1868年(戊辰)1月から1869年5月まで行われた、「明治維新」における日本の内戦。 明治新政府が旧幕府勢力を「討伐」し、政権の正統性を内外に喧伝するために行われた。 鳥羽・伏見の戦い(京都)に始まり、江戸無血開城、彰義隊討伐(上野戦争)、奥羽越列藩同盟の成立と東北戦争などを経て、箱館戦争における榎本武揚の降伏によって終了した。
極悪非道な十人の罪人たちと、剣豪で実直な侍が、決死隊として 命をかけて砦(とりで)を守る、生きるための壮絶な物語 任務を果たせば、十人の罪人は無罪放免、約束は守られるのか 無事娑婆(しゃば)に出て、最愛の妻に会うことができるのか 江戸末期、新発田(しばた)藩を舞台にした、映画「十一人の賊軍」 事件は新発田藩の悪あがき 江戸幕府から明治政府へと、政権が移り変わる激動の時代が舞台 戊辰(ぼしん)戦争の最中、新発田(しばた)藩における歴史的事件 新政府軍と、対立する奥羽越(おううえつ)列藩同盟に加わっていた 新発田藩で、繰り広げられた同盟への裏切り、11人の運命は・・・ 戊辰戦争 1868年、江戸幕…
(湿版写真「松前家十七世 崇廣」松前町教育委員会) ★(当館学芸員)「見どころ解説 蠣崎波響と松前の至宝 蠣崎波響生誕260年記念展」 北海道立函館美術館、2024年11月16日(土)14:00 (WEBサイト→) artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp 松前藩が居所とした日本最北の城下町・松前町近郊では、早くから美術文化が醸成されてきました。また、2024年に生誕260年を迎える蠣崎波響は、松前藩家老もつとめた著名な文人画家です。 (蠣崎波響『柴垣群雀図』、1796年(寛保8年)町指定文化財、松前町教育委員会) 本展では、蠣崎波響を中心とする松前藩ゆかりの優品、幕末・明治…
男の一生は、美しさをつくるためのものだ。俺はそう信じている。(土方歳三) 一条真也です。言葉は、人生をも変えうる力を持っています今回の名言は、土方歳三(1835年~1869年)の言葉です、彼は幕末期の幕臣、新選組副長。1869(明治2)年、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。34歳没。 新選組の副組長として函館に散った土方歳三。その最期の潔さゆえか、絶大な人気を誇っています。彼の死生観は美意識として結実していたことが、この言葉から推測できます。その美学を追求したがゆえに、彼は今も憧れの中にあるのでしょう。新選組は維新の志士たちと対極で語られます。片や変革者の英雄とし…
北越戊辰戦争で、長岡城を奪還した河井継之助が被弾した場所はいったいどこなのか。わし、前々から気になっておったのじゃが、どうやらそれらしい場所が特定されていると聞いたので、先般、新潟にいった時に立ち寄ってみた。今回はその話を聞いておくれ。 河井継之助、被弾の地(新潟県長岡市新町2丁目)
「加茂軍議」とは、越後方面の戊辰戦争を大きく左右した重要な軍事会議じゃ。長岡藩軍事総督・河井継之助のリーダーシップや戦略的な決断が、歴史に与えた影響などを紹介したいと思う。過日、新潟に遠征し加茂を旅した備忘録も含めて紹介するぞ。 青海神社(新潟県加茂市)
趣味で福島県内、いや全国の心霊スポットに関する情報を集めるようになりもう幾年の月日が立つ。 当初は情報を集めることに満足をしていた自分であるが、やがて様々な情報を集めるともに、全国各地で似通った「心霊スポットと称されるようになった過程」が点在していることに気がつくと、次第に「心霊スポットと称されるようになった過程・原因に、事件・事故等の何らかの歴史的な事実があるか」という点に着目するようになった。 ようは、よく廃墟にある「オーナー一家がその場で自殺した」だのの曰くについて、それが本当に起こったものなのか裏付けがないと信用できない、というものである(もっとも、この裏付けを見つけ出すことはなかなか…
