うちの村には5頭のロバがいる。 4頭は大人で1頭は子ども。 ロバの役割は、水の運搬。 それ以外に彼らに仕事はない、よって雨季には週休七日が採用されて日々草を喰み、うろうろしてフェンスを壊しては家族に疎まれている。 別にその辺の草を食べて、その辺で寝て、また食べてを繰り返しているだけなので飼育しているとは言い難い。 野良のロバとの違いは特にない。 しかし、乾季になれば水の運搬が待っている。 今まで毎日休んでいたのに、急に毎日仕事が始まる。 ロマ曰く 「毎日荷物を運んでいるロバは足腰も強くて、ちゃんと人の言うこと聞くけど…見てあれ」 目線の先には、タンクを載せるための牛皮で出来た入れ物を背に載せら…
2月1日に雨が降ってから今日まで、一切雨が降らない。 もう牛や羊、山羊が食べる草が枯れてきている。 村の近くの貯水池も、先週ついに空になった。 正確には水はほんの少し残っているけれど、緑色に変色して変な匂いが立ちこめているので使えない。 村のママたちはみんなで協力して4頭のロバを連れて遠くのダムまで水を汲みに行く。往復3時間はかかる。 20Lの黄色いタンクを4つ、ロバに載せて運ぶのだが毎日行かないと生活用水が間に合わない。 洗濯、食器洗い、掃除、シャワー、子牛に飲ませる分などなど。 幸い、私の家のタンクにはまだ少し雨水が溜まっているので料理はその水を使っている。 でも、それもあと何日という所だ…
マサイ語とスワヒリ語に翻弄される日々だが、なんとなく言いたいことは伝わるようになってきた。 きちんとした文章じゃないけど、子どもが作る二語文みたいに 「ごはん 食べる」 「お腹 痛い」 「村 行く」 という感じで、最初に比べれば随分マシになった。 それでもまだまだ知らない単語が山のようにある上、動詞がほとんどわかってないので要勉強。(形容詞なんて一つも知らないのでは…?!) 最近ずっと困っていたことがあって、インターネットで調べようと思っては忘れて困ってを繰り返している事象があった。 「ロマは昨日いつ帰ってきたの?」 「何時に寝たの?」 「明日は何時から行くの?」 何時、という言い方がわからず…
夕食前にロマが「お願いがあるんだけど」と話しかけてきた。 あんまりお願いされた事がないので、なんだろう?なんか大役でも頼まれるのかなとドキドキしていたら 「晩御飯にスパゲッティ作って欲しい。」 おお、珍しい。 私の作ったスパゲッティが食べたいリクエスト。 いいでしょう、作ります! 妹に頼んで、トマトと玉ねぎを分けてもらう。 持っているニンニクを潰して芽を取り、油でじっくり香りを出しながら炒めて玉ねぎとみじん切りのトマトを入れる。 ぐつぐつ煮詰まったところでお水を入れて、固形スープを1つ入れて沸騰させる。 スパゲッティを入れて水が無くなるまで煮て、少し牛乳を入れてモッタリしたら完成。 固形スープ…
昨日(2/13)は風邪を引いて一日中寝ていた。 ロマは心配して夜に家にドクターを呼んでくれて、マラリアチェックと診察、薬を処方してもらった。 マラリアは陰性、良かった。 今日は朝から薬を飲んで、熱もないしシャワーを浴びてサッパリしてからママに会いに行った。 お産後のママはトイレ以外で家を出ることは無いので、私が風邪で寝込んでいるのを知ってたがお見舞いに来られず心配してくれていた。 「もうすっかり元気だよ」 「良かった、心配したのよ〜」 ナナミ(妹⑥)も元気そうだ。 ロマは昼前にお店のトラブルで出て行ってしまった。 私は妹たちと、村のちびっ子軍団の相手をしてお昼を過ごした。 ちびっ子5人、ずーっ…
「ナナミ〜」 ママの家から聞こえてくる優しい声。 名前がついて約2週間、みんながナナミの名前を呼び始めた。 先日、ママのママ(すなわちおばあちゃん)が来てナナミと初対面した。 ビビ(おばあちゃん)からすると、発音が難しかったみたいで「ナメミ」になってしまい、ママが「ナナミだよ」と訂正していた。 村には12月末に生まれた赤ちゃんが居て、ナナミとは約1ヶ月違い。 男の子でとても大きい。 ナナミが小さいから余計に大きく見える。 赤ちゃんは大きく育ち、ママは痩せたように見えた。いっぱいミルク飲んでるのかな。 生まれてすぐの時に家にお邪魔して抱っこさせてもらった。 赤ちゃんのママと、彼女のママと、うちの…
ナナミが生まれて、間近で赤ちゃんのお世話を見ている今日この頃。 日本の子育て事情とかけ離れているので、たまひよクラブは参考にならなさそう。 そういえば結婚する時、一応ゼクシィ買ったけど何一つ掠らなかった。 結婚といえばゼクシィでしょ!(単純)と飛びついてみたけれど、これは日本で結婚する人が買うやつだった。間違えた、ゼクシィは悪くない。 まず、赤ちゃんは保温命。 タンザニアはあったかいけれど、うちの村は高度も高いのか夜は冷える。 朝に結露が出来ている日もある。 赤ちゃんは頭の先から爪先まで布でぐるぐる巻きにされ、その上に更に布を掛け、最後はブランケットを掛ける。 一見するとどこに赤ちゃんがいるの…
我が家は未だ作りかけの状態で生活している。 別に天井が完成してなくて、梁が剥き出しになっていても構わないが、収納する場所がないのは困る。 別にウォークインクローゼットが欲しいとか一面壁収納を作りたいとかじゃなくて、スーツケースの上に積み上げられた服をなんとかしたい。 置く場所がなく、スーツケースの上が仮住まいのまま2ヶ月が経過。 定期的に片付けるが、不安定ゆえ崩壊することもしばしば。 せめて服を置く棚を作りたい。 買うと高いので、ある物で何とかならないかしら?とノコギリを片手に1人で森の中に入ってみた。 たくさんの木の中から、何となく良さそうな太さの枝をノコギリで切り落としていく。 ノコギリを…
なんと!2年1ヶ月のこのブログが30,000viewになりました。 いつも見てくださる方、時々覗きに来てくれる方、一回でもこのブログに遊びに来てくれた方々のおかげです! ありがとうございます。 始めた頃は本当に数人の人が見に来てくれて、とにかく100記事は書かねば!と意気込んでアレコレ書いて、時々はてなのおすすめに載せてもらっては読者数が少しずつ増えていきました。 この2年の間に生活環境は目まぐるしく変わり、結婚、移住と人生のターニングポイントをここに残せたのはとても良いことでした。 当時からこのブログを見てくださって、いつもスターを付けて、コメントをくれる読者の方々ありがとうございます。とて…
夜、誰か来たらどうしよう?と時々思う。 ロマはバーの仕事をして夜遅くに帰ってくるので、1人家で待つ事になる。 もし誰か来たらどうしよう。 うちの村は木々に囲まれた森の中にポツンとある集落なので、誰か来たらすぐに分かるようになっている。 だが、夜に寝ているときに私が気がつくかといえば懐疑的だ。 先日ロマがバイクで帰ってきた音に気がつかなかったのに、その後ロマの足音で目が覚めて「何奴?!!!」と身構えていたらロマだった。 事の顛末を話すと 「バイクの音聞こえんかったん?!」 と驚かれた。 私の眠りはマリアナ海溝くらい深い、ちょっとやそっとでは起きない。 寝ようと思えばいつでも、どこでも、いつまでも…
ある日エマがうちに来て言った。 「タター、ワウー△꒳˙੭ु⁾⁾┐⭐︎「ε_ヾΦ 」 わかるのは私の名前を呼んでいる事とビビ(おばあちゃん)に関する何かだという事。 (ワウはマサイ語でおばあちゃん) これはもう連想ゲームだ。 ビビがわざわざエマをうちに寄越した意味を考えねば。 ビビが私に頼みたい事、もしかして毛抜き? 彼女は逆まつげなので、日本製のシャープな毛抜きを貸して欲しいと来たことがあった。 エマに「ンゴ(どうぞ)」と毛抜きを渡すと 「タタ、アッシェ(ありがと)」 と戻って行ったので正解らしい。 ママや妹たちといる時も、9割は分かっていないが残り1割は知ってる単語と人の名前、場所の名前か…
フライパンと米を買った。 なんぼなんでも1ヶ月に一度も料理をしないのは、ヒトとしてどうなん?と思ったからだ。 料理もせず、食器も洗わず、牛の世話もせず、子どもと一緒になってケニョンガ(カメレオン)を追い回している私のことを、妹たちの目にはどう映っているのだろう。 そんなのヤバい奴に決まってる、大人としての矜持を保たねばならない。 そんなわけで、30000シリング(1800円)出してスーパーマーケットでフライパンを買った。 マーケットでお米1Kgも購入し、今日のお昼に初めてご飯を炊いた。 タンザニアのお米は日本米に似て、そんなに長さはない。 もちろん種類によるのだけれど、日本米より水分が少なめな…
マサイ文化には歌が深く根ざしている。 結婚式で唄う歌、子どもが生まれてお祝いするときの歌、儀式のときの歌、神様に祈りを捧げる歌。 マー語(マサイ語)は挨拶と少しの単語しかわからないけれど、歌になればなんとなくメロディにのせて歌うことができる。 自分の結婚式の動画を見返して、数ある歌の中から簡単そうなのを見つけて一人の時に歌っていた。 ある日、掃除をしながら歌っていたらロマが帰って来た。 ロマとたわいもない話をして、会話が途切れたのでその歌をロマの前で歌ってみた。 「!!!!!!」 ロマの大きな目がさらに大きくなって絶句している。 ありゃ、発音違ったかな? 「どこで覚えたの?!すごい!!」 この…
