m整備度(東照宮)蟲獣類-見応度(東照宮)駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ- / 150m所要時間1分 / 20分指 定国宝、国の重
【備後:福山の城】外様国衆から毛利家重臣へと異例の立身出世を遂げた杉原盛重ゆかりの城々を巡る。
外様国衆でありながら毛利家評定衆に名を連ねるという、前代未聞の昇進を果たした杉原盛重。備後福山が産んだ謎多き戦国武将のゆかりの城々(相方城、山手銀山城、神辺城)と、近世城郭・福山城を巡る。
【丹後:宮津&京丹後】天橋立を臨む一色氏の居城・宮津八幡山城へ登る。
2023年3月19日(日)快晴[1/2]1.宮津八幡山城址形 態山城址難易度★★---比 高155m整備度☆☆☆☆-蟲獣類-見応度☆☆☆--駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ65m / 75m所要時間10分 / 15分指 定-遺
戦国時代、神々の国・出雲から覇を唱え、11ヶ国に及ぶ領土を支配した尼子一族。滅んでもなお求め続けられ、山中鹿介をスポークスマンとして再興軍が結成された。戦国時代に最も熱かった地、出雲の月山富田城へ登る。
【出雲*尼子十旗】戦国尼子氏の中枢ともいうべき家臣団の城々を巡る。
西国11ヶ国の太守・尼子氏。その本拠地出雲に点在する尼子十旗は、尼子氏の中枢ともいうべき家臣団である。尼子を支え、尼子に支えられた十旗の城々を巡る。
【三河:岡崎&安城の城】徳川家康のルーツ、三河松平氏ゆかりの城々を巡る。
最後の天下人・徳川家康のルーツである松平氏は、松平郷から岩津→安祥→岡崎と本拠地を変えた。それらの城々は、都市化された市街地にあっても今もしっかりとその痕跡を遺している。三河一向衆の中心地・本證寺や、足利一門・吉良氏の居た西尾城と併せ、西三河の城々を巡る。
【南紀の城‐熊野路part2‐】熊野国を支配した国衆たちの城々を巡る。
広大な領域を持つ紀伊国は、もともとは北の紀伊と南の熊野の2ヶ国だった。紀伊と熊野の国境、南紀白浜からみなべにかけて、戦国期当時の遺構が残る城々を巡る。
【西播磨:相生&赤穂の城】名門・赤松氏の史跡が良好に遺る有年山城は必見!
戦国大名が生まれる前の守護大名の時代。西播磨の名門・赤松家の二代目当主・赤松則資は、千種川を見下ろす大鷹山に山城を築かせた。その遺構が良好に残る有年山城は必見!
【伊勢:津&亀山の城】3つの山をトライアングル状に連絡させた縄張りを持つ細野城を始め、伊勢の城々を巡る。
伊勢の戦国史において、北の長野氏、南の北畠氏と並び称された両者は、南北朝から戦国期にかけて200年間戦い続けた。比高60mの低い3つの山をトライアングルのように連絡させた細野城は、高さより曲輪同士の連携を重視した戦国期らしい縄張りだ。細野城を始め、伊勢の城々を巡る。
【南丹の城ー丹波路part1ー】将軍足利家と共に栄え滅んだ、丹波の国衆たちの城々を巡る。
丹波を支配した八木城の内藤氏。三好長慶に与し、足利義昭を支え、織田信長に逆らったため城を失った。最後の当主・内藤ジョアンはその後豊臣秀吉の近臣・小西行長に仕え活躍し、晩年はキリスト教禁止令によりフィリピンのマニラでその生涯を終えた。激動の戦国時代を生きた内藤氏の本城・八木城へ上る。
【近江:湖南の城】豊臣家のキーマン・豊臣秀次の近江八幡山城を歩く。
豊臣家のキーマンだった豊臣秀次。彼の死により豊臣家は徐々に滅びの道をたどったと言っても過言ではないだろう。秀次の足跡が残る数少ない遺構である近江八幡山城を歩く。
【北予:今治の城】村上海賊が支配した瀬戸内海の要塞・能島城に上陸する。