戊辰戦争を題材にした戦役級ゲーム「1868 戊辰戦争」(第三惑星委員会)を対戦しました。前回は列藩同盟を担当したことから今回は新政府軍を担当します。 ゲームシステムの紹介、前回のAARは次の記事になります。 初期状態(1868年4月) 江戸周辺の様子赤色ユニットが新政府軍、オレンジが新政府側の諸藩の部隊。青色が旧幕府・列藩同盟側です。 上野(「寛永寺」というマーカーが置かれている)は彰義隊が集結しているのですが、新政府・旧幕府の政治的駆け引きの中で戦端は開かれていません。 裏を向けられ白いユニットはまだ去就を決めていない中小藩ですが、この後、旧幕府軍・新政府軍が通過するにあたって旗色を鮮明にし…
鹿児島縣護國神社は鹿児島市草牟田に鎮座する。護国神社は全国にあり、英霊(国家のために殉難した人の霊)を祀る。鹿児島縣護國神社は鹿児島県出身の英霊が7万7000余柱を御祭神とし、郷土の守り神として崇敬されている。 明治天皇の思し召しがあり、島津忠義が創祀 御祭神 参詣する 鹿児島縣護國神社頓宮 御祭神、幕末・維新の殉難者から 日下部伊三次翼命 日下部裕之進信政命 有村次左衛門兼清命 有村雄助兼武命 有馬新七正義命 柴山愛次郎道隆命 田中謙助盛明命 弟子丸竜助方行命 西田直五郎正基命 橋口壮助隷三命 橋口伝蔵兼備命 森山新五左衛門永治命 道島五郎兵衛正邦命 山本四郎義徳命 美玉三平親輔命 是枝柳右…
戊辰戦争関連でもう1つ。 新撰組局長の近藤勇が流山で捕縛されたのはよく知られているが、その際「大久保大和」と名乗っていた隊長が近藤であることを見破ったのは彦根藩士であった。 彦根藩兵の一部は、板橋宿に入ったあと、慶応4年4月3日に北上して宇都宮方面へ隊を進める。他藩の兵も含め約500人の隊であった。その途中、流山に敵勢がいるとの情報を得て向かったところ、相手は恭順の意を示して武器を差し出した。 恭順を申し出た隊長は「大久保大和」と名乗ったが、彦根藩士の小隊長渡辺九郎左衛門が彼は近藤勇であることを見破る。渡辺は京都の会議で近藤を見たことがあり、その顔を知っていたのであった。 近藤は、渡辺の手によ…
彦根藩は戊辰戦争で「官軍」だった。 江戸時代を通じて、徳川譜代の筆頭であった井伊家が、それを裏切るように、戊辰戦争では官軍に味方したのはなぜか。 そもそも、彦根藩が官軍方だったとは知らない人の方が多いかもしれない。 慶応3年10月に徳川慶喜は大政奉還を申し出て、新たな枠組みの政権を構想していたところ、12月9日、薩長や岩倉具視らによる王政復古のクーデターによって新政府の樹立が宣言された。中立の立場にあった多くの藩はどちらに味方するのか迷ったが、彦根藩は12月中に新政府に味方することを決定し、翌年1月からの開戦時には新政府方として出兵している。彦根藩という徳川に近い大藩の動向は、どちら側につくか…
JR鹿児島本線に田原坂(たばるざか)という駅がある。西南戦争の一番の激戦はその田原坂であったという。 「雨は降る降るじんばは濡れる 越すに越されぬ田原坂」 “明治維新”というが、それをきっかけに何もかも綺麗に切り替わったわけではない。それが士族の蜂起であり、その象徴が西南戦争なのである。 戊辰戦争が終結して新政府が樹立したが、体制は安定していなかった。また旧士族の不満も高まっていた。そうした中で西郷隆盛が征韓論で破れた。それを追って鹿児島出身の官僚や軍人も辞職し、薩摩の藩閥は政府に残った大久保利通派と分裂することとなった。 西郷は「私学校」を設けて士族の子弟の教育にあたっていたが、政府にいる大…
「正岡子規とVR」 (季刊子規博だより 2017年3月) 1 仮感と実感 近年のVR(ヴァーチャルリアリティ、仮想現実)の技術の進展はめざましいものがある。たとえば、いま出ているゲームのいくつかでは、ゴーグルをつけると見ている人の動きに合わせて三六〇度度全方位にコンピュータグラフィックスで作成された映像世界がひろがるので、まるでその世界に入り込んだような錯覚を創り出すことが可能であり、少なくとも、視覚と聴覚はその世界に没入することになるようにできている。したがって、人間側に現実と仮想現実との境界が混乱するような錯覚が生じさえする。それは、この技術そのものが、現実との仮想との区別がつかなくなるこ…
<次回のご案内> ============================================================ 日時;2024年12月24日(火) 11:00より 場所;西堀6番館ビル 3階 研修室 新潟市中央区西堀前通6番町894番地1 (地図はこちらです。) 内容;「明治初期の新潟洋学校と活版所―平松時厚県令時代の新潟の"文明開化"」 講師;杉山節子(歴史都市新潟研究会・代表) 参加費;500円(資料代) ============================================================ 先月の歴史都市新潟研究会には、皆様お…
