1961 >>> 国民皆年金
公的年金に3つの時代 皆年金から給付抑制へ
1961年、国民皆年金が実現した。だが、人口動態の変化により80年代以降は給付抑制を続けざるを得なかった。浅野史郎氏は厚生労働省で改革を担う当事者だった。
公的年金の歴史はおおむね3期に分かれます。第1期は、公的年金がなかった自営業者や農業者などのための国民年金を設けて国民皆年金となった1961年ごろまでの「創設の時代」。第2期は厚生年金の年金給付額を月額1万円、2万円、5万円と増やしていった「充実の時代」。73年ごろまでです。第3期が少子高齢化時代に対応して給付の抑制などをした「調整の時代」。おおむね80年代から今日に至る時期ですね。
特に難しかったのが第3期です。国民皆年金は社会保障を充実したわけですが、財源は更に必要になります。第2期に年金額を増やしていたこともあり、給付総額は大幅に増えることになりました。
加えて、80年代に入る頃から日本の人口構成は急速に高齢化が進みました。これで将来の年金給付総額が一段と膨張することとなり、年金財政への懸念が出てきたのです。そこで、年金給付額をそれまでのペースで増やすのを抑制したり、年金保険料を引き上げたりする対策が必要になってきました。
最初の転換点は80年でした。厚生年金の支給開始年齢を当時の60歳から65歳に引き上げる改革を目指したのです。しかし、政治の強硬な反対でこれは頓挫しました。私自身は翌81年に年金課へ異動になったので、この時点では当事者ではありませんでしたが、残念なことでした。
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この記事はシリーズ「昭和100年の教訓 栄光と停滞、30人の証言」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。