1955 >>>  高度経済成長 

 内需主導だった高度成長 一億総中流に 

1951年に生まれ、高度成長期を少年・青年として過ごした経済学者、吉川洋氏。リアルな時代の変化を、若い感性で感じ取った。

 1950年代の生活は、戦前・戦中の生活との継続性を色濃く残していました。

 幼稚園の年少くらいの頃、渋谷駅近くの祖父の家で暮らしていた記憶が残っています。家は空襲で全焼したため、トタン屋根の掘っ立て小屋。周囲には空き地がたくさんあり、そこでヤギを飼っていました。朝、にわとりの卵を小屋に取りに行くのが私の役目でした。

 高度成長とは何だったのか。私は、農業国が工業国に移行する際に、史上一度だけ経験できるビッグ・ジャンプと位置づけています。50年当時、日本の就業者人口の48%は農業を含む第1次産業に従事していました。働く人の2人に1人は農民だったわけです。この比率は、70年には19%に低下しました。

 高度成長のキックオフは50年に勃発した朝鮮戦争。工業国への移行は、内需が主導しました。高度成長は輸出主導だったというイメージを持つ人が多いと思いますが、実はそれは誤りです。内需をけん引したのは、設備投資と都市化、そしてテレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」に象徴される耐久消費財の普及です。

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この記事はシリーズ「昭和100年の教訓 栄光と停滞、30人の証言」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。