僕が写真という表現に惹かれる理由の7割くらいは「レンズ」にあります。なのでレンズの話をします。イェア。誰もついてこないと思うけどイェア。
レンズって、結局は「光を曲げる道具」なんですね。で、そこで起こってることは純粋な物理現象です。現代の技術でどれだけコントロールできるかはともかく、理論的には全てをロジックで記述できる世界。
でも、実際にレンズを造るとなると、いろんなアプローチがあるんです。一つは「超高精度スキャナー」を目指す方向。シグマやオリンパス、あといろんなメーカーのマクロレンズがこれです。世界に存在する光を、どれだけ精密にひとつひとつの画素にマップできるかの勝負。こういうレンズを覗いていると、ピントが合う瞬間、光がクソみたいに小さな一点に収束する瞬間にゾクゾクします。
しかしまた一方には、全く逆のアプローチがあります。「絵筆」を目指す方向です。ニッコールの単焦点、コシナのツァイスやフォクトレンダー、あとライカ系もこの流れです。光が曲がる過程においてのランダムを排除しない。予測できない要素を残すことで、目に見える世界と全く違う写真を撮ることを可能にします。撮ってみて「は?」となるんです。「何これ?」と。
僕はその驚きに掻き立てられているんだと思います。世界をロジックで理解したいのに、どうしても割り切れない部分があるのだ、という驚き。生の眼では見えなかった何かが、無機物の集合体から不可思議に生まれて圧倒される。それが写真の喜びなんだ、と。