「楽しみ」と「偶然の出会い」がキャリアの転機に影響
写真画像を解析し、被写体を3次元データに復元する「フォトグラメトリ」と呼ばれる空間解析技術。その応用技術の研究開発、そして活用による社会的課題の解決のための事業創出が、山下氏の仕事におけるミッションだ。コミュニティ活動が認められてマイクロソフトMVPを12年連続で受賞し、大学で講師も務めるなど、豊かなキャリアを築いてきた山下氏だが、必ずしも王道一直線というわけではなく、4つの転機を経験している。その際に「楽しみ」と「偶然の出会い」が影響し、道を選んだことが現在につながったという。
これまでにハード&ソフトウェア両方の開発経験があり、"二刀流"を標榜する山下氏だが、キャリアの入口はまったく希望したとおりではなかった。1988年に神戸日本電気ソフトウェアに入社した直後は、装置担当としてサーバーコンピュータの電波法・安全規格への準拠を確認するという、いわゆる「地味な仕事」に配属された。
山下氏は、「NEC98シリーズに憧れて、ソフトウェア開発をしたいとソフトウェアの会社に入ったのに、なぜかハードウェア担当になってしまった。いやなわけではなかったが、ワクワク感がなかった。同じ部門でマザーボードの開発を見ていて、どうせハードの開発をするなら、回路デザインが楽しそうだなと。難しそうで自信はなかったが、やってみたいと思っていた」と振り返る。
しかし、そんな時にチャンス(初めての転機)が訪れる。開発チームが米国で開催される展示会で新型マザーボードを展示することになっていたが、動作が安定せず、徹夜でデバッグを行っていた。そこで山下氏は、インテルのデータブックで勉強していたことを上司に伝え、「手伝いたい」と手を挙げた。猫の手も借りたい状況だったこともあり、すんなりと申し出が通り、問題解決にも見事に貢献することができた。その実績から、開発設計のチームに入り、その後PC-98シリーズのマザーボード開発を担当することになる。
「かなり忙しく、新製品を出すときはホテルに缶詰状態になり、徹夜も当たり前にあったが、憧れのPC-98シリーズにかかわれて満足感が大きかったし、何より回路設計は楽しかった」と山下氏は語る。