うちの村ではみんな伝統的なマサイの衣装を着て暮らしている。 子どもたちも大体マサイの服を着ているが、学校は制服があり校則もあるのでビーズのアクセサリーは外さなければならない。 長期休みの最後の日には、妹たちは腕のブレスレットや足のアンクレットを解いてまた新しいアクセサリーに作り替えられていく。 女性の服は一枚布を纏っており、10代半ばくらいまでは1枚、それより大人は2枚布を纏っている。 洋服みたいにサイズがないから長く着られる。 普段私はマサイの服を着ているので、どんなふうになっているのか解説。 まず1枚目は巻きスカートの要領で、足を少し開いたくらいの幅で巻く。 この時に裾の模様の出具合と長さ…
一時期、ミニマリストに憧れて物を厳選する生活をしていた。 ペンはジェットストリームの3色ボールペン1本、お掃除洗剤はウタマロ1本、お鍋はフライパン1個というように同じ用途のものは極力増やさないようにして暮らしていた。 とはいえ、ソファはあったし冷蔵庫も洗濯機もベッドもあった。 紙類なんか山程あったし、本も収納棚一面を埋め尽くしていた。 靴もカバンも5つずつ、服も80着くらいはあったように思う。 マサイ村に越して来て、今が人生で一番ミニマルに生きている。 スーツケース2個に嫁入り道具を詰め込んでやって来た、がしかし、その内の半分も使ってない気がする。 まず四季がない、そのため服がそんなに要らない…
時間が有り余っている。 なぜなら、家事は妹たちがしてくれて私が自分でしなくてはいけない事が無いからだ。 全部やって貰うのはあまりにも申し訳ないので、自分の家の掃除と洗濯だけはやっているが料理、水汲み、牛とヤギと羊の世話、乳搾り、薪割りなど他の多岐にわたる仕事は見ているだけの日々。 手伝おうとすると全力で「タタはしなくていいのよ!」と言われる。 ロマに相談すると 「ママ達はタタが今までの生活で重たい水運んだり、牛の乳搾ったり、焚き火で料理した事ないの知ってるから、無理にはさせたくないんやで。」 と、まあそんなに焦らんでもよいとの回答が返ってきた。 結果、時間を持て余し、子どもと遊んで1日が終わる…
うちの村は若い。 なんてったって私は年功序列でいえば上から数えた方が早い。 月曜日から金曜日は子どもたちは学校に行っていて居ないが、未就学児が7人いる。 7人中2人はまだ赤ちゃんで歩くこともないが、残り5人は疲れ知らずの猛者達だ。 1歳のネイマ。 とにかくよく泣く。 転けては泣き、兄ちゃん姉ちゃんに置いて行かれては泣き、気に入らないことがあれば泣く。 そんな彼は私の一番のマサイ語の先生だ。 正しくは、ネイマと一緒にいると大人たちが簡単な単語で何度も繰り返し話しかけてくれるので私も一緒に覚える仕組みになっている。 ネイマのマサイ語と私のマサイ語は現在どっこいどっこいだ。 2歳になるマヌ。 初めて…
今週のお題を見て、はて10年前は何してたっけな?と考えてみた。 時は2015年、つい最近やんと思ったらもう10年前。 2015年は世界一周から日本に帰ってきた年で、再就職の年でもあった。 2014年の4月から2015年の1月下旬まで友達と2人、東回りで世界を旅して、関空にたどり着いた時にはその風貌と格好からして日本人には見えなかったようで、CAさんも関税のスタッフもみんな英語で話しかけてくれた。 タイではタイ語、ミャンマーではビルマ語、ネパールでは山岳ガイドに間違われるほど私の顔は東南アジアに馴染みやすいらしい。 1年も離れてなかったが、帰国のスタンプを押してもらう時に「おかえりなさい」と言っ…
なんと2025年の1月が終わってしまった。 もう二度と戻らない1回限りの2025年1月が、病気したり雨乞いしたり妹が生まれたりしている間に終わってた。 振り返ると色々あったけど、毎日のペースは非常にスローで日本にいた時の激務は何だったんだ?夢だったのか?とさえ思う。 とはいえ、マサイ村の毎日が暇な訳ではない。 牛を中心とした山羊や羊の世話など、生き物を相手に生活すると言う事は24時間年中不休、休みなどない。 ロマは遅くまで働こうが、体調が悪かろうが、朝と夕には必ず牛の様子を見にいく。 なんなら深夜に帰宅して、一番最初に見にいくのは牛。 昨日の夕方、牛が一頭行方不明になった。 結局、妹たちが探し…
マサイ村で何を食べているのか? 昔は牛乳中心の食生活だったのが、近年は他のタンザニア人が食べる食事に変わってきているようだ。 一番食べているのは「ウガリ」 二番が「スパゲッティ」 三番が「お米」 ウガリはとうもろこしの粉をお湯で練った食べ物で、これ自体にはあまり味がない。 これにボガと言われる野菜の煮込みを付けて食べる。 ロマはウガリが大好きだが、私はやはりお米が恋しい。 レストランではウガリかお米を選べるところが多いが、私は一度もウガリを頼んだ事はない。 やはり何十年も食べ慣れたものがいいと思ってしまう。 ウガリにつけるボガは日によって中身が変わるが、トマトベースなのは変わらない。 二番目の…
お昼にロマと一緒にニワトリを捌いた。 小さい頃、おばあちゃんが家で飼ってるニワトリを〆ているのを横で見ていた経験はあるが実際自分でやった事はない。 雌鶏を1匹捕まえて、ロマと一緒に家の裏で捌いていった。 包丁で首を落とす。 首を落とした後も何十秒かは本体が動いているので、足を押さえて逃げないようにする。 「タタは必要以上に驚かないから助かるよ。」 ロマはそう言って動かなくなったニワトリの足を持って私に渡した。 命をいただくのにワーキャー言ってる場合ではない。小さい頃に見た経験が今の自分を助けている。 沸騰した湯に浸してから羽を取る。 結構大きいと思ったが、羽がなくなると途端に小さく見える。 途…
いよいよ水が無くなってきた。 今年に入ってからまとまった雨は1日だけ、元日に降って以来かんかん照りの毎日。 近所に作った溜池も、私が帰って来た12月はなみなみと水があったのだが、もはや水たまりレベルになってしまった。 小学生の頃、雨が降らなくて断水になった香川の事を思い出す。 早明浦ダムの水位を毎日ニュースで見ていたように、毎日溜池の水位を見守る私。 見守ったところで増えるわけでもないが、ここが枯れてしまったらロバを連れて往復3時間以上の水汲みになってしまう。 村のママたちが遠くまで水汲みに行くのは大変だ、なんとか雨が降って欲しい。 それに、水位が下がれば下がるほど泥水になる。 浄水器なんても…
日本人の名前すら、聞いた5秒後にはもう忘れているというのに、ここマサイ村での名前のハードルが高過ぎる。 聞き馴染みのない名前、そもそも発音出来ない名前、人数が多過ぎるの三重苦。 うちの村の人たちは、クリスチャン(イングリッシュ)ネームとマサイの名前を2つ持っている人がほとんどだ。 妹①のローズのマサイネームはジャジョという風に1人2つの名前をもつ。 なんならママ達は、子どもが呼ぶ特有の名前が別で存在するので3つ名前がある。 ロマもクリスチャンネーム以外に、ママ達が呼ぶ別の名前と、子どもが呼ぶ愛称みたいなものがある。 試しにママ達が呼ぶ名前で呼んでみたら叱られたので、何でも呼んで良いわけでは無さ…
先日、義家族に7番目の兄妹が生まれた。 ロマは相変わらず唯一の男子である事に変わりなく、残りの妹たちは末っ子の誕生を喜んでいる。 が、しかし、1人あんまり嬉しそうではない妹がいる。 マグダレナ(妹⑤)だ。 今年9歳になる彼女は、今まで末っ子の全ての権利を主張し、末っ子道を貫いてきた。 それが妹⑥の誕生によって末っ子の座が奪われてしまったのだ。 ママが出産する少し前くらいから、ママに甘えるようになった。 そして、ママが出産のため家を離れると毎日のように泣いては何かを訴える行為を繰り返した。 ママと赤ちゃんが家に帰ってきてからも、よく泣いては拗ねて大きいお姉ちゃんたちに慰められている。 1歳のネイ…
少し前の話。 新学期を目前に末っ子が晩御飯前に泣き出して、そのままベッドに籠城。 「マグダレナ(妹⑤)どないしたん?」 「それがね、さっきロマがノート買ってきてくれたけど教科数に対して冊数が足りないって泣いてるの。」 どうやらノートは売り切れで、明日また買い足しに行くらしい。 その事をマグダレナに伝えても、明日は学校に行かないの一点張り。 「ママは知らないんだ!ノート足りなくて先生に叩かれるのがどんなに辛いか!わーーーーん」 晩御飯が出来て、食卓に来るように言っても無視。シクシクと泣き続けている。 ここタンザニアの村では体罰という概念はないので忘れ物をする、規則に沿わない事をすると容赦なく叩か…
