ジル・ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』を例に取ろう。ドゥルーズは、スピノザを読む中で「表現」という問題を主題にした。我々はドゥルーズがそのような問題を立てた後にしかスピノザを読むことしかできない。そのような問題が立てられた後でスピノザを読めば、スピノザにあたかも最初からそのような問題があるかのように見える。 しかし、ここには一つの転倒がある。スピノザに最初からそのような問題があったのではなく、ドゥルーズがそのような読みをしたから「あたかも」スピノザにそのような問題が最初からあるように見えるのだ。つまり、結果としてあるものを起源にあるかのように取り違えている。 そのとき、われわれは決してドゥ…