東京から遠く離れた島根県海士町に姿を現したミクシィの朝倉祐介社長。その狙いは何なのか。[撮影=岸本茂樹(Kiiimon)]

 6月7日、驟雨に見舞われた東京を離れて9時間半。飛行機と電車、フェリーを乗り継いではるばるやってきたのは、島根県海士(あま)町。隠岐諸島の真ん中に位置する離島だ。

 海士町はシロイカとカキ、干しなまこが名産の漁業の町。1周約90キロメートルと比較的大きな島だが、人口は約2400人。一見すると過疎化が進むただの離島のように映る。

 だがこの町がユニークなのは、人口の2割近くに相当する約300人が、都会から移住した「Iターン」の若者である点だ。しかもトヨタ自動車やソニーなどの一流企業を辞めた、いわゆるエリートが多い。海士町の何が優秀な若者たちを惹きつけるのか、その謎を探るため、私は来島した。

 その初日。Iターンの若者を中心に取材を進める中、町中である若者とすれ違った。切れ長の目、真ん中で分けたサラサラの髪。その時は、どこかで見たことがある人だな、としか思わなかったが、その後にひょんなことからシナプスがつながった。ミクシィの朝倉祐介社長、その人だった。

騎手から東大法へ

 朝倉氏は昨年6月にミクシィ創業者の笠原健治・現会長の後を継いで社長に就任した。

 中学卒業後にオーストラリアの競馬騎手養成学校に入学したが、身長が伸び過ぎたために帰国した。北海道で馬の調教助手になった後、事故をきっかけに専門学校で大学受験資格を取得。ストレートで東京大学法学部に入り、在学中にITベンチャーを興した。

 卒業後は外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社したが、再び自社の経営に戻り、2011年に買収される形でミクシィに入った。当時、30歳という若さと異色の経歴が大きな話題になった。

 その興奮も冷めやまない今年2月。第3四半期決算記者会見の場で「再成長フェーズに入ったから交代する」として突然、社長退任を発表した。その後は、メディアのインタビューはおろか、公の場にもほとんど姿を見せていない。異例の退任劇を巡り、一部メディアはリストラに伴う社員の離反が原因、などといった観測記事を流した。

「念願叶って海士町に来た」

 そんな渦中の朝倉氏がなぜか東京から600キロメートルも離れた島にいる。ひょっとしたら、新たなビジネスのタネを仕込みに来ているのかもしれない。実際に住民に聞いて回ったところ、「ある省庁の幹部と会食をしている」「島の若者と話し込んでいた」。それらしい噂が次々と出てきた。

 朝倉氏の影を追いかけて2日たった9日夕方。ついに直接話を聞く機会を得られることになった。

 「島にはプライベートで来ているだけですよ。社長になった頃から海士町に来たいと思っていたけど、なかなか時間が取れなかったので。ようやく念願叶いました。こうして話していると東京のことを思い出しちゃうなあ。嫌だなあ」

 古民家の縁側で海士町名産のふくぎ茶を啜っていた朝倉氏はのんびりとこう話し始めた。

「一応まだ社長です」

 6月24日の株主総会の決議で代表権のない顧問に退くまでは、れっきとした上場企業の社長のはず。だがジーパンにドット柄のポロシャツを着た若者からは、権威的な雰囲気がまったく感じられない。丁寧な言葉で話す姿は自然体だが、どこか凄味がある。つかみどころがない、なんだか不思議な魅力のある人物というのが第一印象だった。

 「一応はまだ社長ですが、本体の方の仕事は一通り片が付き、今は子会社の定例取締役会に出るぐらい。だからその合間を見て旅行に出ています。今回も7日に来て10日の朝にはフェリーで帰る予定です」

 ある省庁の幹部というのは、たまたまIターン受け入れで成功している海士町の視察に来ていただけ。会食に立ち会ったのは宿泊している友人との付き合い上のことで、「横でぼーっとしていただけ」だったという。

「年末から米国に移る」

 では社長退任後は何をするのか。再び起業するのか、どこかで再就職先は決まっているのか。気になる今後の予定を聞いてみた。

 「うーん。顧問といってもそれほど会社に縛られるわけではないし、しばらくは通信会社から個人的に頼まれているIT関連の仕事をこなすつもりですね。年末からはしばらく米国に移ることになりそうです」

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