1月ではてなブログを始めてから丸2年経った。 2023年の1月から2年間細々と続けてきて記事数も285になった。 毎日更新している人を尊敬し、自分も毎日更新したいなと思いながら実行出来ていない。 最初の100記事はほぼ毎日更新してたのに、忙しさを言い訳に月に1回しか書かなかった時もあった。反省。 それでも、その時々の出来事や気持ちをパッキングして思考をアウトプットできて良かった。 ちょうど人生の転機に始めたブログ、時々自分でも読み返して 「あの時頑張ってたなあ」 「この時はどうしようって思ったけど、何とかなるもんだな」 と振り返れるのもブログの良いところ。 始めた頃はこんなにたくさんの人が読ん…
水曜日は村でマーケットが開かれる。 ここで1週間分の食料を確保するのが女性の仕事。 お昼を食べて、そろそろ行かないといけない時間になってきた。 「今日マーケットあるの?」 「あるよ」 「ローズ行くの?」 「まだ本調子じゃないから行かないよ。」 「誰が行くの?」 「…。」 ママはまだ病院から帰ってきていない、ビビ(おばあちゃん)もママに付き添っている、行くとしたらモニカ(妹③)か? 行かないと1週間分の食料が無くなって、毎日ウガリを食べる生活が待っている。 それは私には無理だ。 ならば行くしかない! 「私とモニカでマーケット行って買い物してくるよ!」 雨が降り出しそうな黒い空、早く行って帰ってこ…
マサイ村では毎月何かが誕生する。 先日は気がついたらロバが生まれていたり、ヤギが双子を産んでいたり、牛も定期的に子牛を産む。 ニワトリも気がつけば新しい卵を産み、いつのまにかヒヨコになっている。 先月は村の女性が赤ちゃんを産んでお祝いしたばかりだ。 話は月曜日の夜に遡る。 私とモニカ(妹③)がキッチンでウガリを作っていると、なにやら外が騒がしい。 バイクタクシーが来て、村中のママが集まっている。 「ママが調子悪くて、病院行くんだよ。」 とモニカが教えてくれた。 ママはビビ(おばあちゃん)に連れられて、バイクタクシーで村の診療所に運ばれていった。 ママはこのところ、ずっと貧血が酷くヘモグロビンが…
先日、結婚して1年が経った。 去年の今頃は役所に行って、英語で宣誓して皆んなで写真撮ったっけ。 あれから1年、私の英語は上達の兆しも見せず相変わらずである。 申し訳程度にマサイ語が少し分かるようになったが、2歳児よりも分かってない、1歳児といい勝負が現状。スワヒリ語も混じってる私だけの言語を生成中。 来年はどうなっているのだろう? うちの家族はクリスマスとお正月、それとイースターは盛大に祝う。 それ以外にも、大人になる儀式や結婚式、赤ちゃんが産まれた時などは近所の人たちを含む大勢でお祝いする。 しかし、誕生日や〇〇記念日みたいなものは一切お祝いする風習がない。 気がつけば過ぎていた、それが誕生…
マサイには掟がある。 マサイの戦士はマサイの女性が見たお肉を食べられないとか、男性が持ってる杖は跨いではいけないとか。 なので、ママが料理した肉をロマが食べることは出来ない。私はマサイではないので、見ても大丈夫らしい。 杖も知らないうちに不意に跨いだらしく、ロマに「跨いだらダメだよ」と教えてもらった。 普段、虫を潰したり、高い所の物を取ったり、なんなら洗濯物を干す棒にされている事もある棒が。 そんな大事な棒ならもっとそれらしくしといていただきたい。 私に関して言えば、服装規定がある。 マサイの女性は膝から上を露出してはいけない。ミニスカ、ショーパンは御法度だ。 上半身に関しては特に言われたこと…
朝5時、熱くて目が覚めた。やはり39.8℃、熱源を叩かない限りこの高熱は下がらない。 今日から始まった抗生剤と解熱鎮痛剤を組み合わせて、なんとか体力を回復したいところ。 朝5時に薬を飲んで様子を見る。 9時までは38℃台で推移していたが、10時を境に37℃台に下がった。 体も軽い、これは今のうちにサッサと家に帰るべき! 「家帰ろう。」 「まだ熱も高いのに…ここなら病院も直ぐだし安心だよ。」 ロマの言うことはもっともだ。 しかし、私は家に帰りたいのだ。 病棟勤務時代、夕方に患者さんがスーツに着替えて「お世話になりました。」と帰ろうとする所を宥め透かしてあの手この手で病院に留まって貰えるよう声をか…
ロマとビビと伯父さんに連れられて、トゥクトゥクに揺られて出発。 普段感じる1時間の倍は長く感じ、病院に着く頃には歩くのも怠かった。 土曜日の病院は空いていたが、他にも患者さんが待っていた。 待合室のベンチに座った瞬間、処置室に案内され入るとまだ4-5歳くらいの男の子が処置台に1人で大人しく座っている。 その子を窓際の処置台に移し、私はそこで処置を受けることになった。 この時すでに39℃。 説明する元気もなく、ここ数日の経過を書いたノートをドクターに見せてあとはロマが補足してくれた。 経過書いといてよかった。 処置室には私以外におばあちゃん、4-5歳くらいの男児2名がいて、男児①が処置を受けてい…
先日のブログで「元気になりました」と書いた数時間後に39.8℃の熱を出し、夜中に再度診療時に搬送された。 夕方から調子が崩れて、18時くらいに39℃になった。妹③モニカがしばらく心配して一緒に居てくれたが牛が帰ってきたので乳搾りに行ってしまった。頭の中で「何が熱源だろう??」と考えてみるが寝てしまった。 20時に妹がご飯を作って来てくれたとき、体が楽になっていたので再度測ったら36℃台だった。 ご飯を食べながら、あの熱はなんだったんだろう…?一過性にしては高かったなぁ? なーんて思ってたら、21時。 悪寒と震えがきた、この感じ高熱が出るんだろうな。毛布にくるまって熱が上がりきるまで耐えるしかな…
年が明けてすぐ、子どもを抱き上げたら腰が逝った。まさに魔女の一撃、ちょっと息ができなかった。 悶絶する私の横で、何も知らない2歳児はニコニコしていた。 「前も同じことして腰痛めたでしょ?!子どもはどんどん大きくなるし、子どもたちは永遠に疲れないんだから適当なとこで切り上げないと。」 とロマに怒られた。 おっしゃる通りすぎてぐうの音も出ない。 数日後、ロマと一緒に村に建築資材を買いに行った帰りにバイクで転倒。転倒っていってもほぼ止まってる状態で、横にふんわり倒れたので何処も怪我はなかった。 問題は起き上がる時に、私の足がバイクのマフラーに焼かれたことだ。 「アッツ!!!!」 右の脹脛にしっかり火…
マサイ村に帰ってきてすぐ、ロマが体調を崩した。 クリスマスシーズンで診療所が混んでいたので、家にドクターが来てくれることになった。 2日くらい食欲がなく、ほとんど食べられていなかったので脱水補正に点滴をする事になった。 ドクターがなんやらかんやらロマと家族に説明している。 どうやら500ml点滴2本いくようだ。 ドクターがキョロキョロと上を見ている、点滴を吊るす場所を探しているようだ。 天井の梁に紐でも掛けてS字フックで吊ったらいいかなと思った次の瞬間。 ママが五寸釘を持って現れた。 まさか…まさか?! 止める間もなく、ベッドの頭上、点滴を吊るすのに良さそうな所に打ち込んでいく。 あぁーーー新…
明けましておめでとうございます。 オフラインで書いたブログが2回も消えて、書き直す気が起きないので新しいのを載せます。 うっすら思っていた、私ってこの村で上から数えた方が早いんじゃないかって。 うちの集落はロマのおじいちゃん(長老)の血の繋がった家族が住んでいる。 ①おじいちゃんと第四夫人の家族 ②お父さんとお母さん家族 ③お父さんと第二夫人の家族 ④叔父さんと第一夫人の家族 ⑤叔父さんと第二夫人の家族 ⑥おばあちゃん(第一夫人) ⑦伯父さん ⑧血縁関係のお母さんと子ども2人 ⑨よくわからないけどおじいちゃんの血縁のお姉さんと男の子 私がわかる範囲ではこれくらい、何故なら⑨はよく入れ替わるし誰…
2024年はたくさんのことがあった。 思い返すと、ジェットコースターに乗ったような1年だった。 1月にマサイ村でロマと結婚式を挙げた。 200人以上のマサイに囲まれて、私は一人何が何だかわからないまま、みんなに祝福されてロマと家族になった。 2月にVISAの関係で私だけ日本に帰らなきゃならなくてまた別居。 帰国してすぐに病院で働き始めて、3月はVISAの手続きで手いっぱい。 色々あって4月にマンションを離れて病院の寮で生活することになった。 5月に41歳になった、ロマと離れ離れで過ごす誕生日は何をしていたか思い出せない。 6月に入ってマンションの買い手が見つかって、7月に売却した。 7年間住ん…
うちの村に赤ちゃんが生まれた。 私とロマが村の外の牛を見に行ってる間に生まれた赤ちゃん。 帰ってきた時にママと妹が「産まれたよ!夕方4時に男の子!」と知らせてくれて、ママと一緒に赤ちゃんを見に行った。 ママの家から1分のところにあるお家に行くと、赤ちゃんのお母さんは疲れて横になっていた。 薄暗い部屋の中、横たわるお母さんの横にビビ(おばあちゃん)が居て「タタ、モモイ(マイスイートエンジェル)。」とお包みにつつまれた赤ちゃんを抱かせてくれた。 まだ生まれて4時間しか経ってない新生児! 目も開くか開かないかくらいで、小さな手を伸ばしてお包みの端を掴んでフガフガ言っている。 新生児なんて看護学生の時…
