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私のコーヒー

大坊 勝次 大坊珈琲店店主
ライフ グルメ

 2013年12月に閉店しました。

 その時、コーヒーのことは一切やらない、とも考えました。とすると困ったことに、自分のコーヒーもどっかで購入しなきゃならない。焙煎だけはやろう、ブレンドするためには4種類焼かなければ、そうすれば3キロは出来てしまう、1人では飲みきれない。そこで思いついたのが親しくしていた人達に送りつけよう、ということでした。閉店の時は忙しくなってしまい、ろくにお礼も言えてないし、全部の人というわけにはならないにしても、少しずつなら送れるだろう。お礼をするつもりでそれをやろう。

 そんなことを始めたのでした。

 そのうちにコーヒーを楽しむ会とか、抽出の講座とかをやりませんかと頼まれるようになりました。コーヒーのことはやらないと考えてたのになあ、なんて漏らした時に、なに言ってるんだ、そんなことはそうなった時にいつでもできるだろう、オマエみたいなジイサンに声掛ける人なんていないぞ、頼まれたらやれよ、と一喝されました。今やってることは、コーヒーを作って飲んでもらって自分のコーヒーの作り方を説明することです。

 私がコーヒーを作り始めた時、深煎りに徹しました。今からではもう50年も前のことですが、深煎りの中の深煎りというポイントです。なぜかと言いますと、そこにコーヒーの甘みが生まれるからです。深煎りにしていきますと、豆が持っているキツイ味、酸みが消えていくのです。深すぎと言われ続けましたが、そう言われるところまで深くしていきますと、あるところで、フッとキツサが消える。酸の持つ堅さと重さが消える。柔らかい味、軽い味になる。甘みが出る。ここのポイントは濃く作っても、ブラックで飲めるのです。浅煎りのコーヒーは酸が強くて濃く作るとキツクて飲みにくいのです。薄くして飲む。今薄いコーヒーが多いのはそのせいです。ところが深煎りのあるポイントを越えてしまうと苦いだけのコーヒーになってしまう。危険なポイントなのです。でも、危険を冒してギリギリのところまで深く出来た時の濃厚な甘みには驚きますよ。

 ここの説明はなかなか伝わりにくいので、飲んでもらうのが一番です。飲めばよくわかります。私は濃いコーヒーを飲んでもらいたいのです。濃いコーヒーをブラックで飲むことが、コーヒーと向き合うことであり、つきつめると自分自身と向き合うことになるのです。ウィスキーの場合だって、ショットグラスでストレートを飲むことが、ウィスキーと向き合うことであり、自分と向き合うことなのです。コーヒーの時間もウィスキーの時間も基本的には一人の時間なのです。黙っている時間になるでしょう。

大坊勝次、森光宗男『珈琲屋』(新潮社)

 今、自分がやってることはこういうことなのですが、説明しにくいことです。店を営業していた時は黙ってやっていたことです。言うことじゃなかった。黙ってやっていますと、自然に一人一人のお客様も黙ってコーヒーを飲んでいますし、黙っている時に目に見えるものとか、耳に聴こえることとか、味わうことにしても、全てが感じて考えることに繋がっているのでした。閉店した時に、自分は一介の客にすぎなかったと思いますが、ここにいる時はとてもいい時間をすごすことができましたと言う人が、たくさんおられました。黙っていても、といいますか、黙っているがゆえに伝わることもあるんだ、と思うことでした。

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source : 文藝春秋 2025年3月号

genre : ライフ グルメ