2023.05.28(日) 今回は福島県田村郡三春町の「三春城」です。 戊辰戦争では薩摩長州の攻撃を受ける前に、奥羽越列藩同盟を離脱し恭順・無血開城したため、二本松城のような落城の悲劇を免れました。 維新後は、建物だけでなく石垣も払い下げられてしまいましたが、本丸など山城部分が公園として整備され、残っています。 三春城遠景 樹木が生茂っているので、城跡かどうかぱっと見わかりません。 続100名城スタンプは「三春町歴史民俗資料館」でGETしました。 ここで「三春城VR」を確認してから攻城しました。現地の状況を確認してVRと重ねると当時の状況がイメージできます。(現地でARできるのかも) スタンプ…
ランキング参加中映画 ランキング参加中邦画 ランキング参加中【公式】2022年開設ブログ T・ジョイ梅田で8時50分開始の分を観た。コンパクトな会場、観客は30人ぐらい。 映画.COMから 江戸幕府から明治政府へと政権が移りかわる中で起こった戊辰戦争を背景に、罪人たちが藩の命令により決死の任に就く姿を描いた時代劇アクション。「日本侠客伝」「仁義なき戦い」シリーズなどで知られる名脚本家の笠原和夫が残した幻のプロットを、「孤狼の血」「碁盤斬り」の白石和彌が監督、山田孝之と仲野太賀が主演を務めて映画化した。 1868年、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜を擁する旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府…
東京都千代田区にあります、「靖國 ( やすくに ) 神社」を紹介しましょう。 明治2年 ( 1869 ) に創建されました。 御祭神は、戊辰戦争以降、祖国に殉じられた方々の御魂です。 軍人だけでなく、軍属、従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学生たちも祀られています。 また、東京裁判で有罪判決を受け処刑された方々も、共に祀られています。 日本人の中にも、A級戦犯が祀られているからと、靖國神社を忌避している人がいます。 戦犯には、A級、B級、C級とありますが、これは罪の重さを区別したものではありません。 B級は、通常の戦争犯罪です。 あまり知られていませんが、国際法で戦争のやり…
長州藩出身で外務大臣などを務め明治維新に貢献した井上馨の生誕の地は井上公園として整備されています。 場所は湯田温泉の温泉街の中です。 公園内にある「何遠亭」は、1863年8月18日の政変で京都を追い出された長州側の公家三条実美らが滞在していた場所で、それを再現しています。 湯田温泉は1200年頃の古文書にその名が記されており、白狐に導かれた和尚が湯を掘りあてたという「白狐の伝説」で知られます。 山口の町割りはかつての守護大名であった大内氏が京都に真似て行いました。 また大内氏は異文化を受け入れることに寛容でした。 フランシスコ・ザビエルも山口の地で布教を行っています。 その大内氏隆盛時の文化を…
修善寺桂川沿い遊歩道(11月27日) 修善寺(寺)の東海一庭園を観た後に行った。桂川沿いの遊歩道を通って竹林の小径に向かう。 桂川沿いにはもみじなどが少しずつ色づき始めている。修善寺自然公園のもみり林に比べて低い場所にあるのでせいぜい3~5分程度だが、もともと整備された景観地なので雰囲気はいい。ここにもウィークデイながら、多くの観光客(主に外国人)が来ていた。 韮山江川邸(11月27日) 修善寺のあと宿のある伊東とは逆方向になるが、ナビで確認すると30分足らずということで韮山の江川邸に行ってみることにした。ここも今年の4月に訪れているし、それ以前にも何度か訪れている。 ここの主であった江川英龍…