牛のうんこを踏んでも何も思わなくなった金曜日の午後。 長引く乾季のせいで草が生えず、牛が食べる草がないので子牛と母牛以外はうちの村からかなり離れた場所に移動し放牧されている。 今日はその牛の様子を見に行った。 去年の今頃、ロマとババ(義父)と一緒にマーケットで買った子牛2頭もそこで放牧されているので久しぶりの対面だ。 キミサンとマチコサンと名付けられた2頭の牛、果たして元気に暮らしているのだろうか。 ロマの運転するバイクの後ろに揺られて走ること小一時間、オフロードの赤土を砂埃を撒き散らしながら、カーブミラーはもちろんないので見通しの悪いカーブは警笛を鳴らしながらいつ事故ってもおかしくない道なき…
メリークリスマス! タンザニアのマサイ村では24日〜25日にかけて大々的にクリスマスのお祝いパーティーが催された。 元々マサイ族はエンガイという神様を信仰していたところにキリスト教が混じって、今ではキリスト教信仰が多くなっているらしい(タンザニアでは)。 神仏混合みたいな感じだろうか、アッシェエンガイ!とお祈りの最中に何度も出てくるエンガイ。(アッシェはマサイ語でありがとうの意) 私の夫ロマも、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、兄弟たちみんなクリスチャンネームを持っている。 うちのマサイ村ではマサイの名前とクリスチャンネーム二つ持ちがスタンダードなので、ただでさえ人数が多いのに、…
ロマと私は3月から近所の村でバーを始めた。 私は日本に帰っていたから、お店のことはロマ任せで何も知らない。 1回だけ1ヶ月間の収益を見せてもらった以外は、「仕事はうまくいってるよ。」この言葉しか返ってこない。 本当に上手くいってるのだろうか? そう思いながらも何も確認せず9ヶ月が過ぎた。 マサイ村に帰ってきて6日目にようやくお店に連れて行ってもらった。 店ではムペンバという男の子が働いていた。 ロマが「カウンターの中に入って座ってて。」というので座っているとさっそくお客さんが来た。 一応カウンターの中に居るし挨拶するか〜くらいの軽い気持ちで言った。 「カリブ(いらっしゃいませ)」 「アサンテ(…
タンザニアの大都会ダルエスサラームからマサイ村まで車で8時間、ようやく帰ってきた我が家は相変わらず建設中だった。 これがタンザニアタイム、前回9月からほとんど変わってない。控えめに言って、何が変わったかわからない。 そんな建設中の我が家にイオンで買ったスーツケースをゴロゴロ引いて帰ってきた。 車を降りると村のみんなが出迎えてくれた。 毎回みんなが凄い熱量で迎えてくれるので、大スターの帰還!みたいな光景になるのがちょっと恥ずかしい。 みんなの熱烈な歓迎を受け、久しぶりのマサイ村生活がスタートした。 去年と違う事といえば、牛が留守にしていること。 乾季が長く続いて、牛が食べる草が無くなってしまった…
書いた記事が消えてしまった。 昨日無事にタンザニアに入国して、12時間眠り続けてスッキリ。 私は元気です。 ロマは村からバスで来る途中にアクシデントに見舞われて、結局私たちは空港で会えずにホテルで合流することになった。 14時にホテルに着いた頃には、日本出発から26時間経過していて疲労困憊だったのだけれどなぜか眠たくならなかった。 15時ごろに誰かがドアをノックする、開けてみると私と同じ格好をしたロマが満面の笑みで立っていた。どんどん思考が似てきたなあと思いつつ、久しぶりの再会を喜んだのだった。 気温32度、灼熱のダルエスサラーム 次回:マサイ村へ ランキング参加中旅行 ランキング参加中ライフ…
ついにタンザニアに移住する日がやってきた。 お昼は母がお寿司を買ってきてくれて、ちょっと早いクリスマスケーキも用意してくれた。 結局猫の輸入許可が降りず、今回は一緒に行くことを断念。また来年帰ってくるのでその時に一緒に行こうねとメイタタに喋りかけたが、「なんのこっちゃ?」という感じであくびしている。母と一緒に元気でいてね。 関西国際空港から今この記事を書いている。 私が乗る飛行機が目の前に着いて、飛行機の誘導、燃料の補給や荷物の移送、清掃などがテキパキと行われていく。 もちろん、パイロットや客室乗務員の方には感謝しているが、グラハン(グランドハンドリング)あっての安全な空の旅だということをいつ…
玉置神社からの帰り、おばさんがケーキ屋さんに連れて行ってくれた。 「そういえば、タタちゃん〇〇高校やったよね。ケーキ屋さんしてるお姉さんも一緒の高校やったんちゃうかな?」 私は中学を卒業した後、地元の高校には通わず村外の高校に進学した。 もちろん家からは通えないので寮に入っていたが、その寮で一緒だった先輩がケーキ屋さんを出しているようだった。 しかも木曜日の1日だけ出店されているお店、その日は運良く木曜日だった。 お店の外から中の様子を伺うと、いたいた! 高校の時からなんら変わらぬ先輩を発見。 「こんにちは、Mちゃん、私高校で一緒だったタタやでわかる?」 「あ〜!わかるよ!顔見て『知ってる!』…
朝、静けさの中で目が覚めた。 9時にはおじさん(同級生のお父さん)が迎えにきてくれるので、間に合うように支度しなくてはならない。ロマを起こして昨日買ったミスタードーナツを食べる。 今日は玉置神社の例祭に連れて行ってもらう予定になっている。 年に1回あるお祭りで、小学生の頃は学校行事で連れて行ってもらった記憶がある。 全然知らなかったのだが玉置神社は「神に呼ばれた人した行けない神社」と言われているようだ。確かに都会からのアクセスは時間もかかるし、国道は酷道だし、雨がよく降る紀伊半島の環境がそうさせているのかもしれない。 標高1077m、玉置山の上に位置する玉置神社は全国でも珍しい悪魔祓いの御神徳…
10月の終わり頃、私はロマと一緒に生まれ故郷に帰っていた。 紀伊半島の山の中にある私の故郷は大阪から公共機関で向かうと、東京に行くより時間がかかる。同じ近畿圏内にあるのに、だ。 その理由は途中で電車が消滅するから。レールがね、ないんです。 レールに敷かれた道なんて…!とか言ってる場合ではない、レール敷いてください。 利用者少なすぎるから無理なんだけど、戦前は木材を運ぶために鉄道計画もあった。 河瀬直美監督の作品「萌の朱雀」で鉄道計画について描かれているので興味のある方はぜひ。 故郷は最寄り駅まで遠い自治体のTOP5にランクインしているらしい、徒歩で5時間かかるんだとか。ちっともも寄ってない最寄…
日本を発つ前に親しい人に会いまくるツアーを絶賛敢行中、最後に叔母さんに会いに行った。 父の妹にあたる叔母さんは、私が小さい頃から仲良くしてくれて旅行に行ったりするほど親しい間柄で、2人で網走に流氷を見に行ったりウチの母と一緒にイエローナイフにオーロラを見に行ったりしていた。 私は父に似ているので、叔母さんにも似ていてよく親子に間違われる。 顔も似ているが中身もやはり血は争えぬという感じで、タンザニアに嫁ぐと言った時も一番笑ってくれたのが叔母さんだった。 家に泊まりに行かせてもらって、お手製のおでんやしめ鯖(私の好物)を晩御飯にいただき朝まで一度も目覚めず爆睡。 起きたら10時だった。 まるで自…
いよいよ来週タンザニアに行く。 しかし、相変わらず動物輸入許可の返事がない、どうなってんねん…私が提出先を間違っているのか向こうが遅いのか。 考えても許可がないことにはメイタタがタンザニアに入国できないので大人しく待つしかない。メイタタはクレートに入る訓練を受け入れて、準備万端!神様早く許可ください。 気を取り直して、ママたちに買っていくお土産を選定することにした。 今までシリコン鍋つかみ、ユニクロのフリース、ヘッドライト、ワークマンのレインコート、キシリトールガムなどなどお土産に持って行ってそのどれもが喜ばれた。 今回は日本のお菓子を持っていきたいなと思案して、スーパーに行ってみた。 mei…
タンザニアに日本食を持っていこう。 思い立って近所のスーパーへ足を運んだ。 まず、味噌汁(顆粒)を入れた。 アフリカの暮らしを他の駐在さんや協力隊の方のブログやSNSを通じてみたところ、醤油は入手できても味噌は本当に手に入らなさそうなのでまず一番に入れた。 タンザニアの内陸にある田舎町でもキッコーマンが置いてあるのにびっくりした、あと味の素。世界中に販路があるってすごい。 次にポカリの粉。これは過去何度か長旅でお世話になった実績があるので1箱入手。 からあげ粉、ふりかけ(のりたま)、増えるわかめ、うどんスープの素ととにかく軽くて嵩張らないものを中心に購入。 インスタントラーメンは嵩張るので悩ま…