村上海賊の名で知られる三島村上氏は、芸予諸島を支配することで九州と畿内を行き来する船を全て把握し、瀬戸内海の治安を維持した。その全盛期を築いた能島村上武吉の城、瀬戸内海の要塞・能島城に上陸する。
【南予:宇和の城】伊予南部の戦国大名“戦う貴族”西園寺実充の城へ登る。
伊予南部の戦国大名“戦う貴族”西園寺実充は、従来の居城・松葉城から、肱川の対岸の山に新たな本城・黒瀬城を築いた。大規模な普請を行ってまで本城を移した理由は何だったのだろうか? 現地に足を運び、その謎に迫る。
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日本五大山城のひとつに数えられる春日山城は「義の武将」上杉謙信の居城として知られている。謙信の2人の養子、景勝と景虎が争った御館や、景虎終焉の地・鮫ヶ尾城を歩き、戦国時代に思いを馳せる。
京都と若狭を結ぶ周山街道に築かれた周山城。中世から近世への過渡期に築かれた石垣造りの山城は、明智光秀が手掛けた名城のひとつとして語り継がれている。わずか数年でその役目を終えた幻の城、周山城へ登る。
巨岩信仰の観音正寺のある繖山に築かれた観音正寺は、日本最初の総石垣の城として知られている。管領代となり城下町に楽市楽座を開いた六角定頼、畿内近国では唯一分国法を制定した六角義賢が築き上げた日本有数の巨大山城・観音寺城へ登る。
遠藤盛数と東常慶の全面対決となった赤谷山城の戦い。その陣城として使った八幡山に、郡上八幡城が建てられた。山内一豊の妻・見性院が子供時代を過ごした郡上八幡城と赤谷山城へ登る。
「ペンは剣より強し」を体現した美濃郡上の戦国武将・東常縁は、斉藤妙椿の軍勢を和歌を詠んで追い返したという。古今伝授の継承者として知られる東常縁の居城・篠脇城へ登る。
山陰道の要衝である多紀盆地に築かれた篠山城は比高10m程度の低い丘陵に築かれ、3方向の大きな馬出が設けられているのが特徴的だ。西国諸大名の抑えの城・篠山城を歩く。
「信ずるべき貴ぶべき山」との意味で名付けられた信貴山。優れた外交能力で戦国乱世を渡り歩いた木沢長政が築城し、下級豪族から大和の国主に登り詰め、朝廷から源姓と従四位下を賜った松永久秀が改修した、大和を代表する山城・信貴山城へ登る。
柴田勝家が水瓶を割って出陣したエピソードで知られる長光寺城を始め、六角氏ゆかりの近江南部の城・星ヶ崎城と小堤城山城を巡る。
小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
室町幕府の奉公衆は、足利将軍の直属部隊として畿内近国で活躍した。幕府消滅後には独立勢力として羽柴秀吉と争った奉公衆三氏のうち、山本康忠の本城・龍松山城と、湯河直春(湯川直春)の支城・平須賀城へ登る。
京羅木山城砦群は月山富田城の向かいの山にあり、尼子攻めの拠点として2度使用されている。特に毛利元就による第二次月山富田城の戦いでは、城砦群の南方にある勝山城に50本もの畝状竪堀を築き、富田城を落とすまでは帰らない本気の姿勢を見せ、難攻不落の富田城をついに攻め落とした。今も畝状竪堀の残る歴史の舞台、出雲勝山城へ登る。
足利将軍家の直臣でありながら、織田信長・羽柴秀吉・徳川家康と、常に勝つ方に付いて家名を保った細川藤孝。その次男・細川興元は、丹後北部の吉原山城を居城とした。戦国の縄張りが今もそのまま遺る丹後の城々(吉原山城・奥吉原城・五箇城)を巡る。
織田に対する備後の防衛拠点として吉川元春により改修された相方城は、急峻な切岸と石垣が融合する近世城郭へと変貌を遂げた。その当時に築造された城門2基は、近くの素戔嗚神社へ移築され現在もその姿を見ることが出来る。本能寺の変がなければ歴史に残る戦場となっていた備後の名城・相方城へ登る。
