書店を復興するために何が必要か。当事者としてアクションを重ねる作家の今村翔吾さんは、2つの流れがあると言っています。(「本と書店の未来のために必要なのは議論より『行動』です」)
1つは書店業態を多様化させて、新しい事業領域を開拓していくこと。もう1つは、出版社、取次、書店と、業界の関係者が知恵を出し合って、構造改革に取り組むこと。
出版・書店業界のメインプレーヤーの1人、取次大手の日本出版販売(日販)は、本を媒介にした「場づくり」に活路を開こうとしています。
日本の出版・書店業界には、独自の問屋システム「取次」が存在します。書店の閉店が続く中で、取次も傘下に書店グループを組織したり、無人書店を開発したりと、多彩な手を打っています。今日は大手2強の1つ、日販が進める「ひらく」の事業についてお話を伺います。まず「ひらく」がどのような背景で、どのような事業をされているか、教えていただけますか。
染谷拓郎さん(以下、染谷):株式会社「ひらく」は日販が2022年4月に設立した子会社です。前身は15年に日販の中で立ち上がった新規事業を取り扱うリノベーション推進部です。ちなみに、その時の事業部責任者が、現在の日販グループホールディングス社長の富樫建でした。書店への来客数や売上高の減少は、その頃から大きな課題で、取次の立場から状況を変えていくにはどうしたらいいか、社を挙げてトライアルを重ねていました。
書店業界には「作家」「出版社」「取次」「書店」というステークホルダーがいて、大きなビジネス・エコシステムを構成しています。書店数の減少問題を、書店だけで解決しようとしても、限界がありますよね。
染谷:その通りです。サプライチェーンの一環である取次がアプローチすることによって、状況が変えられるのではないか。ということで、リノベーション推進部では日販グループの書店のリノベーションや、新しい業態開発を手がけていました。その中でエポックになった事業が18年にスタートした「箱根本箱」と「文喫」の2つでした。
「箱根本箱」は1万2000冊の本を内にそろえたブックホテル。「文喫」は喫茶や企画展スペースを備えた入場料制の書店で、いずれも “心置きなく本に浸れる空間”に焦点を当てて、開業時に話題になりました。
染谷:取次会社がホテルや入場料制書店の経営に乗り出すのは、それまでになかったことで、目新しいトレンドとして、いろいろなメディアに取り上げていただきました。この2つが話題になったことで、社内でこの事業を深掘りしていこうと、方向が見えたのです。
事業部から子会社になったのは、どういう理由だったのですか。
染谷:課題点が分かっていても、私たちの業界は、構造として大きく変化することが難しい現実があります。それは、これまでのビジネスモデルが、あまりによくできていたからでもあります。
このシリーズで今村翔吾先生がお話しされていた通り、出版・書店業界は1990年代から2000年代前半まで、雑誌を中心に出版物がめちゃくちゃ売れた時代があり、それによってステークホルダー全員が潤いました。
特に漫画誌ですが、売れている雑誌、ベストセラーになっている本を、いかに大量に、かつ効率よく届けられるか、その流通システムの追求が、当時の取次事業においては非常に重要だったわけです。
効率と収益が両立しやすい装置産業的な環境だったわけですね。
染谷:そうですね。そして装置産業はいったんシステムが回り始めると、その後はシステムをメンテナンスすることに、労力が集中されるようになります。その結果、システムは正面から押しても、ビクともしない大きな岩みたいに強固になっていきます。
ただし、時代が変わると、その強固さが変化への足かせになります。
染谷:まさしく、それが私たちの業界の大きな課題になっています。ただ、そのような岩でも、脇に小石を挟んで押してみたら、ごろっと動いた、みたいなことって、あるじゃないですか。「ひらく」は日販の幹とはちょっと違った、オルタナティブな方向からのテコ入れになります。
従来の取次のビジネスモデルとは違うアプローチなんですね。
染谷:はい。「自社で投資して、経営も行う」という直営モデルと、「クライアントからお仕事をいただく」という、いわゆるクライアントワークの2方向で事業を行っています。
御社では「箱根本箱」を“ブックオーベルジュ”と呼んでおられます。館内の部屋数は18室で、すべての部屋が温泉露天風呂付き。食事は神奈川、静岡産の食材を生かした“箱根のローカルガストロノミー”と、それに合わせたワインのセレクション。圧巻は、大きな吹き抜けの壁一面に本が並ぶインテリア。いずれもメディア映えするもので、そこはずいぶん狙っていますね。
染谷:「箱根本箱」の建物は、もとは1984年にオープンした日販の保養施設です。建物はちゃんとしているのですが、ただオープンから30年以上ともなると、内装もコンセプトも古びて、稼働率も下がり、保養所としてはもう役目が終わっている。とはいえ立派なものだし……「どうしよう?」みたいな状況があったんですね。
立地は箱根登山鉄道「強羅」駅から箱根登山ケーブルカーに乗り換えて、「中強羅」駅から歩いて4分という、非常に箱根らしさを感じる環境にありますね。
染谷:だとしたら、建物を今の時代にアップデートして、それを当社の新規事業の象徴的なプロジェクトにしよう、と。
「箱根本箱」のデザインには斬新だな、と驚くと同時に、「本当に本で集客ができるのだろうか?」という疑問も持ちました。
染谷:「本」と「居心地」を最上位に置いて、部屋数を18室に絞り、エクスクルーシブなホテルに転換して、集客、稼働する。従来、BtoBである私たちにとって、BtoCでいくことは、1つのチャレンジでしたが、現在、お客さまの単価は1人4万5000円ぐらいで、稼働率は約80~90%で安定して推移しています。
え、それは意外なほど高い稼働率ですね。決して安い価格帯ではないのに、それで稼働率90%ということは、常時満室といっていいぐらいですか。
染谷:はい、そうなります。
宿泊客は日本人がメインでしょうか。
染谷:コロナ自粛が本格的に明けて以降は、約3割がインバウンドのお客さまです。
売り上げの構成比が気になります。本の売り上げは大きいのでしょうか。
染谷:館内にある1万2000冊の本は、新刊、古書、洋書からセレクトして、お客さまはそれらを自由に読めて、お買い上げいただくことができます。ただ売り上げ構成としては、やはり宿泊と飲食がメインで、本や雑貨の比率は小さいです。ただし、体験の比重としては「読書」の占める割合は非常に大きいと考えています。
収益の柱はホテル業であり、ブックホテルという特徴を打ち出すことで、アッパーマス以上の層に来館の動機づけを行っている、ということですね。
染谷:今、箱根はアフターコロナで観光客が大きく戻っていて、周辺のホテルの稼働率も高くなっています。実際、アクセスの拠点となる小田原駅で降りると、外国人観光客でいっぱいです。競合の中で特色を打ち出していくことは大事なことと考えています。
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