来ない。 まだタンザニア政府からペットの輸入許可が降りない。 困った。 その上、ロマとは2週間の音信不通。 ロマがタンザニアのヘルプデスクに連絡するのが一番早いのに、全く肝心な時に音信不通。使えねーな!!とイライラをマックスまで溜め込んだ私は通じないとわかっていても鬼電した。 10回電話したが出ない、そりゃそーだ。 それで繋がるなら2週間も音信不通にならんわい、なんとかしなければ出国は迫るがメイタタを連れていけない。 あまりにもイライラして、右のこめかみに浮いた青筋が戻らない。 ベジータもびっくりの青筋だ。 普段そんなに長い間イライラすることはないのだが、今回はもう結構長い。 青筋が戻らなくて…
ロマが日本にいた6週間。 色んな日本食に挑戦して、カツ丼やラーメン、ハンバーグを美味しい美味しいと食べていた。(魚介類は食べる風習がないので除く) 「美味しい?」 「美味しいよ、これ好き。」 「タンザニア料理恋しくない?ウガリ、食べたくない?」 「うん、大丈夫だよ。」 そうは言っても、自分が食べ慣れた味から離れるのは辛いもの。 普段、特段食べたいと思わないものだって「食べられない」状況にあると恋しくなるものだ。私は海外生活が長くなると、お味噌汁や漬物が恋しくなる。 そこで、ロマに内緒でタンザニア料理のお店を探したらあった! 京都の中書島にタンザニア出身のママがやってるレストランを発見。これはロ…
先日、タンザニアのVISAを申請するにあたり自分の個人情報を書かなくてはならない場面で「職業」欄に何を書けばいいのか少し考えた。 現在、何もしていない無職の私。 一応、看護師免許は持っていていつでも発動できる状態なので看護師と書くべきか?いやしかし、働いていないのだからそれは嘘になるのだろうか? 看護師として働いていなくても、オーストラリアに住んでいる時も「看護師です」って言ってたっけ。 実際には回転寿司店のキッチンで寿司巻いてたんだけど、「前職は看護師です」ではなく現在進行形で看護師を名乗っていた気がする。これはこの後、日本に戻って看護師をするつもりだったからそう言っていたのか、記憶が定かで…
11月も本日で終了。 今月はタンザニアに帰るはずだったのに、手続きがうまくいかずまだ日本にいる現実。 ロマとは絶賛音信不通で、村にいる叔父さんに「ロマ生きてますか?」とメールすると「はい。」とだけ返事が来た。とりあえず生存はしているようだ。 うまくいかない上に、冬が近づく11月は日毎に寒くなるし暗くなるのも早くて、ちょっと気持ちも塞ぎがちだった11月。 「塞翁が馬」と思うようにして、日本にいる間にできることが増えた、いつでも安定した電力を得ることができてWi-Fiも思うがままに使えてラッキー!と思うことにした。 結果的に11月は21記事ブログをしたためることができ、20記事以上書くという目標は…
seriaで購入した毛糸で、ロマの誕生日プレゼントを編んでみた。 タンザニアは暑いと思われがちだが、内陸部は高度の問題もあって朝晩は寒く、バイクに乗る時は凍えるほど寒い時もあるのだ。 そんなわけでニット帽を編んでみた。 Acrylic Yarn GOKUBUTO アクリル極太を5玉、かぎ針は10号でザクザク編んでいく。 YouTubeでルス・グアダルーペちゃんを眺めながら黙々と編むこと2日、すぐにニット帽は完成した。 手持ちぶたさになった私は更にニット帽を作ろうと思いseriaを再訪。 同じアクリル極太の濃い赤色と、NEW メランジアクリルを購入。 また家に引きこもってルスちゃんの動画を見なが…
昨日は夫ロマの誕生日だった。 私たちは出会ってこの2年間、お互いの誕生日を一緒に過ごしたことがない。 誕生日どころか、記念日という記念日を一緒に過ごしたことがない。 「付き合って100日記念日♡」とかやりたいタイプではないけれど、誕生日くらいは祝いたい。 今年こそ、ロマの誕生日をお祝いすべくタンザニアへの入国日を決定していたのに、猫の輸入許可証がおりず渡航できなかった。 自分の不手際なのだが、本当だったら今頃タンザニアに着いて誕生日をお祝いできていたのになと思う。 うちのマサイ村では誕生日をお祝いする文化はない。 なんてったって、生年月日わからないことの方が多いのだから祝いようもない。ロマも誕…
具志堅用高さんの銅像があるフェリーターミナルからフェリーに乗って約15分、竹富島に上陸した。 その昔、ダイビングのライセンス(アドバンス)を取りに石垣島に来たことがあり、その時に竹富島にも寄ったことがあった。しかし、船酔いが酷く竹富島に降ろしてもらった頃には浜に打ち上げられた海洋生物のように瀕死の状態だったので何も覚えておらず、今回が実質初めての竹富島観光となった。 水牛車とレンタルサイクリングのツアーに申し込んでいたので、フェリーを降りてすぐにスタッフの人が車で竹富観光センターまで連れていってくれた。 あいにくの雨模様だったが、水牛車に乗る頃は薄曇りの天気で水牛のニーラン君(8歳)は悠々と私…
石垣島でウェディングフォトを撮ったのち、4日間石垣島を満喫した。 ロマは日本に来てからずっと不思議に思っていた。 「スーパーで牛乳や牛の肉売ってるのに、牛見かけないんだけどどこにいるの?」 じゃあ牛を見に行きましょう、ということで宿でレンタサイクルを借りて石垣島を巡ることにした。翌日11時までの返却で1台500円で貸してくれた。 石垣島の市街地を自転車で駆け抜け、山の方に向かっていく。 ゆるい坂道を登っていくと私が先に走っていたのにロマに追い抜かれて、置いて行かれた。 ロマの脚力に勝てるわけないんだから手加減してよとぼやく妻を置き去りに、高速ケイデンスでどんどん先に行っちゃう夫。 程なくして牛…
私が愛してやまないロックバンド、アジアンカンフージェネレーション。 日本を去る前に絶対見ておきたかったアジカンのライブ、まさか磔磔が当選するとは神様のプレゼントだろうか。 磔磔は京都にあるライブハウスで、元々は酒蔵だったところを改築してウン10年で今に至る老舗のライブハウスだ。京都に住んでいたときは何度も足を運び、最後に行ったのはいつだったか?グループ魂を最前列で見た気がするが10年以上前の話。 烏丸駅の12番出口から出て、南に住宅街を抜けていくと右手に見えてくるのだが、あまりにも久しぶりすぎて一回通り越してしまった。 一緒に行く約束をしていた友人2人と合流し、寒空の中開演を待つ。 磔磔のキャ…
フィジー4ヶ月、オーストラリア1年、世界旅行10ヶ月、アフリカ縦断2ヶ月。 今まで日本を離れて生活したのは長くて1年と少しなので、次回いつ帰ってくるかわかりません!の移住は今回が初めて。 海外協力隊やJICAの人たちが残してくれた記録を頼りにタンザニア生活にいるものを抽出。 【必需品】 ビザ パスポート クレジットカード スマホ 米ドル 変換プラグ 電源コード類 【日用品】 パソコン 筆記用具 服、下着 化粧品 日焼け止め サングラス 歯磨き 日本食 ビーサン 爪切り 虫除け ママへのお土産(レインコートと包丁とキャベツの千切りピーラー) 絶対必要!なものは以上。 日焼け止めは現地の人たちは使…
タンザニア移住が決まってからというもの、友人が食事に誘ってくれることが多くなった。 11月に入ってから昼、夜の2本建で送別会ラッシュをハシゴして、その合間に自分の用事を済ませるという忙しさ。 働いてもないのに毎日毎日街に繰り出し、あんまりみないようにしていたけれど銀行の残高はすごい勢いで減っていく。もう点滴を全開投与するが如く減っていく。滝である。 昔一緒に働いていた麻酔科の先生は全開投与の表現を「うどん」と言っていた。18Gの全開投与はちょっと細めだから稲庭うどんくらいだろうか。 INも無いのに使えば減る、当たり前の現象だが無職には堪える。 こんなに使ったっけ?!と驚いて明細を確認すると心当…
電車に乗っていると見知らぬ電話番号から着信。 03で始まっているところを見ると、タンザニア大使館からの電話だろう。 「先日お受けしましたタンザニアへのペット輸入の件ですが。」 きたー!もうあと数日しかないから、多分無理よね?と思うも聞いてみる。 「タンザニア大使館のホームページにリンク貼っておきましたので、そちらから申請してください。」 終わった… 今から申請して間に合う日数ではない。 とりあえず申請はしてみた、とっても苦労した。 記入フォーム4段階中の1が終わって、読み込みのグルグルがずーっと回っている。 やはりわからないことは速やかに電話して相談しなければならない、今回の教訓。 人間よりも…
月末にタンザニア行きのチケットを買っているのだが、その日に行けない可能性が出てきた。 というのも、今回は私のお仕えする女帝「メイタタ(猫)」をタンザニアにお連れするべく、各関係機関に連絡を取り必要な手続きに追われていたのだがどうも雲行きが怪しい。 猫を国外に連れ出す時には、日本で輸出検疫を受けてタンザニアで輸入検疫を受けなければならない。 そもそも行く先の国によって条件が異なるため、まずは行く国の輸入条件を確認。 タンザニアの場合、狂犬病の予防接種と健康診断が必須だったので近所の動物病院に狂犬病ワクチンを打ちに行った。 「国によるんですが、1回か2回か。さらに2回打った後の抗体検査が必要な国も…