今川氏親は、母・北川殿と伯父・伊勢盛時に支えられて家督争いに勝利し、東海一の戦国大名・今川氏の基盤を築いた。氏親がその幼少期から青年期を過ごし、家督継承後の数年は政庁としても機能していた静岡屈指の名城・丸子城へ登る。
2万の臼杵軍や1万の島津軍を寄せ付けなかった栂牟礼城は、豊後有数の堅城の1つに数えられている。鎌倉時代から400年間佐伯荘を治めた佐伯氏の居城・栂牟礼城へ登る
“西の桶狭間”と呼ばれる有田中井手の戦いで、毛利元就に敗れた武田元繁。戦国初期に主家や守護大名に頼らず己の才覚のみで覇を競った勇将は、「安芸の項羽」の異名も持つ。武田元繁の居城、佐東銀山城へ登る。
美作 岩屋城 形 態山城址難易度★★★--比 高310m整備度☆☆☆☆☆蟲獣類-見応度☆☆☆☆-駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ - / 230m所要時間- / 40分 指 定岡山県指定史跡遺 構曲輪、土塁、堀切、虎口、切岸、馬
下剋上により生き馬の目を抜くように日々情勢が変わりゆく戦国時代。落日の龍野赤松氏当主となった赤松広秀は、羽柴秀吉配下の一武将として身を立て、大名に返り咲いた。広秀が最後まで旧領復帰を夢見た龍野城と鶏籠山城(龍野古城)へ登る。
「万人恐怖す」と恐れられた将軍・足利義教を殺害した赤松満祐は、反逆者としてすぐに討たれ、赤松氏は没落した。赤松満祐の目指したものは一体なんだったのか? 播磨城山城に登り「嘉吉の乱」に思いを馳せる。
1.城山城 形 態山城址難易度★★★★★比 高400m整備度☆☆☆☆☆蟲獣類スズメ蜂見応度☆☆☆☆☆駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ - / 400m所要時間10~15分 / 65分+25分 指 定-遺 構曲輪、石垣、堀切、土塁
1.多賀大社 社 格式内社、別表神社境 内国の名勝:奥書院庭園歴 史1300年以上前の「古事記」に載っている歴史ある神社。長寿祈願の神として知られ、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が、母・大政所の延命を祈願し、成就したと言われる。その際大
1.大坂城 指 定特別史跡、国の重要文化財、国の登録有形文化財、日本100名城遺 構[遺構]櫓、門、石垣、堀 [再建]天守歴 史 明応5年(1496年)蓮如により建立された大坂本願寺を前身とする。その後、石山合戦を経て織田信長の支配下となり
戦国初期の大和の国で「北の筒井、南の越智」と並び称された越智氏の居城・高取城は、その後豊臣大名たちにより近世城郭へと変貌を遂げ、奈良県で随一のお城となった。橿原神宮や大和南部の城々と併せて巡る。
若くしてキリスト教布教の許可や南蛮貿易などを行い、九州6ヶ国の守護となった大友宗麟。大友氏滅亡の危機だった豊薩合戦では、貿易で得た大砲・フランキー砲を使い、滅亡を免れた。宗麟が本拠地とした臼杵城(丹生島城)を始め、豊後南部の城々を巡る。
1.阿蘇神社 社 格肥後国一宮、式内社(平安期の神名帳に掲載されている神社)境 内国の重要文化財:楼門、還御門かんぎょもん、御幸門みゆきもん他:願掛け石、縁結びの松、せのび石歴 史阿蘇山の北に鎮座する神社。阿蘇神社、北宮・国造神社とも約2,
阿蘇山の北麓に鎮座し2,300年の歴史を持つ阿蘇神社と、阿蘇山の火砕流で出来た岩山を巧みに利用した南豊後の要塞・岡城を巡る。
2023年9月17日(日)晴れ[1/2]1.久能山東照宮形 態山城址難易度★★---比 高150m整備度(東照宮)蟲獣類-見応度(東照宮)駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ- / 150m所要時間1分 / 20分指 定国宝、国の重