ファミリービジネス(同族企業)研究をライフワークとする、星野リゾート代表の星野佳路氏と「後継社長の育成」及び「バトンタッチ」について考えるシリーズ。「理想的な実例」として、ジャパネットたかたの創業者、髙田明氏と、明氏の長男で2代目社長の髙田旭人氏(ジャパネットホールディングス社長兼CEO)を、星野代表が取材。前回の「ジャパネットの事業承継 親子が衝突したら距離を120キロ離す」に続き、旭人氏へのインタビューをお届けする。
(編集・構成/小野田鶴)
星野佳路氏(以下、星野氏):ジャパネットたかたの創業者、髙田明さんの長男として生まれた旭人さんは、ご両親のことが大好きなお子さんで、小学生の頃から、お父さまの後を継ぐと公言されていました。しかし、25歳で入社した後、「想像以上に父親中心の企業文化」に驚き、社長だったお父さまとぶつかるようになったと、前回伺いました。
その際、お母さまの仲介で、お二人はしばらく距離を置くことにしました。旭人さんは長崎県佐世保市の本社を離れて、福岡市に赴任。コールセンター事業と物流事業を任され、別会社にしてもらいました。これが、ジャパネットの事業承継を成功に導いた大きな要因だと、私は考えます。
この話には、先代と後継者の対立に悩むファミリービジネスにとって学びになるポイントが3つあります。重要なので、再掲します。
2.先代が得意でない分野を後継者に任せる。
3.先代と後継者が物理的に離れる。
(例えば、距離にして120~130キロメートルほど)
さて、このようにお父さまと別々に仕事をしていた時間は、どれくらいでしたか。
会社の苦境で、息子の存在感が高まる
髙田旭人氏(以下、旭人氏):7年ほどです。その後、父のいる(長崎県)佐世保(市)の本社に戻りました。
星野氏:何か、きっかけがあったのですか。
旭人氏:それはもう単純なことで、会社の業績が悪化したのです。
星野氏:会社全体の業績が、ですか。
旭人氏:そうです。ジャパネットの業績悪化が明らかになったのは2011年12月期。前期は1750億円以上あった売上高が1531億円になり、経常利益はほぼ半減。翌12年12月期には売上高がさらに1170億円まで落ちました。とはいえ、もともと予想できたことでした。「家電エコポイント」という国の制度の恩恵で、09年からテレビの売り上げが急増していたのです。制度が終われば、反動減で売り上げが急減するのは当然で、実際そうなったわけです。そのとき、父から「戻ってきたら」と、声をかけられました。
星野氏:ちょっとピンチになったところを、息子に何とかしてほしいという期待があったのでしょうか。
旭人氏:どうなんでしょう。父から期待されていると言われたことはほぼないですから。ともあれ、それがきっかけで12年、僕がジャパネットの副社長となって、佐世保に帰り、そこから父と本格的にやり合うようになりました。入社したばかりの頃の衝突は、社員に気づかれていませんでしたが、今度はもう、誰の目にも明らかでした。
星野氏:どれくらいの間、やり合ったのですか。
旭人氏:2年ほどです。戻ってから2年で事業承継して、父は完全に退いたので。
星野氏:大変な2年です。その2年間の衝突というのは、やはり、以前の衝突とは質的に違ったのですか。
「深夜残業なんておかしい!」から始まる、親子の衝突
旭人氏:そうですね。何が違ったのかと考えると、福岡の7年で、僕自身がすごく成長できたということがあると思います。
入社したばかりのときは、僕もまだ20代半ばで、父に反発するといっても、単純な正義感というか、個人的な価値観だけで「こんな創業者中心の体制ではダメだよ!」「このままじゃジャパネットはやばいんじゃないの?」と主張していました。そこにあまり根拠とか実績がなかったんです。
でも、福岡でコールセンター事業と物流事業を任されている間に、自分なりの仕事のやり方や実績が蓄積され、僕についてきてくれるメンバーも出てきました。その結果、かなり確信めいた主張ができるようになり、その差は大きかったと思います。
星野氏:個人的な価値観だけで何となく口にしていたことが、7年の経験を経て確信に変わった、ということでしょうか。
旭人氏:はい。それこそ「こんなに夜遅くまで残業させるなんておかしい!」というところから始まって。
星野氏:しかし、残業時間を単純に減らせば、収益率にはマイナスに働きます。
旭人氏:確かに、働く時間は数%短くなるでしょう。
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