新潟の友達家族に連れられて、上越地方に足を踏み入れた。 新潟は細長く、上越、中越、下越に分かれていることを知る。学生の頃、地理でやったんだろうけどさっぱり記憶になかった。 もっと日本のこと学ばねば!(ロマにあれこれ聞かれるし。) 雲ひとつない青空で、気温も温暖でカイロは必要なさそう。 11時半に有名な豚汁のお店「たちばな」についたら長蛇の列!日曜日だし、いい天気でライダーの人たちも十数人待っている。これはまたの機会にしようということで、妙高に向かって再出発。 途中、JAがあってそこで十割蕎麦をいただいたのがとても美味しかった。 日本にいる間に、日本食を満喫せねば!と思っているうちに当然の如く太…
先週末は大学時代の先輩家族に会いに、新潟に行ってきた。 人生2度目の新潟。 11月の新潟はさぞ寒かろうと思い、ウルトラライトダウンをインナーにアウターももこもこを着てカイロも装備していったが杞憂に終わった。 どうやら今年は暖かいようだ。 今回は飛行機で新潟空港に着くようにして、先輩が車で迎えにきてくれた。 前回会ったのが2023年の3月だから、1年8ヶ月くらい期間が空いていて子供達が大きくなっていてびっくりした。 もっと小さかったのに、2人とも私の首くらいまで身長が伸びている! これは次あったら抜かされてるな。 私がくるのを楽しみに待っていてくれたみたいで、空港に着いたら笑顔で出迎えてくれてと…
梅田の地下街を歩いているときに、ロマが不思議そうに周りを見ていた。 「アンダーグラウンドに街があるの?どうやって作ったの?電車が地下を走ってるのはどうして?どうやって作ったの?」 ロマの日本ふしぎ発見!である。 彼はタンザニアの田舎で生まれ育ち、地下街はおろか電車も見たことがないので地下鉄なんて輪をかけて不思議な物体であろう。 私も初めて一人で電車に乗った高校1年生の時、なぜこんな不安定なレールの上を走っているのに皆寝ているのだろうか?と戦慄したことを思い出した。ロマにとっての日本で見る光景はほぼ全てが初めましての経験なので、毎日が新しい驚きで溢れている。 逆も然りで、私のタンザニア(マサイ村…
急に寒くなって、夜なかなか眠れなくなった。 というのも、喘息がひどくなってきて寝る前の吸入と服薬無しには息苦しくて眠れないからだ。幼い頃、小児喘息もあったが大人になって随分落ち着いていたのに、数年前から季節の変わり目には喘息症状が出るようになった。 そうは言っても一年中吸入と服薬が欠かせないほどではないので、そんなにしんどくもないのだがQOLは低下する。やはり、夜眠るというのは人間に必要不可欠な事だと実感する。 普段は布団に入って5分以内には入眠できるほど寝つきが良い。 しかし、吸入して床についてもしばらくゼーゼーして眠れない。なんならアレルギーマーチ発動で鼻水と全身の痒みが私を襲う。 無職な…
めんどくさい手続きで割と萎えている。 随分前にもワーホリで日本を離れる時に色々手続きしたが、それに輪をかけて面倒臭いのが移住。 ワーホリは1−2年の話だが、移住となるとやることが増える。 情報化社会もありがたいのだが、なかなか「タンザニアに移住するには!」みたいなまとめサイトもない。 わからない→大使館に聞く→さらにわからないことが出る→市役所に聞く→もいっちょわからん→税務署に聞く→またまた…無限ループ。 日本は聞けばすぐ返ってくるけれど、タンザニアのとある省に出したメールの返事は一週間経っても返って来ない。ポレポレ。 これまだ私が単身だからいいけれど、家族で海外移住なんて発狂するのでは? …
結婚式は延期になったが、実はウェディングフォトなるものを日本で撮影した。 10月の上旬、台風が来るとか来ないとか騒いでいた時期に私とロマは石垣島に向かっていた。 12年前、私は英語を学ぶためにフィジーという国に3ヶ月滞在していた。 フィジーはフィジー人と、かつてイギリス領だった時代に入植してきたインド人が住んでおり公用語は英語なのだ。結局私の英語力は特に変化せず、ホストマザーと近所のおばちゃんと喋りまくった結果フィジー語の方が上達したんじゃないか?という結果になった。 そこの語学学校で出会った友人Sが石垣島でダイビングインストラクター兼フォトグラファーをしている。久しぶりに会いたかったのと、ロ…
ロマがタンザニアに単身、帰ってしまった。 家やお店のことがあるから仕方がないけれど、予定していたより1ヶ月以上早い帰国。 結婚式もキャンセルになり、新潟行きも、北海道で雪を見る予定もキャンセル。 仕方がないのでみんなに結婚式キャンセルのお知らせを送る。 「マジっすか!結婚式キャンセル初体験です!!」 結婚式キャンセル界隈ここに誕生。 キャンセル料22万円也! 世の中、やむを得ぬ理由で結婚式をキャンセルする人はいると思うが、49日前にキャンセルしてプラン全額20万円+手付金2万円。 会場(神社)は別で自分で確保していたので、衣装・メイク・カメラマン代のキャンセル料。 ちなみに神社に断りの電話をす…
ロマがタンザニアへ帰ってしまった。 唐突な事件のせいで、また私たちは離れ離れの生活を余儀なくされている。 まったく、結婚前も遠距離でやっと一緒にいられると思ったのに。結婚してもなかなか一緒にいられない夫婦である。 ことの発端はロマにかかってきた電話だった。 夜に電話がかかってきたから、ママか友達だと思っていたら声のトーンがいつもと違う。何かよからぬことを感じる。 電話を切ったロマは私をまっすぐに見て「タンザニアに帰らなくちゃ。」と言った。 一言で言えば、不幸があったので帰らざるを得なくなった。ロマが帰らなければ事が進まないようだ。 時刻は20時、スーツケースを買いに近くのショッピングモールに駆…
近所のゲームセンターにロマを連れて行った。 初めて見るゲームセンターにロマは困惑していた。 「ここで何するの??」 「マリオカートしよ!」 「何それ??」 クールジャパンが誇るアニメやゲームの世界を全く知らないマサイ夫、マリオもドラえもんもエヴァンゲリヲンももちろん知らない。 マリオカートを見たこともなければ、レーシングゲームなどしたこともないロマを半ば強引に席につかせ説明もそこそこにゲームスタート。 私がヨッシーを選択している隣で、訳が分からず混乱しているうちに時間切れで勝手にキャラがパックマンになってしまったロマ。 スタートから私は快走し、アイテムを取りまくりスターで無敵になってブイブイい…
マサイ族である夫ロマは魚介類を食べない。 生まれてこの方、魚介類を食べたことがない。 初めて出会った時、ザンジバル島の海にいる雲丹を見て「日本では食べるんやで。生で。」と言った時の顔は忘れられない。あんな可食部の少ない食べ物をわざわざなぜ食べるのかと聞かれたが、私もわからなかった。 マサイ族と一口に言っても彼らはケニアからタンザニアにかけての地域で生活しているので、違うところに住んでいるマサイは魚を食べるかもしれないが、うちの村の周辺で生活しているマサイは魚介類を食べない。 最近ロマの友達がツナパスタを食べたらしく、それを聞いたロマは「あいつマジか、魚食べるなんて…」とショックを受けていた。 …
すっかり忘れていたが、昨日はハロウィンとかいう祭りだった。 私はそんな華やかなパーティーとは対極にいるような人間なので、仮装して外に出て行く勇気はない。みんなでウェーイ!できるような協調性も持ち合わせていない根暗なのでハロウィンというお祭りは性に合わないのだ。ってか元々、ハロウィンは子供がお菓子ちょうだいってお宅訪問する行事ではなかったのか? WikipediaやらAIやらの解答を見てみるが、今ひとつわからない。 お菓子をもらうイベントといえば、この時期に我が故郷の集落では芋たばりという習慣があった。 満月の夜に子供達が家を巡って、月へのお供物をたばる(もらう)のだ。 昔は蒸した芋だったのが、…
10月も最終日。 いよいよ朝晩も秋らしい気温になり、秋が来たんだなあと思う。 明日から11月だと思うと一気に年末感が盛り上がるのは私だけだろうか。 10月から始めたGoogleアドセンス、その成果をここに残しておこうと思う。 10月8日に申請が通って、分からんなりにやってみた今月の成果は…! 推定収益額¥551。 え?すご。500円稼げた。 Googleアドセンスに合格するまでは1円にもならなかった私の散文が、500円になった…! ワンコイン、無職の自分がワンコインゲット! これは歴史的第一歩!!(言い過ぎ) 欲を言えば、562.28円稼ぎたかった。これはタンザニアシリングに直すと10,000…
