先だって、仕事用のパソコンを発売されたばかりのMacBook Proに入れ替えた。アップル最新鋭のCPU「M4」を搭載した機種である。

ようやく買い替えることができました

 私はノートパソコンにデスクトップ用のキーボードとディスプレーを接続して使っている。常日頃は停電に備えた無停電電源付きパソコンとしてノートパソコンを使用し、大規模災害のような緊急事態にはノートパソコンとして切り離して持ち出すためだ。今回、併せてディスプレーも新調した。パソコンの入れ替えは12年ぶり、ディスプレーは15年ぶりである。ディスプレーを入れ替えると、まぶしい。前のディスプレーが劣化で画面が暗くなっていたのだった。劣化はゆっくり進行するので、入れ替え時でないと意識できない。

 めでたく新しいパソコンを買えたのも、本連載を読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。

 過去12年間使ってきたのは2012年モデルのMacBook Pro(13インチ 2012Mid)だった。CPUは2コアのIntel Core i7。

 13インチ 2012MidのMacBook Proは、ユーザーが自らメモリーもストレージも交換できるオープン・アーキテクチャー設計だった。

 アップルという会社は歴史的にオープン・アーキテクチャーとクローズ・ドアーキテクチャーの間を揺れ動いており、この2012MidのMacBook Proは、今のところオープン・アーキテクチャーの最後のモデルである。次の製品であるMacBook Pro(13インチ 2012Late)から、アップルはクローズド・アーキテクチャーに舵(かじ)を切り、メモリーもストレージもユーザーの手では増設できない設計になってしまった。

 私のMacBook Proは、購入時点では、メモリー4GB、ストレージが500GBのハードディスク(HDD)だった。

 やがて日々使っていく中で、メモリーは自分の手で8GBに増やし、最終的には上限である16GBまで増設した。ストレージも1TBのHDDに交換し、2TBのソリッドステートドライブ(SSD)に交換し、最終的に4TBのSSDにまで増強した。わらしべ長者ではないが大出世である。

 私の場合、文章を書く仕事での利用がほとんどなので、CPUはさほど早くなくとも用が足りる。ただしOSはアップデートのたびに大規模化して重くなるし、また写真や画像、動画は増える一方なので必要なストレージ容量もどんどん大きくなる。逆に言えばメモリーとストレージさえ増やせれば、12年間なんとか使い続けることができた。

 とはいえ、最近はどんどん高解像度化するネット動画の再生が不自由な状態となり、さすがに「もうこのCPUではどうにもならない」という状況になっていた。

 もちろん現在のクローズド・アーキテクチャーのMacintoshには、内部の回路設計を徹底的に最適化して動作を高速化できるという利点がある。新しいM4MacBook Proは、メモリーやストレージの増設はできないが、動作がものすごく速い。何をしてもパソコンがぴぴっと反応してすぐに結果が返ってくるのは快い。多分なのだが、体感動作速度は、10倍以上になったのではなかろうか。

 が、他方で痛感したのが、「速いのにはすぐに慣れる」ということ。今回、3日ほどかけて使用環境の構築や、データの引っ越しなどを行ったのだが、その3日間で、完全に速さに慣れてしまった。

 12年間頑張ってもらった旧MacBook Proは、今後内蔵した4TBのSSDを生かして、メディアサーバーとして第二の人生を送ってもらうつもりで、こちらも新たにセットアップしているのだが、もう「遅くてたまらん、とても使えない」という気分になっている。

 人間、速度には慣れる。パソコンに限ったことではない。

 私が小学4年生だった1971年に日清食品から「カップヌードル」が発売されて、「お湯を入れて3分で食べられる」というのにびっくりした。とはいえすぐ慣れてしまった。

 その後「お湯を入れて1分」という製品まで出現した(明星食品の「Quick1」:1982年)が、そこまで速くなくとも多くの人にとって3分というのは十分に速かったようで、今のところカップ麺は「お湯を入れて3分」が主流になっている。

 テレビが家庭に普及しはじめた1950年代から60年代にかけて、テレビはスイッチを入れると画像が安定して映るまでしばらく待たねばならなかった。表示部はブラウン管だったし、受信回路は真空管を使っていたからだ。ブラウン管も真空管も動作させるためには内部のヒーターで電極を暖める必要があった。スイッチを入れてから画像が安定して映るまで1分程度もかかった。

 テレビは1960年代後半に回路が半導体化され、かつブラウン管のヒーターに事前に待機電力を通して暖めておくという手法を採用したことで、「スイッチを入れればすぐに映るもの」となった。すぐに映るテレビで技術的に先行した日立製作所は、1960年代末に「ポンパ(ポンとスイッチを入れればパっと映る)」というブランド名でテレビを宣伝したものだけれど、競合他社もすぐに追いつき、テレビがパッと映る状況に、私たちはすぐに慣れてしまった。

 東海道新幹線は、1964年の開業当初、最高速度210km/h、東京-新大阪間を3時間10分で結んだ。新幹線以前の特急「つばめ」は6時間30分だったのだから、東海道新幹線は文字通りの「夢の超特急」だったのである。ちなみに1967年の童謡「はしれちょうとっきゅう」(作詞:山中恒、作曲:湯浅譲二)では、「じそくにひゃくごじゅっきろ」と歌っているが、開業前の速度試験時の最高速度が256km/hだったかららしい。

 1992年に300系新幹線車両が新幹線「のぞみ」として導入されると、最高時速は270km/hに引き上げられた。名古屋と京都すら通過する便が設定されて、東京-新大阪間は2時間30分まで短くなった(「名古屋飛ばし」と反発され97年11月に廃止)。現在では新型車両の導入で最高速度は285km/hになり、品川、新横浜、名古屋、京都に停車しても最短2時間21分となっている。1964年の開業から60年を経て、49分も短縮されたわけだ。

 が、今やこの速度は当たり前だ。みんな慣れてしまった。
 で、今回は「速さに慣れた結果の落とし穴」という話だ。

知事選の顛末(てんまつ)

 斎藤元彦前知事の不信任に伴う兵庫県知事選挙は11月17日に行われ、斎藤前知事が再選された。

 斎藤前知事の不信任は、今年3月に、県西播磨県民局長が、斎藤知事のパワハラ疑惑などを記した告発文書を報道機関や県議に配布し、さらに内部告発したことが発端となった。斎藤前知事は、内部告発の調査結果を待たずに、告発した局長を停職3カ月の懲戒処分とし、これがまたパワハラとして問題化した。県議会は、議会の地方自治体事務に対する調査権を規定した地方自治法100条に基づく百条委員会を設置して、斎藤前知事のパワハラ疑惑を調査、その過程で常軌を逸した内部告発への対応などが次々に明るみに出た。斎藤前知事の対応は公益通報者保護法違反が指摘されている。

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