江戸東京の明治維新 (岩波新書) 作者:横山 百合子 岩波書店 Amazon 『江戸東京の明治維新』というタイトルにはなっていますが、カバーしている時期は戊辰戦争期が中心となっており、新政府の施政が安定するまでを紹介されているというイメージです。 勝海舟と西郷隆盛の会談により新政府側の江戸征討は回避されてよかったね、みたいな論調で語られることが多いですが、それ以前に参勤交代が亡くなって、諸藩の江戸駐在が最低限となったり、薩摩藩が幕府を挑発するために火をつけまわったり、強盗をして回ったりといったこともあって、相当江戸は荒廃していたことを忘れてはなりません。 大名屋敷など巨大な消費層を失ってから、…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 幕末・明治の人材登用術とは、「昨日の敵は今日の友」という将棋方式、そして身分・家柄・出自・血筋に囚われる事ない「ト金」、現代日本から消えた破壊的イノベーション、継続的リノベーション、逆境へのバイタリティーである。 敵味方を一つにまとめ、賊軍の罪を帳消し、敗者を復権させたのは天皇の御威光であった。天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説。 ・ ・ ・ 徳川慶喜は、無位無官だったのが明治5(1872)年に従四位に叙されて官位が回復し、明治21(1888)年には従一位に昇叙され「従一位は…
旧街道を歩いたり、自転車で走ったりするのが一つの趣味なので、少し前、たまたまネットで検索していたら、名古屋近辺の街道について書かれたエッセイのページに辿り着きました。詳しく読んでみると、随分と昔に住んでいた場所が、鎌倉街道沿いであることを再発見しました。ホームページの管理者を見ると、大塚耕平と書かれていました。どこかで聞いた名前だなと思ったら、参議院議員(当時)の現役代議士であることを知り、意外な感じがしました。政治家のセンセイといえば、語弊があるかもしれませんが、世俗の代表みたいなイメージが強く、こういう人文科学的な世界とは無縁な感じがしたからです。年齢はほど同じ、歩んできた道は雲泥の差があ…
乃木希典福田和也 文春文庫2007年8月10日 第1刷*初出「諸君!」 2004年3月号 4月号。 単行本 2004年8月 文藝春秋刊 参加しているとある懇話会で、次回のテーマが乃木希典で、本書が 課題本となっているので 図書館で借りて 読んでみた。 乃木希典と言えば、 私の中では 司馬遼太郎の『坂の上の雲の中』で、 その軍人としての無能っぷりの印象がとても強い。しかも、 自分の手柄を立てたいがために、海軍との協力を拒んだ陸軍の将として描かれている。旅順攻略で、日本軍の数万の死傷者をだしたのは、乃木の軍人としての能力欠如、、と。。。そして、最後は、明治天皇が亡くなったからと言って、切腹自害。な…
短い秋も終わり早くも師走に突入しましたね。 九州でも日本百名山の大分県久住牧ノ戸登山口では金曜日頃から 積雪したりしてます。 僕が住んでる北九州は九州の宮崎鹿児島辺りに比べれば寒い場所。 でも積雪するのは年に1回~2回程度です。 通勤は国道を中心に片道20km程度なので冬場はスタッドレスタイヤに 交換とかはしてません。 ただ久住とかの山間部にもよく足を運んでたので(一応山登り) 樹脂製のタイヤチェーンを冬場は積んでました。 確かにグリップ力は有るし、シャッキアップ無しでも装着可能(但しコツが有ります) ですがやはり時間が掛かるし結構トランクの場所を取ります。 そこで今使ってるのがこれ!! スノ…
ちょっと前に『石仏地図手帖・東京編』を手に谷中の石仏を見て歩いた話の続き。まずは『地図手帖』には載っていない石仏から。 谷中一丁目の倍増山宝城院金嶺寺。谷中には日蓮宗の寺が圧倒的に多いが、ここは天台宗である。慶長十六(1611)年、神田北寺町に寺地を拝領して創建され、慶安元(1648)年に現在地へと移転したと伝わるが、天海僧正が寛永十七(1640)年に開いたとの説もあるようだ。明治の戊辰戦争で、寺は焼失。貴重な仏像も古記録もすべて失われてしまったというが、境内には庚申塔がある。 植物に覆われていて、年代などは不明。青面金剛が邪鬼を踏みつけている。台東区の説明板によれば、江戸中期以降の作と推定さ…
自由な旅人ケイちゃんです。 秋の福島「うつくしま ふくしま」を楽しんできました。 capydayo.hatenablog.com 初日は、会津若松が宿泊地。 東京から郡山までは、新幹線で移動。 郡山から会津若松までは、エセ乗り鉄本領発揮!