やっと残暑が和らいだ9月末日。 ロマと私は京都の鴨川を歩いていた。 自然が多い場所の方が嬉しいロマ、川辺の草を見ては何やら思案している。 「この草は牛が喜んで食べるやつや〜なんで誰も放牧しないの?うちの牛連れてきてここで食べさせることができたら4日で丸々太るのにな〜」 「わからんけど、多分ここで放牧は許されへんのちゃうかな。」 「日本で牛見ないんやけど、スーパーで売ってる牛乳はどっからくるん?」 「牛おるよ、市街地にはおらんだけやで。」 牧場の写真を見せると、ここどこ?と興味深そうに見ている。 やはりマサイ族にとって、どこに行っても大事なのは牛なのだ。 今度牧場に連れて行こう。 今日の目的地は…
本日は我が家のプリンセス芽衣子の15歳のお誕生日。 猫の15歳は人間で言うと76歳だとAIが提示している、我が家でいちばんの長老だ。 もはやプリンセスというよりは女帝が似合うかもしれない。 タタ家のヒエラルキーの頂点に君臨する女帝、芽衣子。 芽衣子は保護猫で6歳の時に私と一緒に暮らすことになった。 ロシアンブルーはボイスレスキャットと言われるほど鳴かない猫だと聞いていたが、めちゃめちゃ鳴く。しかも「ギャー」と鳴く。 私が家に帰ると、玄関で待っていてギャー。 お風呂から出ると、ドアの前で待っていてギャー。 寝ようと思って布団に入ったら枕元でギャー。 撫でようと頭に手を置いてもギャー、グルグルグル…
此度の旅行で母は通院、ロマは入院。 私だけが難を逃れたと思っていた、帰国3日目までは。 私はわりかしお腹が強く、過去にインドで酷い目にあった以外はお腹ピーピーで苦しむことはなかった。 インドは入国2日目に洗礼を受け、一晩中トイレから動くことはできなかった。 文字通り上から下からの大洪水でえらい目にあった。 幸いニューデリーだったので、近所の診療所で点滴を受けて大事には至らなかったが、これが田舎だと医者にもかかれずお祈りかアーユルヴェーダの2択になると言われた。 都会でよかった。 朝起きてトイレに行くと、腸の蠕動運動がいつもの倍くらいでやや緩めのお通じだった。 これを皮切りに、以降自分の意思とは…
どうしても、9月の半ばまでに帰国したかった理由があった。 看護学校時代の友人が、結婚式をするというのだ。 家族だけの式に呼んでくれたので、鼻息荒く「これはいかねばならぬ!」とロマと一緒に参列させてもらった。 彼女とは18歳の春に出会い、同じ近鉄線に乗って毎日学校まで一緒に通っていた。 部活も同じ水泳部で、それはそれは濃い〜大岩亭のラーメンスープのように濃厚な3年間を共に過ごした。 彼女は優しくて勉強もできる人格者で、いつも赤点のデッドラインを彷徨っている私を引っ張り上げてくれていた。 ある日、昼の11時まで家で寝ていると電話がかかってきた。 「タタちゃん!テスト始まっちゃうよ、今どこ?」 「?…
24時間の長旅のせいか、時差のせいか起きたら13時だった。 日本に帰ってきたんだなとじわじわ思い出して、横を見るとロマはまだ寝ていた。 無理もない、初めての飛行機、初めての外国、初めての環境。初めてづくしで疲れただろう。 リビングから外を見ると、残暑厳しい日本の9月が広がっている。 あんなに寝たのに体力は回復せず、気怠い体に鞭打って街に向かう。 タンザニアとさほど変わらない気温、私は日陰を選んでなるべく日向に出ないように頑張って歩いている隣でロマは平気そうだ。 「暑くないよ、大丈夫!あれ(クーラー)嫌いなんだけど。」 今クーラーを切ると、あなたのワイフは家に居られなくなりますと説得した。 観光…
ケニアのストライキで日本に帰れなかった日から2日後、私たちはダルエスサラームの国際空港に舞い戻った。 今度こそ、日本に帰るんだ! ケニアがどうなっているのかよくわからなかったので経路を変更しタンザニア→エチオピア→香港→日本の経路で帰ることにした。 空港に着いてチェックイン、今度は何も質問されることなくスッと通された。この前のはなんだったんだろう?航空会社によってマニュアルが異なるのか? まあいい、スッと通れるに越したことはない。 今度こそ、日本まで飛んでいただきます! エチオピア行きの飛行機は定刻通り搭乗を開始、ついに飛行機に乗ることに成功した私たち。 ロマはやや緊張の面持ちで窓の外を見てい…
地域タグ:タンザニア
母が一人で日本に帰国した頃、私とロマは熱風に吹かれながらダルエスサラームにあるJulius Nyerere国際空港に来ていた。 ロマにとっては初めての飛行機、空港内に入るためにまず荷物検査を受ける。 帰国のルートはタンザニア→ケニアのナイロビ空港→ドバイ→日本の予定だった。 空港のカウンターに行き、チェックインをするもここで予想外の問題発生。 ロマのパスポートには日本のVISAが貼付されているので、それを見せればいいと思っていたらケニア航空のスタッフに色々質問された。 「帰りのチケットは?」 「滞在期間が未定だから、帰りのチケットは取っていません。」 「なんで?」 「妻が日本人で、一緒に帰国し…
地域タグ:タンザニア
本当は母と私、ロマの3人で一緒に日本に行く予定だった。 タンザニアのダルエスサラームからカタールのドーハ、そこからタイのスワンナプーム→日本帰国の便をとっていた。 タンザニア人であるロマはタイのトランジット時にトランジットビザが必要だったのだが、日本で用意せずにタンザニアで取ればいいかと思ってきたのが甘かった。 タンザニアにはタイ王国大使館がなく、一番近いのは隣国ケニアのナイロビまで行かないとない。そんな暇はもちろんなく、仕方がないのでプランを3つ用意した。 全員キャンセルしてチケットを取り直す 母だけ先に帰って、私とロマは後日帰る 行けるとこまで行ってみる 1は費用がかかりすぎる、格安航空券…
地域タグ:タンザニア
マサイ村の朝は早い。 みんな5時くらいから起きて、牛の乳を搾っている。 ニワトリが鳴き、山羊が鳴き、牛が鳴く自然の目覚まし。もれなく自動スヌーズ機能搭載なのでずーっと鳴いている。 私はそんな些細な音ではもちろん起きられず、最大限努力して7時に眠い目を擦りながら起床。しかし、隣でロマはまだ爆睡している。 外に出ると、ちびっ子たちが一斉に集まってきて挨拶をしてくれる。 「スパイ!」 「アパ」 年少者は年長者に対して頭を下げ、頭に手を乗せてもらうのがマサイ流挨拶なのだ。 私もおじいちゃんやおばあちゃんに挨拶する時は頭を下げて、手を乗せてもらう。 なんだかいい子いい子されているような気持ち。 とっくに…
地域タグ:タンザニア
なんとブログを始めてから累計2万PV!! 1万PVの時は気が付かなかったのに、今回は気が付きました。 いつも見てくださる方、時々見てくださる方、1回でも見てくださった方、ありがとうございます。 そして、読者数が153人になっていて、こんなに登録していただいて嬉しい限りです。 これも100人の時には気が付かなくて一体自分は何を見ていたのだろう… 確か7月くらいは100人もいなかったはずなのに?? ただただ文章を書き連ねるだけなら、こんなに長く続けられませんでした。 スターやコメントをくださる方がいて、面白いブログに出会えて、刺激をもらうからこそ三日坊主の私が1年以上はてなブログを続けることができ…
昨夜はマサイ村までもう一歩!というところまで来たが、夜遅かったので近くの町に泊まった。 あと1時間でようやく家に帰れる、7ヶ月ぶりのマサイ村だ。 タクシーに揺られながら、町の周辺が変わっていることに気が付く。 「町がどんどん大きくなって来てる。」 「そうだよ、うちの村まで行く新しい道も今作ってるとこだよ。」 ロマに言われて赤土の向こう側を見ると、新しい道路を作るために重機が並んでいる。 この町も、うちの村も来るたびに発展して来ているなと思う。 願わくば町から村までの道路が舗装されますように。 オフロードの道を進むこと1時間、もう昼の11時になってようやくマサイ村が見えてきた。 家の周りで家事を…
地域タグ:タンザニア
ボダボダに乗って病院に向かう、朝日がジリジリと照りつける中汗だくで病院に到着。 ベッドサイドに行くと、ロマがマサイ青年と話している。 毎日、付き添いして昼間はホテルで働いて忙しいはずの青年は私のことも気遣ってくれた。 アッシェナレン!(マサイ語でありがとう) 「おはよう、これ最後の点滴だって!」 100mlくらいのパックに液体がわずかに残っている、医師が来るのは9時からなので待つことにした。ロマのお向かいのベッドに入院している患者さんは昨日に引き続き苦しそうに吐いている、お腹がパンパンに張って苦しそうに肩で息をしている。 「昨日の夜、2人亡くなったよ。」 入り口のベッドが2つ空になっている。昨…
地域タグ:タンザニア
朝、暗がりの中で目が覚めた。 隣にロマがいない。入院していることを思い出す、夢じゃなかったんだと眠い目を擦る。 朝ごはんにフルーツを買い、ボダボダに揺られて病院に向かう。 病室に入るとお粥を食べているロマの姿があった。マサイの青年が買って来てくれたのだ。 しばらく病棟の様子を見ていてわかったのだが、食事は家族か付き添いの人が持ってこなければならない。病院が提供するのは「治療」だけのようだ。 ロマは点滴を受けながら昨日起こったことを聞いてきた。 「フェリー乗り場までは覚えてるけど、そっからは何も。気がついたら病院だった。」 「救急車乗ったんだよ。」 「全然知らない、ありがとう傍にいてくれて。」 …
地域タグ:タンザニア
ウーウーウーウー 救急車の中に響き渡るサイレンは脳をつんざくような爆音で、目の前の車やバジャージ(3輪オート)、バイクを跳ね飛ばさんとするスピードで疾走している。 日本では「緊急車両が通ります、道を開けてください」とアナウンスしながら交差点に進入するが、ここではアナウンスなどなく爆音でサイレンを鳴らし、目の前の車両を蹴散らしながら病院に向かう。 もちろん、その運転の余波を患者や家族も受けるわけだが何しろ掴まるところがない。 ロマを広いスペースに座らせ、私と母は揺れるたびに吹っ飛ばされそうになりながら固い椅子にかじり付く。横に置いたスーツケースとバックパックは生き物のように跳ねている。 医療器具…
母とロマの相次ぐ体調不良により、当初計画していたザンジバル旅行はプラン通りにはいかず、療養型旅行となっていた。 朝起きてホテルのご飯を食べ、二度寝に突入しお昼ご飯を求めて街を散策。 お昼を食べたらまた帰って昼寝して夜ご飯を食べたり食べなかったり、書き出してみるとザンジバル島にいる理由はあまりない。 旅は思い通りにならないことが多いので、焦っても仕方ないのんびり過ごすことにした。 ストーンタウンの中心地にホテルがあったので、どこに行くにも歩いて回れて便利だった。 探し物があればフロントのおっちゃんに聞いて、誰か手が空いていればそのお店まで一緒に着いてきてくれたりもした。 ストーンタウンは猫がたく…
ザンジバル島は今日も晴れ。 本当は友達が滞在しているNungwiに行きたかったのだけど、ロマの体調が思わしくないため中止した。 予定がなくなり、「今日は何しようかな」と考えながらバスルームで身支度をする。 用意もできたことだし、母を誘って散歩にでも行くか。 ガチャ あれ、鍵こんなに固かったっけ? ガチャガチャ 落ち着いて考えよう、鍵は時計回りで閉まるから反時計回りで開くはず…開かない! 振り返ってバスルームないを観察してみたが窓は明かり取り用のはめ込み式、ここから出るにはドアをなんとかするしかない。 ガチャガチャやってるとロマが気が付いた。 「どうしたの?」 「開かないーーー!」 バスルーム内…
2023年1月に始めたこのブログ。 1年9ヶ月目の今、Googleアドセンスに合格しました!! 何回か申請したことがあったけれど、審査に落ちて放置してを繰り返すこと数回。 思い出したように再度申請したら通りました。 何にもわからないところから、お問い合わせフォームの作り方を他の方のブログで見て奮闘。 記事には「5分でできます!」とあったが2時間かかった私。 それもそのはず、 言われた通りにしない。 そもそも説明を最後まで読まない。 普段からの態度が出ますね…人の話は最後まで聞きましょう。ちゃんとやれば5分で済みます、むしろどうやったらそんな時間かかったん?と不思議に思うレベルです。 「お名前」…
アザーンで目覚める朝。 ザンジバルに住んでいる人は9割がムスリムの人々なのでアザーンが流れてくるのだ。 エジプトに引き続きアラームのように流れてくるアザーンを聞いて二度寝。 母はすっかり元気になっていた。恐るべし脱水。 処方してもらった薬を飲んで、下痢もピタッと止まったらしい。 昨日病院を出る際に、一応確認のため検便の検査カップをもらっていたので検体を採取してもう一度病院に提出に行った。 月曜日の朝、病院は人がいっぱいで検体をどこに出せばいいのかウロウロしていると大柄な男性職員が「どうしました?」と声をかけてくれた。 事情を話すと検体を出す場所まで連れて行ってくれて、その後にロマに何かスマホを…
「タンザニアって海あるの?」 よく聞かれるこの質問、東アフリカに位置するタンザニアはインド洋に面している。 ザンジバル島はもともと独立した国だったが、イギリスの植民地になった後に1964年にタンガニーカと合併して現在のタンザニア連合共和国ができた。 本土のダルエスサラームからフェリーで2時間、一路ザンジバル島へ。 合併したとはいえ、強い自治権を持つザンジバル島。 私たちが一度タンザニア本土に入国していても、もう一回入国カードを書いてパスポート共に提出しなければならない。 フェリー乗り場は人・人・人+物で溢れかえっている。 母の顔を見ると、体調不良に重ねて「この中に今から割って入るのか。」という…
タンザニアに着いた翌日、本来ならばマサイ村に行こうと思っていたのだが母の体調がすぐれない。 流石に70代の母にはエジプトからのタンザニアは堪えたのだろう。 マサイ村まで7時間、最後の1時間はオフロード、今の体調では到底無理でしかもロストバゲージの影響でダルエスサラームから動くに動かれぬこの状況。 朝9時、ロストアンドファウンドに電話してみる。 「あのー番号〇〇の者ですが、荷物届いてますか?」 「ちょっと待ってくださいね、んんー今日の午後便で着く予定になっています。また15時にご連絡差し上げますね。」 今日来る?ちょっと期待してもいいのか?いや、この目で見るまで信用してはならぬ。 それよりホテル…
楽しかったエジプト旅行が終わって、アスワンからタンザニアのダルエスサラームに向かって出発。 まずカウンターに行くと、「これ、出発時間変更になってて、カイロで乗り継ぎできないから違うチケットに変更するね。」 アスワンーカイローダルエスサラーム(タンザニア)行きのチケットは、アスワンーカイローナイロビ(ケニア)ーダルエスサラームに変更になった。 空港で待つこと2時間、本来なら20時45分出発だがこれも遅延。 1時間待ってようやく22時過ぎに離陸。 さて、本当に間に合うんだろうか… カイロに着いたら23時25分。 カイロ発ナイロビ行きは23時55分発、30分しかない!カイロ空港内を走ってゲートまで行…
タンザニア編に行く前に、エジプトで出会ったタオルアートをみんなに見ていただきたい。 2年前の分も遡ってどうぞ! まずは今回のクルーズで出会ったワニ。 口にリモコンを挟むという技が高得点ですね。 猿。 この躍動感、タオルアートはベッドの上という限られた空間だけじゃないんだよ!と私の思い込みを打ち砕いてくれた作品。 だがしかし、これが猿だと分からずに廊下に居たベッドメーキングのアリに「あれ何?」と聞いてしまったので、私の読解力はまだまだの様子。 2年前に参加したナイル川クルーズの作品。 とてもよくできたスワン、スワン本体だけでなくその下の水をタオルで表現していることに感激。 次の日、まさかの進化版…
アスワンで迎えるエジプト最後の朝、いつも通り5時にアザーンで目が覚める。 前日は疲れてバタンキューだったので、チェックインを振り返ってみる。 オベリスクナイルホテルはアスワンの4つ星ホテルで、15時チェックインだったのに11時に部屋に案内してくれた。9月の昼間、40度近くあるアスワンで部屋に入れてくれたのはありがたかった。その時もらったウェルカムドリンクのハイビスカスジュースがとびきり美味しかった。 大通りに面したこのホテルは、入り口にセキュリティーチェックがあるちゃんとした宿でバックパッカーの時は見向きもしないような立派なホテルだった。でもなぜか安くて、ツインで1万円くらいだった。 1泊30…
クルーズ5日目、いよいよ最終日。 小舟に乗ってフィラエ(イシス)神殿を目指す。 ここもアブシンベル神殿同様にアスワンハイダム建設によって水没の危機にあったため、ユネスコがフィラエ島からアギルキア島に移築、保存された。現在ではアギルキア島がフィラエ島に改名している。 小舟をチャーターしてアスワンの河岸を出発すること約10分、フィラエ神殿が見えてきた。 ここに祀られているのは女神イシス。 古代エジプトの神オシリスの妹であり妻でもあり、ホルスの母である。ちなみにホルスの妻がハトホル神。 紀元前3〜紀元前4世紀のプトレマイオス朝時代の建造物だ。 イシスがホルスを産んだ地とされており、イシスがホルスを抱…
朝4時、母のルーティーンと同じ時間に起床。 私は眠たくてたまらない、夢現のまま朝食ボックスをもらいワゴンに乗り込む。 私たちとメキシコ人カップル、オーストラリア人夫婦の6人を載せたワゴン車は砂漠の中を南へ南へと進んでいく。 初めは暗くて見えなかった外の景色も、徐々に朝日に照らされて見えてきた。 何もない荒野に、ポツポツと作業している人たちが見える。 2年前はこんなに人がいなかったのに、何をしているんだろう? ガイドさんに聞いてみると、新幹線を作っているとのこと。新幹線がカイロから開通すれば、アブシンベル神殿まで日帰りで行けるようになるんだとか。 それでも私はクルーズ船に乗りたいのだけれども。 …
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